クィーンズランド音楽院の音響設計
News8月号でも触れたが、オーストラリア・ブリスベンのクィーンズランド音楽院が竣工・オープンした。ブリスベンはオーストラリア第3の都市で、クィーンズランド州の州都である。日本からの観光客が多く訪れるゴールドコーストへの玄関口として有名で、赤道を軸としてほぼ沖縄と対称な緯度にある。温暖でとても過ごしやすい街である。
クィーンズランド音楽院は、クラシック音楽専攻のほかにジャズや音楽録音を学ぶコースもある総合音楽大学である。現在はGriffith Universityに属している。施設の老朽化にともない、今回の移転新築が計画された。敷地は、1988年に開催された万国博覧会跡地の記念公園の一画が充てられ、州立のパフォーミングアーツセンターに隣接している。
新音楽院は、700席のオーディトリウムを核として各種レッスン室・スタジオなどの他に、オペラ・ミュージカルの製作スタジオも併設している。オーディトリウムについては、音楽院の授業・試験など学内での利用に加えて、クィーンズランド・リリック・オペラのツアー用オペラ・ミュージカルの製作・上演や公園内という立地を生かした一般開放など、幅広く音楽に関連した催し物への対応を前提とした性格付けがなされていた。われわれは、地元の設計事務所Bligh Voller Architect Pty. Ltd.(BVA)からの要請で、プロポーザルの段階から参加した。Bligh氏は、日本のホールの可変機構に興味を持ち、またその効果を高く評価しておられた。日本各地のホールでの公演経験を持つ元ロンドン・シンフォニーの元首席オーボエ奏者で前音楽院長のAnthony Camden氏や、指揮者で音楽院でも教鞭を取っておられる朝比奈千足氏の助言が、我々への要請のきっかけになったと聞いた。最終選考では、上質な響きが確保しやすいシューボックス型形状と、高度な多目的利用のためのステージ音響反射板・ステージ迫り・残響可変装置の導入を提案し、設計チームに指名された。新音楽院の総工費は、延床面積約8,500m2に対して約20億円で、日本の半分以下である。オーストラリアもアメリカなどと同様に、音響に関係する部分は音響コンサルタントが設計図書作成まで行うのが普通のようである。今回は予算的な制約や設計システムの違いもあって、我々はホールの室内音響と電気音響設備に関連した事項の検討と提案を行い、BVAが設計図書に反映するという役割分担で設計が進んだ。騒音制御に関しては、法規や対策方法など現地固有の状況判断も必要となるので、地元のコンサルタントRon Rumble氏が担当した。現地とはFAXでのやり取りが中心でそれなりに時間はかかったが、その時間がむしろお互いの意向を咀嚼するのに役立ったように思う。
ホールの大きさは、客席幅約20m、天井高さ15m。走行式音響反射板をセットしたコンサートモードの室容積は約9,000m3で、余裕のある空間となっている。また、かぶりの無いサイドバルコニー席と正面2階席を含めて、客席数643席である。コンサートモードのステージ床前部は 、リリックモードでは迫り機構によりオーケストラピットに設定されるので、両モードでの客席数の増減はない(東京文化会館もこのタイプである)。このタイプは走行式反射板も1段で済むので、ステージと客席をより連続的、一体的に繋げ易い。また消防法の関係から、プロセニアムアーチやステージ床と反射板との隙間は、ほどんど無いくらいに密閉される。音響反射板には、開けたとき有孔吸音面が現れるステージ空間の微調整のための小扉(1mx4mx7枚)を設けてもらった。ピアノソロなどの場合に、ステージ空間の響きを多少抑えることを意図したものである。竣工後の試聴会では、ピアノ以外にもこの状態を好む奏者が多かった。
側壁中段には、壁から多少離れて昇降する客席空間の音響可変のための吸音パネル(グラスウールボード)を設備してもらった。パネルの総面積は約200m2で、空席時の中音域における残響時間は、コンサートモードで1.7~2秒、リリックモードで1.3~1. 5秒 まで変化する。パネルは壁と同色のクロスで包まれているので、意匠的にはほとんど変化がわからない。
施工期間中はさすがにFAXのやり取りだけでは不明確な事項もあるので、現場確認も兼ねて数回現場を訪れた。現場では、床・壁・天井や反射板の仕上げなどのポイントとなる部分のモックアップを用意してくれるなど、スムースなコミュニケーションを図るためにいろいろな配慮をしていただけた。それでも最後にきて、反射板のパネル接着が不十分で裏側にたくさんの空隙があることがわかり、全面張り直しを要請するといった場面もあった。現地では、元請けが下請けに工事の一部分を丸投げして、元請けではその工事確認も含めて全く関与しないこともあるようである。反射板もそのケースで、元請けはパネルがほぼ貼り終わるまで、そのミスに気付かなかった。他のミスも重なって、竣工は約2ケ月遅れたが、今年の5月末には無事竣工した。設計から完成までの3年半は、日本と変わらないスピードである。
竣工後準備期間がまったく無いままに、リリック・オペラが”ドン・ジョバンニ”の仕込みに入り、6月12日には幕をあけた。我々は不安を感じながらも、東京でその成りゆきを見守るしかなかった。幸いにも公演は大成功で、ホールが順調なスタートを切ったことを聞いて、まずは胸をなで下ろした。8月号でお伝えした試聴会は、このオープニングのあとの話である。言葉の壁もあってこちらからのレスポンスには多少の時間を要したが、意図を簡潔に伝えるために事柄を整理するのには良い機会であった。(小口恵司 記)
サントリーホール開場10周年を迎えて
