大田区民ホール・アプリコ
開発の経緯
東京、JR京浜東北線蒲田駅のホームではどこか聞き覚えのあるメロディの発車チャイムが鳴る。映画で有名になった、つかこうへい直木賞受賞作品「蒲田行進曲」のメロディである。蒲田には昭和の始めまで松竹蒲田撮影所があり、この蒲田行進曲の中でも「春の蒲田、花咲く蒲田、キネマの都」(堀内敬三作詞)と歌われているように、また山田洋次監督「キネマの天使」でも蒲田撮影所が舞台になっているなど、当時の蒲田は映画の街としてかなり賑わい、キネマ黄金時代の都とまで言われた。
「カマタ」とはもともと「三角」というような意味で、河口にできるデルタ地帯を意味する言葉だということを聞いたことがある。この地はその名のとおり、多摩川の河口で人家が少なかったが、ここに映画の撮影所が出来たことにより、より多くの人が行き交うようになった。その後、昭和11年に松竹撮影所が大船に移転した後、高砂香料工業㈱がこの敷地を取得し、香料の生産に入った。戦前戦後を通じて蒲田は商業と工業の地として発展したが、この地における工場に対する法的な規制も厳しくなり、高砂香料工業㈱は工場の移転を検討することになった。
大田区は、この民有地に隣接する区有地を一体利用し、業務文化創造拠点とする方針を立て、これに呼応した民間事業者と官民一体となった施設を設ける共同開発事業を進めることで合意し、蒲田駅周辺整備基本構想を定めた。当初、民間所有の2棟のオフィスビルとそれに隣接する区有の多目的ホール等を有する文化施設が計画された。計画当初から竣工までの間、バブル景気からその崩壊という日本経済の波乱の中にあって、民間施設の規模の見直しなどもあったが、関係スタッフの苦労の末、昨年10月竣工に漕ぎ着けた。この地が香料の工場であったことからこれらの施設全体は「アロマスクエア」と名づけられた。
大田区民ホールの概要
この施設全体の基本計画・設計及びオフィス棟の実施設計・監理には清水建設一級建築士事務所があたり、区民施設の実施設計・監理は山下設計が、建築施工は清水建設他4社JVが行った。永田音響設計は、基本計画の段階から一連の音響計画を担当した。 大田区民ホールは、大ホール(1,477席)、小ホール(170席移動椅子)、展示室、2室のスタジオ等からなる複合施設である。大ホールは、舞台上に4分割される走行式反射板を備え、基本室形状をシューボックスとする音楽を主体とした多目的ホールである。客席はバルコニー形式で、サイドバルコニーは観客の可視線を考慮し、舞台に向って傾斜している。そのためシューボックス型バルコニー形式でありながら、ほとんどの席で舞台を見とおすことができる。
また、地下1階にある平土間形式の小ホールは、互いに隣接している大ホールおよび展示室との遮音性能を高めるため防振遮音構造を採用している。小ホールと展示室との間については、両室が一体にできるように、界壁を可動間仕切り壁としており、固定の遮音層として手動の可動間仕切り壁を2重に、さらに浮き遮音層として電動昇降式の壁を設けている。また小ホールの外壁側はサンクンガーデンとなっていて外壁面は全面ガラス窓になっている。外部は小ホールの前を野外ステージとして、小ホールをサテライトスタジオとして使える。防音サッシは躯体に固定され、室内の浮き遮音層として手動の可動間仕切り壁が設けられており、遮光、遮音の必要な時には可動間仕切り壁を閉じる。展示室側も含め、間仕切壁全て閉めた状態でBOX IN BOXが構成される設えとなっている。
ホールの運営
区民ホールの愛称「アプリコ」は大田区の花「梅」(Japanese Apricot)と(Art Prism in the City of Otaの略)を掛けて名付けられた。ここは(財)大田区文化振興協会の運営となるが、設計当初からプロジェクトのスタッフだった大田区の幸氏,則井氏が現在運営に携わっている。
アプリコでの興味深い企画として大学オーケストラフェスティバルがある。東京周辺の大学オーケストラに声を掛けて参加を募ってきた。幸氏,則井氏等自らの手で毎月「大学オーケストラFES.情報」というニュースを発行し、打ち合わせ記録などそれまでの経過を参加者に報告している。練習、演奏会場はもとより、プロのソリストとの共演も提供するという企画である。毎年の定期演奏会に加えた演奏会となり、大学オケにとって戸惑いもあるようだが、ホールスタッフの熱心な取り組みにより、参加者もまとまりつつある。今年6月にまず第1回が予定されている。毎年恒例の催しとして定着させてもらいたい。
また、魅力的なコンサートも企画されているが、公共ホールのため広報が地域周辺に留まりがちである。3/11(木)ミッシャ・マイスキーリサイタル、S席\7,000-にまだ若干空きがある。サントリーホールではほぼ同じプログラムで\12,000-。(小野 朗 記)
【問い合わせ先】大田区民ホール・アプリコ tel: 03-5744-1600
コンサートホールの電気音響設備(まとめ)
電気音響設備の設計は私どもの事務所で実施している音響設計の一部門であるが、室内音響設計、騒音防止設計とは建築設計の中での位置づけ、業務内容、そのすすめ方においていささか性格を異にしている。すなわち、明瞭度のよい音声の提供という基本的な機能はあるが、目標とする機能、性能が多岐にわたっており、数値的に掴みにくいこと、スピーカ、音響調整卓など製品を中心としたシステム設計であり、機器の選定、システムの構成、使い勝手などが制作現場関係者の嗜好に左右される傾向が強いこと、等々である。以上とは別の問題であるが、特集3(1999年の1月号)で示したように、大型スピーカはホール空間、とくに、コンサートホールにはなじみにくいという課題まである。
