オーケストラと練習室とコンサートホール(その2)
前々号(1996年1 月号)で、オーケストラとその定期公演会場であるホールとの関係がいかに重要かということ、そしてわが国独特のオーケストラの専用練習所というのは、いかに立派でもオーケストラの音作りをする場としては必ずしも理想的ではないということを紹介した。
日本の、特に東京や大阪をはじめとする大都市のコンサートホールにおいては、色々な演奏家やオーケストラが次々に来演してその腕を競いあうように公演を繰り広げている。東京では昔は東京文化会館、今ではサントリーホールやオーチャードホール、東京芸術劇場などで毎晩のように豪華なコンサートが催されている。
一方で、必ずしもオーケストラ用の大型ばかりではないけれども、中小まで合わせると数多くのコンサートホールが全国あちらこちらで建設されてきている。しかしながら、何の努力をしないでも公演が埋まるホールはほとんどなく、大多数のホールでは稼働率の低さに頭を悩ませているのが現状である。時にはその稼働率の低さが「閑古鳥の鳴くホール」としてマスコミなどに取り上げられるケースもある。
オーケストラ、あるいはもっと小編成の室内楽やアンサンブルでさえ練習会場の確保がままならず大変な苦労をしていて、しかも本公演のコンサートホールとは全く音響の異なったところでアンサンブル作りを強いられているという状況と、一方で少しでも稼働率を上げるため様々な工夫や努力をしているホール、何とかこの両者を上手く結び付ける手だてはないものであろうか。オーケストラやアンサンブルはあまりにも大都市に集中しており、稼働率の低いホールとは地理的条件が違いすぎる。仮に可能であったとしても、オーケストラにはとても賃貸料金を払ってまでホールでリハーサルをするような余裕などない。ホールとしてもリハーサルでは貸ホールとしての収益にはつながりにくいし、公演の可能性をつぶしてまで定期的にリハーサルのためにホールを貸しだすわけにはいかないというのが一般論である。空いているホールでオーケストラの練習をというのはそう単純な話ではない。
ホールの計画、設計段階においては、しばしば既設ホールの見学のアレンジを依頼される。東京のサントリーホールをはじめとして、話題のホールには見学依頼をして同行することが多い。大体このようなホールは比較的忙しくて見学の日程を取りにくい。そのような場合でも、午前中であれば大抵見学可能なことが多い。サントリーホールの見学のアレンジを依頼された時は、予め当方で午前中をとお願いしている位である。
ならばの話であるが、この午前中にオーケストラの練習を行うというのは無理な話であろうか。日本のオーケストラがホールで公演を行う場合、当日の会場練習いわゆるゲネプロは夕方4 ~5 時から1 ~2 時間程度というのが一般的なようである。そのゲネプロの前1 ~2 時間位は楽器の搬入やセッティングに必要とすると朝9 時~午後2 時位までは練習時間として使えそうである。常日頃のオーケストラの練習時間帯とは違ってくるかもしれないが、いつも本公演会場のホールで練習できることのメリットはあまりにも大きい。欧米の主要オーケストラの場合はホールとオーケストラが表裏一体であり、自分達のホールで練習も公演も行うというのが当たり前なのだから。各々のホールの音響の特徴、特質が結果としてそのオーケストラの音色に色濃く反映され、いい意味でのオーケストラの個性が形成されているのである。
欧米の著名なコンサートホールにおいても、そこのフランチャイズオーケストラ、いわゆる座付オーケストラの公演だけではなく他のオーケストラによる客演コンサートももちろんある。座付オーケストラの練習と客演オーケストラの公演が重なった場合は、やはり座付オーケストラの練習が午前と午後の早い内に行われて、その後に客演オーケストラのゲネプロと本公演が行われるようである。そういえば、日本のオーケストラの場合は本公演前のゲネプロは直前の夕方というのが通り相場のようであるが、海外のオーケストラの日本公演では午前中のゲネプロということがしばしばあると聞いている。ここらあたりに普段の練習の時間帯の違いが表れているのかもしれない。
