中央区立日本橋劇場
東京日本橋蠣殻町(かきがらちょう)に日本橋劇場が今年7月にオープンした。「日本橋劇場」とはいかにも粋で民間施設のイメージだが、中央区の公共ホールであり、施設の1~2階は区の出張所などがある複合施設となっている。営団地下鉄半蔵門線水天宮前駅より5分程のところで、近くには人形町、兜町などがある古くから経済、商業の地であり、また言わずと知れた東海道など五街道の起点として栄えた場所である。
またここは、かつて中村座、市村座、森田座の江戸三座といわれた芝居小屋などでにぎわった伝統芸能の盛んな土地で、現代でも中央区には歌舞伎座、明治座、新橋演舞場といった日本を代表する大劇場が3つもあり、邦楽や日本舞踊など日本の伝統芸能を仕事にされている方も多く、中央区だけで邦楽、日本舞踊関係の家元が10人住んでおられ、江戸からの伝統芸能が生き続けている町でもある。
本施設の計画が進められる中で、ホールの性格付けを行うにあたり区内にお住まいの伝統芸能の関係者らから、江戸庶民の芸能文化の発信地として伝統芸能に利用できる施設にしたいという要望が出され、中央区の土地柄にあった、しかも区民からの要望も多い邦楽や日本舞踊の上演に適した施設とすることになった。これについて矢田中央区長は「中央区に息づく日本舞踊、邦楽などの古典芸能の継承を図る…。」とし、公共ホールとしては珍しい邦楽・日本舞踊を主体とするという明確な方向性を示した劇場の計画が進められた。
本劇場を設計するにあたり、設計者である国設計のスタッフは中央区在住の邦楽、邦舞の先生方にヒヤリングを行い、劇場の機能や設備に対する要望を聞き、参考とした。
本劇場の客席数は440席で、客席には昇降式の本花道が設けられ、その本花道には床下から演者を迫り上げるいわゆる「すっぽん」も設けられており、舞台間口6間半、舞台有効奥行き5間の本格的古典芸能向き劇場となっている。客席形式はバルコニー形式で、2階サイドバルコニー席には日本の伝統劇場に相応しい畳の席も設けられている。
邦楽と一口に言っても様々な分野があり、それぞれホールに望まれる音響特性は異なるということは、紀尾井小ホールでの経験からも認識している。もともと劇場を母胎として発展してきた長唄や浄瑠璃、清元などはホールの響きや反射音を重視し、一般的な多目的ホールで催される演奏会の場合には、舞台上反射板を使われることもあり、また舞台背後に立てられる屏風からの反射音も重要で、その屏風と演奏者との位置関係もリハーサルで念入りに調整されている。一方、かつては特定の人たちに対し聴かせていた主としてお座敷で行われた小唄、端唄などは、長唄などのようにホール空間を響かせるというより、基本的に拡声設備を使って繊細に声を聴かせることを重視しているように思われる。また筝曲(琴)にも好ましいとされる音響条件がある。筝はそれ自身が舞台に乗っている撥弦楽器であるため、他の楽器に比べて弦を弾く音が空気中に発せられるのと同時に舞台に伝って、舞台の構造によっては弦を弾く時の衝撃音が大きく発せられることがあり、これを特に気にされる演奏者も多い。しかし、このためにあらかじめ建築的に舞台側で対処することは難しく、畳敷の台を使ったり、横ずれ防止のためのゴムシートを重ねるといったことで対処することが多いようだ。
本劇場の場合、舞台上反射板、可動プロセニアム、回転式残響可変壁(手動)とロールカーテン状の吸音幕(電動)を組み合わせて使うことにより、これらの邦楽演奏者の好みにある程度対応し、その他にも一般の多目的ホールで想定される使われ方を含め下図に示すようなバリエーションを設定した。
邦楽にとって好ましい残響時間については、かつて国立劇場や新橋演舞場が計画された際に調査され、その結果からホールの大小に関わらず中音域で1秒前後とされている。紀尾井小ホールの計画の際に調査した結果でも、特に長唄など生で演奏される音楽の場合には中音域で1秒前後が好ましいという結論となった。本劇場の場合、残響時間の最も長い状態で1.2秒、最も短い状態で0.7秒であり、邦楽の様々な催しに対応できるある幅を持った残響時間の値が得られている。また、一方では公共ホールということもありピアノの演奏会なども想定されており、ベーゼンドルファーのグランドピアノも装備されているが、ピアノのリサイタルなどには少しドライな空間かもしれない。
オープンからこれまでの間、催し物の主流はやはり邦楽や日本舞踊ので、設計コンセプト通りの使われ方をしている。今後益々の盛んな利用活動が期待される。
【問い合わせ先】中央区立日本橋区民センター tel: 03-3666-4255(小野 朗 記)
オープンから7年を迎える「かつしかシンフォニーヒルズ」
先月号でお知らせした’新シリーズ’<今後のホール運営を考える>の第一弾として、「かつしかシンフォニーヒルズ」の最近の活動状況を紹介する。
この施設は東京の東、1992年にオープンした葛飾区の文化施設で、京成青砥駅から徒歩5分のところにある。下町情緒あふれる町並みの中に、花崗岩の外壁、頂が金属板屋根の豪華な建物がぽっかり現れる。これが「かつしかシンフォニーヒルズ」である。葛飾区とウィーン市フロリズドルフ区との友好都市関係から、ウィーンの王宮ブルク庭園のモーツァルト像の完全複製が玄関正面に据えられている。これも下町の葛飾では驚く存在である。