特集1の冒頭(1998年の11月号)で述べたように、わが国の電気音響設備は戦後建設された多目的ホールの舞台設備として発達してきた。その原動力はポピュラー音楽、目指す音の方向は大音量の再生といえるが、現実には多目的という曖昧な性格の設備が大多数であった。しかし、ここ10数年の間に、わが国には三つの新しいタイプのホール空間が出現した。これらは大容積多目的ホール、コンサートホール、オペラ劇場の三つである。これらのなかで、後者二つの施設の電気音響設備では従来の多目的ホールとは違って、明確な性格、機能、音の質が求められるようになった。
一昨年開館した新国立劇場の設計段階のある委員会の席上で、某オペラ演出家からオペラ劇場になぜこんな大規模な電気音響設備が必要なのか、と私どもの音響設備計画を真っ向から糾弾されたことがある。オペラ劇場では効果音の再生というわかりやすい機能があるが、生音を対象とするコンサートホールになぜ電気音響設備なのか、これは一般の方から見ればさらに疑問に思われることであろう。
音楽ファンの皆さん、コンサートホールでときどき、曲目の解説や演奏者との短い対話をお聞きになる事があると思う。音響効果がよいといわれているホールでなぜ話が聞き取れないのか、このような体験をお持ちの方は少なくないのではないだろうか。実は響きの豊かなコンサートホールで、聞き取りやすく高い明瞭度の音声を提供することは簡単ではない。
この原稿の執筆中にも地方のあるコンサートホールで朗読を交えたチェンバロ、歌曲のコンサートがあった。マイクなしに始まった司会者の声は聞きとりにくく、特に横向き、後ろ向きのときは殆ど聞き取れなかった。朗読もはじめはマイクなしであったが、途中からマイクが入った。多分、何らかの苦情があったのであろう。質の高い自主企画の番組を提供することを方針としてきたこのホールでも、当日の催し物にとって大事な要素である声の明瞭度についての取り組み方は慎重さを欠いていた。拡声音の明瞭度は、聴衆の有無によって、場所によって大きく異なるのである。これは音楽の聞こえ方のばらつきを遙かに越えている。朗読や話の内容がどこの席でも余裕をもって聞き取れること、これがコンサートホールにおける電気音響設備の基本的な機能なのである。この事実をリハーサルで確認すべきであった。
明瞭度が高く、聞き取りやすい音声を得るには、コンサートホールでは生命ともいえる豊かな残響音を抑え、直接音のレベルを大きくする工夫が必要である。高い天井をもつコンサートホールではスピーカの指向性を聴衆席に絞り込んで直接音のレベルをあげる、という手法が一般的に採用されてきた。スピーカの指向性制御はホール用スピーカシステムの大きな課題であり、指向性の異なったホーン型スピーカを組み合わせて聴衆席をカバーするというのが多目的ホールのスピーカシステムの定番だった。コンサートホールもこの従来型のシステムを踏襲してきたのである。しかし、スピーカの指向性という特性は特集1で説明したようにかなり曖昧なものである。それに、最近では、特集2で稲生が指摘しているように、指向性にこだわることによるホーンのひずみ、各スピーカの指向性が重なる領域での音質の不自然さなどが指摘されるようになった。
そこで、私どもの事務所が最近着目しているのが、スピーカの分散配置である。この方式は1995年3月、別府市のビーコンプラザのコンベンションセンターで試み、成功を収めた。この施設は、容積約100,000m3、収容人員8,000人の多目的空間で、従来の集中方式のスピーカシステムを採用せず、天井56ヶ所に112台のスピーカを分散配置した(本 News1995年7月号記事参照)。拡声音の明瞭度、聞き取りやすさは在来の大空間で体験している音の質をはるかに越えており、私自身、現場でその音質を確認している。
この分散配置方式の問題は音像の定位が得られないことである。これは催し物によっては音響設備の大事な機能の一つには違いないが、明瞭度と音像定位の両立は可能であっても複雑なシステムを必要とする。コンサートホールにおける音響設備は何よりも、まず、明瞭で聞きとりやすい音質を目標とすべきである、というのがわれわれの見解である。
コンサートホールの電気音響設備に求められる新しい機能が現代音楽への対応である。ここで求められるのは作曲家、あるいは演奏家の多様な要求に即時対応できるシステムの構築である。昨年の9月、東京オペラシティ「タケミツホール」で行われた現代音楽の演奏に際して、スピーカのセットアップにあたっての現場担当者の苦労を特集その2に稲生が報じている。ここでは弱音楽器への対応という機能、すなわち、繊細な音質が求められている。これは従来の大音量指向の音響設備では着目されていなかった機能である。
これまで、音響設備は据え付け工事完了後、テストCDの試聴と拡声のテストで音質を確認するということで終わっていた。コンサートホールのオルガン工事では調律とは別に整音という仕上げの作業があり、通常3~6ヶ月という期間が行程に組み込まれている。電気音響設備も最終段階の作業として、当然、音質の調整、仕上げという作業が必要であるというのが音響設計者として、建築設計、工事関係者にぜひ理解していただきたい課題である。分散配置方式ではとくにこの調整が重要であり、調整前の音が最終の調整によって見違えるように仕上がってゆくことを多くの現場で体験している。
最近のオペラハウスやコンサートホールの電気音響設備の現場や音響技術者との話合いの中から、これまで全く別の世界のように思ってきた電気音響設備の音について、クラシック音楽と同じ土俵で話ができるようになってきたことを感じている。よろこばしい事である。耳を抑えたくなるような音ではなく、自然に楽器と打ち解け会う音が音響設備にも求められるようになった。これはオペラハウスやコンサートホールの音響設備から生まれた新しい音の世界といってよいであろう。(永田 穂 記)