現在、東京のホールとオーケストラの関係は非常に特殊な状況にある。9 つものオーケストラが限られた数のホールに分散同居という形である。10年位前まではN響以外のすべてのオーケストラが東京文化会館に集中していた。同じ環境で教育を受けたプレイヤーが同じホールでコンサートを行っているオーケストラに所属し、しかもある程度限られた顔ぶれの指揮者が次々に各オーケストラに現れてということになると、各オーケストラの音色などの特徴が似てこない方が不思議である。現在はNHKホールのN響を除けば、東京文化、サントリー、オーチャード、東京芸術劇場という4 つのホールが主な本拠地となっており、以前よりは分散状態となっている。各々のホールの特徴がオーケストラの個性となって生かされるよう期待されるところであるが、いくつかのオーケストラは定期公演以外にも定期的なコンサートを別のホールで行っており、結局のところはやはり各オーケストラが似たような環境にある。ホールで普段の練習ができないのだから、そうでなくとも本拠地となるべきホールとの緊密な関係を持つのが難しいのに、いわば複数の本拠地を持つ形での公演の在り方というのはどんなものであろうか。もちろん、興行上の様々な理由があってのことであろうけれども。
東京のオーケストラとホールの関係、環境は決して望ましい状況にあるとは思えないが、地方の主要都市の場合は少なくともひとつの都市にその都市を代表する唯一のプロオーケストラが存在しているという点で多くの欧米の都市の状況に近い。札幌の札幌交響楽団、仙台の仙台フィルハーモニー、名古屋の名古屋フィルハーモニー、京都の京都市交響楽団、広島の広島交響楽団、福岡の九州交響楽団などである。名古屋、京都、福岡などでは相次いでコンサート専用ホールが誕生しているし、札幌は建設中、仙台にも計画がある。このような都市では東京や大阪が望むべくもないような理想的なオーケストラとコンサートホールの関係を実現できる環境にある。しかし、残念ながら未だに日常の練習までを含めたオーケストラの活動すべてをコンサートホールで行うという欧米での常識を実現できているケースはない。このような状況では、わが国ではハードばかり先行して、それを使いこなすソフトが貧困であるといわれても仕方があるまい。野球やサッカーのように地元をあげての誘致合戦、応援、そしてそれを地元として誇りにするようなサポート体制は、オーケストラそしてクラシック音楽界の場合はまだ無理なのであろうか。そこまでまだ文化が成熟していないのであろうか。
オーケストラ自身にも解決すべき課題が多いことはもちろんである。公共のホールで特定のオーケストラの練習まで含めた専用ないしは優先使用を認めることは、そのことに多額の税金をつぎ込むことを意味する。それらの実現に対しては何よりも、そうすることが当然というある程度の一般的なコンセンサスが必要である。残念ながら現状ではそのようなレベルには至っていないのが正直なところである。
オーケストラのレベルを上げるためにはコンサートホールでの練習という環境を整えることが望ましいし、それを実現できる環境作りのためにはオーケストラのレベルをもっと上げる必要があるという、いわば「鶏と卵」のような関係にある。しかしながら、現実にはコンサートホールはどんどん出来てきており、まったなしの状況にあるのである。これらの建設が是非ひとつのきっかけとなって欲しい。無策ではハード優先といわれても仕方がないし、誕生しているコンサートホールがあまりにかわいそうである。
オーケストラの練習を午前中に行い、夕方から公演のために貸し出すという方法を問題解決の糸口を見い出すひとつの考え方として提案したい。(豊田泰久 記)
Newsアラカルト
バッハ・コレギゥム・ジャパンの活動