この文化施設には二つのホールがある。1318席のモーツァルトホールと298席のアイリスホールである。モーツァルトホールは音楽を主目的とした中型の多目的ホールである。シューボックス型の客席空間にプロセニアム型の舞台が連なり、走行式の舞台反射板の設置によりオープンステージ型のコンサートホールとなる。アイリスホールは、リサイタル、室内楽コンサート向きに、さらに音楽の専用性を高めたホールである。
まず、この施設の活動状況を隔月発行の情報紙『シンフォニープレス9・10月号(No.45号)』から拾ってみよう。13の公演の前売り開始情報、17の発売中の公演情報、2ヶ月間の催物、チケットの求め先、電話予約・チケット郵送サービス、託児サービスの案内、友の会ご案内、ポスター掲出協力者募集、リバーサイドオーケストラ出演者募集等が記されている。記載の催物件数は、秋のシーズンということもあろうが、大小ホールで39件、この他に主催事業が13件あり、この中には一連のシリーズ公演、講座がある。また、区育成の管弦楽団の定期演奏会まで含まれている。ギャラリーは8件、延べ48日間の作品展が催される。A3見開きの情報誌に、文化施設に要求される鑑賞・発表、創作・練習、集会・交流、展示・情報機能が十分に活用されているのが見て取れる。希望すれば予約チケットを郵送してもらえるし、予約が前提であるが、小学生以下(0歳児可)の子供を開演30分前から預かってもらえる。また、ポスター掲出協力者募集で店のウィンドウや自宅の公道に面しているスペースの提供を募っていたり、オーケストラ出演者募集の参加型企画の呼びかけもある。そのポスター掲出協力には無料招待券の特典もある。とくに、小ホールでは地域に密着した活動が展開されており、抽選による利用ということもあるようで、近郊在住の音楽家の活発な支援を得ていると聞く。しかし、この立派な情報紙、友の会、約3500人の会員には配布され、また、区内の関係施設ではお目にかかるのであるが、都心のコンサート会場で手に入らないのは残念である。特徴ある企画、面白い公演も都内の愛好家には今一つ伝わってこない。これが、集客率にも関係ない訳でもないであろう。
この施設では、建設段階に文化振興財団を発足させ、今では普通になったプレイベントを開館前から企画、運営組織が発足し、事業展開していたのである。財団の運営計画では、”文化の担い手は区民である”を基本に、参加とふれあい、質の追及、個性の重視、柔軟性の確保、積極的な展開を運営の基本的な視点として取り上げている。運営は、理事、評議員、区と財団の兼務職員、区の派遣職員、財団職員からなる財団法人 葛飾区文化振興財団があたり、19名からなる管理課、施設課、事業課、事業推進課が運営業務を行っている。特徴は、開館当初から、自主事業重視のための企画立案・交渉・折衝スタッフとして年間契約の分野別プロデューサー2名が加わっていることである。
計画当初からの柱である自主企画が先の情報紙でも明らかなように、公演の2~3割近くを占めており、あらゆるジャンルにまたがっている。ただ、3年前、亀有に演劇ホール的な性格のリリオホールがオープンしたこともあり、音楽関係の公演傾向が強い。ポスターやチラシに描かれたモーツァルト、ベートーヴェンのイラストを見られた方もあろうが、開館当初よりこれらのデザインを手掛けておられるのがイラストレーターの和田誠氏で、この心温まるイラストもここの自主事業の看板である。
モーツァルト、ベートーヴェン、ショパンのピアノソナタ、シンフォニー等の連続演奏会、若いヴィルトゥオーゾシリーズ、名曲コンサート、室内楽シリーズ、音楽都市を巡りシリーズからクラシック音楽入門、こどもクラシックコンサートシリーズ、ジャズ・ライブ講座、歌謡曲・ライブ講座、最近では、いろはに邦楽等々、公演、講座、文化・芸術スクールが開催されている。しかも、都心では考えられない低料金で提供されている。
また、入れ物づくりと同時に弦楽部門のオーディションで始まったオーケストラの設立、育成も今年12月に18回目の定期演奏会を迎えるという。鑑賞、創造、育成という芽生えが見えたようではあるが、これも財政基盤の支えがあってのこと。区当局の理解と支援が不可欠といえばそれまでであるが、会館担当者の努力も見逃せない。どの自治体も頭をかかえる財政状態の悪化は、これまで以上に人的要素に期待がかかると思われるが、その結果によっては文化施設のあり方そのものが問われることにもなる。そして、自主事業は量ではなく、その質が、さらに鑑賞型から参加型へと、事業そのものの展開に積極的なシフトが求められるであろう。しかし、ここにも公共施設ゆえの問題はある。組織はあるが、人が変わるという問題である。これまでの文化支援、育成の貴重な実績、蓄積が今後の運用に生かされていくことは確かである。今後の新たな事業展開には、これまで以上に担当者の熱意も要求される。これを組織の中でいかに継続できるかが課題であろう。この施設でも、来年度から新たな事業展開を余儀なくされると聞く。厳しい状況ではあるが、更なる今後に期待したい。(池田 覚 記)
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