東京で初めてのクラシック専用コンサートホールとしてサントリーホールがオープンしてから、この10月で丸10年を迎えた(1986年10月12日オープン)。ベルリン・フィルハーモニーホールを範にしたワインヤード形式の客席配置、数々のユニークなコンサート企画、ホワイエでのアルコール類の販売や訓練されたレセプショニストたちによる客案内サービスなど、サントリーホールがハード、ソフト両面にわたって提供してきたものは、当時はもとより現時点においてでさえ画期的といえるものである。東京のクラシックのコンサートシーンをこの10年間で全く変えてしまったといっても過言ではなかろう。
この10年間の総公演回数は大小ホール合わせて約6,100回、観客入場者数は約640万人を数える。世界中の多くの演奏家達が、日本公演に際してサントリーホールでの公演を指定するという。10周年目のこの10月は、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルをはじめとする記念公演の数々が目白押しで開催された。このようなきらめくビッグな公演の合間に、”レインボウ21”と名付けられた若い音楽家の卵たちによる5日間の公演が小ホールで開催された。東京の音楽大学の卒業生たちによるデビュー公演として、ホール自身の手によって企画、提供されたものである。ホールでは”新世紀の架け橋”と題して、これからの才能を育てていく地道な活動も今後の重要なテーマとして展開していくようであり、注目を浴びる派手な公演ばかりではないこれらの地道な活動に拍手を送りたい。
すでに、欧米の名だたるコンサートホールに比肩出来るだけの要因を備えてきているといってよいサントリーホールであるが、欧米の名ホールに対して唯一欠けている点は、未だにレジデントといえるべきオーケストラが存在していないことであろう。ここでいうレジデントオーケストラとは、そのホールで定期公演を行うだけではなく、日頃のリハーサルまですべてそのホールで行うオーケストラのことである。サントリーホールに限らず、わが国ではこのようなコンサートホールと常設オーケストラの関係は非常に難しいことのようである。先だって日本フィルのヨーロッパ公演に参加して聞いた5会場のうちの2カ所(ロンドンのロイヤルフェスティバルホールとミュンヘンのガスタイクホール)において、日本フィルのゲネプロ前に地元オーケストラのリハーサルが入っていて、早めに会場入りした楽員達はそれらのリハーサルが終了するまで足止めを食うという状況に出交わした。コンサートホールとオーケストラの関係において東京と比較的似た環境にあるロンドンにおいてさえも、午前中や午後の早い時間は定期公演を行っているオーケストラによるリハーサルの時間に当てられているのである。コンサートホールとオーケストラは切っても切れない関係にあり、両者のより密接な関係が双方にとってより良い結果を生むことは疑いの無いところである。複数のオーケストラとそのような関係であり続けることも不可能な話ではないであろう。世界のサントリーホールとしての一層の飛躍のためにも、レジデントオーケストラが存在できる環境を熱望して止まない。(豊田泰久 記)
オルガン界の二つのNEWS
オルガン歴史紀行 ヨーロッパ・オルガン音楽の5世紀
サントリーホール10周年記念フェスティバル公演の一つとして、11月4日の午後、標記のコンサートが開催された。これは開館以来ホールが自主企画として行ってきたオルガンシリーズの集大成として行われたコンサートで、構成とその演奏者は以下の通りである。
第一部 バッハへ至る道–16世紀~バッハ オルガン:今井奈緒子
第二部 受け継がれる遺産–バッハ~ドイツ・ロマン派 オルガン:松居直美
第三部 フランスを聴く–フランス・オルガン音楽の5世紀 オルガン:早島万紀子
第四部 20世紀を見つめて オルガン:三浦はつみ
このコンサートは開演が午後の1時、途中3回の休憩をはさんで終了が6時45分というワーグナーのオペラを思わせる長大なコンサートであった。しかし、各部には東京混成合唱団による合唱が1~2曲加えられ、オルガン音楽の緊張感から解放される一時があった。
コンサートオルガンという制約の中ではあったが、ドイツバロックからフランス古典、ロマン派を経て、現代まで32曲に及ぶオルガン曲を集中して聴くことができたことは貴重な体験であり、また、この楽器の特色を再認識することができた。私の印象では第3部の早島さんによるフランスものが一段と輝いていたように思えた。また、第4部のオルガンの現代曲からはコンピュータ・ミュージックを思わせる音空間(清水研作:宇宙)と同時に、オルガンが祈りの音楽の中で生き続けていること(コダーイ:ミサ・プレヴィスより)を感じた。
連日演奏会が続いているこのシーズンに、各オルガニストの方々の練習、それに、オルガンの調律はどこまで可能だったのだろうか、このような点が気になった。このオルガン、来年はビルダーによるオーバーホールが予定されているとのこと、10年を越す年月のなかで、ホールの響きとともにオルガンの音色も一層磨かれてほしいと思う。(永田 穂 記)
松山教会のTaylor & Boody オルガン
松山教会のTaylor & Boody オルガンが今月完成し、11月10日の礼拝に初めてオルガンの響が会堂を満たした。2段鍵盤、22ストップのこのオルガンは会衆席後方のバルコニーに設置されている。16世紀のオランダのオルガンの響きを指向したといわれるこの楽器は鉛のパイプを中心に構成され、その音色は優美でしっとりとして美しく、声を誘いだすような魅力をもっている。なお、この会堂の音響はTaylor氏の要請で永田音響設計が改修設計を行い、天井の吸音面を塞ぎ、バルコニー周壁のボード壁を撤去し、低音の響きの増強を計った。(永田 穂 記)