バッハ・コレギゥム・ジャパン(BCJ)はオルガン・チェンバロ奏者の鈴木雅明氏によって結成されたバロックアンサンブルである。オリジナル楽器によるオーケストラと合唱団によるバッハのカンタータの全曲演奏を目指して、東京のカザルスホール、神戸の松陰女子学院チャペル、大阪のいずみホールなどで演奏活動を行っている。3 月4 日、5 日の両日、結成5 年目の定期コンサートがカザルスホールで行われた。
指揮者の鈴木雅明さんにお目にかかったのは松陰女子学院のチャペルの演奏会で、もう10年以上前になる。なかでも、1986年4 月、同チャペルで行われた第4 回のオルガン会議での、あのガルニエ・オルガンを駆使された鈴木さんの演奏の感動は忘れ難い。オルガン音楽のすばらしさを満喫できた一時であった。「名馬を駆使した名騎士の技」であるとオルガンニュースに記したことを覚えている。性にあった楽器を弾きこなすこと、これは現在のコンサートホールのオルガンでは不可能なことであろうが、オルガンという楽器にとって、どれだけ重要なことなのかをこの時初めて体験した。
宗教曲というと荘重な音の世界を連想するが、鈴木さんによるバッハは色彩も豊か、律動感があり、鮮やかな演奏である。それに、オリジナル楽器によるこのアンサンブルも実に美しい。演奏の前に丹念な音合わせがある。
バッハの時代に忠実な演奏を目指しているBCJの演奏では、ピッチ465 という、バッハのミュールハウゼン時代のスタイルによる演奏もあった。また、定期演奏会の間にモンテヴェルディなどルネッサンス期の音楽の演奏もあり、音楽の原点ともいうべき世界にふれる事ができる。
ここの演奏会のプログラムは有料、といっても500 円であるが、曲目の解説、歌詞の原文と訳文にとどまらず、楽器の話し、ピッチや調律法など当時の演奏状況などについて読み応えのある内容である。音楽ファンには貴重な資料である。
最近、このBCJの活動は海外でも着目され、スウェーデンBIS社によって、バッハ教会カンタータの全曲録音が開始されており、現在、ヨハネ受難曲(カザルスホール)、カンタータ全集-1(松陰女子学院チャペル)などが発売されている。
1996年度前期の定期演奏会は4 月16、17日カザルスホールにおいて行われる。定期会員賛助会員の申込、CDの問い合わせは、日本文化財団、BCJ担当 武田まで。
〒100 千代田区霞ヶ関 3-2-5 霞ヶ関ビル31F 、Tel:03-3580-0031 (永田 穂 記)
本の紹介
『ただいま放送中』─音楽番組ウラおもて─ 大塚修造 著 音楽之友社
拝読すると、著者の大塚さんは私より5 ~6 年あとでNHK に入られたようである。NHK 時代、私は砧の技術研究所だったから、音楽番組担当の大塚さんとはまったく面識がなかった。それが、とあるコンサートでお目にかかり、NHK のチーフ・ディレクターとして、音楽ファンにはお馴染みの数々の名番組を担当されてこられた事を知った。実はこの本を大塚さんからいただき、舞踏会の手帳ではないが、戦後の混乱期、心の支えであったNHK の音楽番組の数々を思い起こしたのであった。
現在の東京ではクラシック音楽の主舞台はホールの生演奏にある。しかし、東京文化会館がオープンする昭和36年頃までは、音楽ファンにとって、NHK の音楽放送は何よりの「音楽の泉」だったのである。大塚さんは放送会館がまだ新橋にあった時代、巷にLPが登場し始めた時代から、ラジオ放送、FMステレオ放送、テレビ放送の音楽番組制作で活躍されてこられた。
音楽番組ウラおもての副題をもつこの本の内容は、「世界の音楽」、「名演奏家の時間」「土曜コンサート」など懐かしい音楽番組の紹介から、企画の話し、放送で活躍された解説者や音楽家達、スタジオ録音での技術者とのやりとり、LPレコードの扱い方、失敗の数々など多岐にわたっている。
大塚さんの言葉をかりると、いまは豊饒と喧騒の時代、大塚さんが仕事を始められた昭和30年代の前半はラジオがまだ感動の泉だった時代である。当時、われわれ技術陣もよい音を求めて全力を傾けていた。当時のあれこれを思いだしながら拝読した。(永田 穂 記)