長唄三味線演奏家 今藤政太郎先生にきく
先月15日、クラッシック専用としてオープンした紀尾井ホールは、この5 月9 日、邦楽専用の小ホール(250 席)も柿葺(こけら)落としを迎えた。その柿葺落としにも出演なさった長唄三味線奏者の今藤政太郎先生に、邦楽ホールのオープンを控えた4 月の終りにお話をうかがった。
今藤先生は、鼓の4 世藤舎呂船、太鼓の藤舎せい子の長男として生れ、三世今藤長十郎に師事。演奏家としてはもちろん、邦楽の作曲家としても舞踏家長嶺ヤス子さんとの共演(『娘道成寺』、『卒塔婆小町』など)の他、またごく最近では、篠田正浩監督の映画『写楽』でも邦楽の作曲を担当するなど幅広く活躍なさっておられる。
これまではほとんど多目的ホールで演奏されてきた邦楽に関して、この度専用のホールが初めて誕生したことは、内外で注目を集めている。日本でも初めての邦楽専用のホールの誕生にあたって、今まで邦楽に触れられる機会が私自身少なかったため、響きの基準がよくつかみきれないまま試演にも立ち会わせていただいた。今回は、江戸時代から続く日本の近世邦楽と近代の産物であるホールの音響設計が、日本でも初めての顔合わせとなったわけである。西洋のクラシック音楽を中心に発展してきた響きの設計という操作が、わが国の文化遺産である邦楽とどの様に関わっていったらよいのかを知るためには、まず邦楽そのもののコンテクストを理解しなくてはならないだろう。そのためには生の音楽にまずどんどん触れることが必要であろう。今回のインタビューはごく短い時間ではあったが、オープン前の試演の話を中心に、邦楽とホール、演奏形態や楽器と響きの関係などについてお話をうかがった。(以下、今藤先生をI、聞き手の永田美穂をNとする。ちなみにここで言う「試演」とは、3 月に邦楽ホールで行われたもので、所作台や吸音板を取り外したり、屏風の位置を変えたりしながら響きの違いを検討したものである。)
N:まず試演をなさってのご感想は?
I:全般的に良かったと思います。一人一人の演奏家の音の出し方の癖のようなものまではっきりと出ていて、逆に言えば怖いくらいでした。
N:山台や屏風の位置など、ほんの少し変えるだけで随分響きが変わりましたね。
I:本当に一回ごとに微妙な音のちがいが現れてましたね。一つのホールでも使用条件によって響きが大きく変わること、しかもそれが一人だけではなくて、皆が同じ様に感じるということが明確に分かって面白かったです。
N:残響はもう少しあってもいいのでは、という意見もありましたが?
I:それも楽器によって違いがありました。直に楽器を置くお琴の場合は充分という気もしましたし、反対に踊りには必須の所作台が、三味線にとっては響きを吸い過ぎているようにも聞こえました。微妙なところですね。
N:屏風が視覚的なだけでなく、響きに対しても反射板のような役割を果たしているとは驚きました。
I:確かに屏風の位置が前後すると、演奏している僕たちにとっても音の反射がはっきりと変わってきます。それと同時に屏風には、「場を区切る」というような何か別の重要な意味もあるのだと思います。つまり後ろのものを見えなくするというような役割です。学問的に正確なことはよく分からないのだけれど、屏風には幕と同様、仏教用語でいう「結界(けっかい)」と同じような意味合いがあるのではないでしょうか。ここから先は異なる世界だというしるしを表すようなもの、という意味でですが。それからもちろん、舞台の見栄えとしての装飾的な機能も大いにあると思います。
N:この幕というのも、コンサートホールにはないものですね。
I:幕には先に述べたような、異なる世界のしるしの働きがある一方で、これは僕ら邦楽の演奏家にとっては、とても重要なものなのです。たとえばクラシック音楽の場合、どんな編成でも、お客さんの目の前でチューニングが可能なわけですけど、邦楽の場合はそうはいきません。つまり楽器の性能としてとても狂いやすいので、調子についてはお客さんの前に出る前にきっちり合わせなければならないのです。もちろん洋楽器の場合も、ある程度は、舞台の袖でチューニングを済ませて出るのでしょうが、三味線の場合、とにかくほんのちょっとの間にも音が狂ってしまうので、演奏できる準備をして、すぐに始めなければなりません。だから演奏の直前まで舞台を隠す幕が、邦楽の演奏には必要になってくるのでしょう。
N:それから演奏者の配置のことなのですが、この間の試演で初めて意識したのですが、邦楽の場合は、オーケストラとはまったく反対の論理で演奏者が並んでいるのですね。つまり音量の大きな、鼓や笛などが前列に並んでいて、唄と弦楽器の方が後ろなのです。オーケストラならば、弦楽器群が一番前で、管楽器や打楽器類は後ろですよね。お三味線と声だけならとてもバランス良く響くのですが、華やかな曲になると、明らかにお囃の方が目立ってしまうように思われたのですけど?
I:確かにそうですね。これは何時頃から定着したものなのかよく分かりません。ただこれまでにも、お三味線を前にしたりと色々試みられたことはあったようです。でも結局、今のかたちが一番演奏しやすいということになっているんです。それは、邦楽には指揮者という存在がありませんから...。つまりお三味線で立てを務める人(*向かって一番左)がいわば指揮者の代わりをつとめなければならないわけです。そのため、唄やお囃の人たちのことも察しながら演奏できる位置というと、あのような配置しかないわけです。お三味線が前に来てしまうと、お囃の人は見えませんから。
N:なるほど、そういう理由もあったのですね。さてそれから私自身、生で邦楽を聴いたという経験はとても少ないのですけれど、これまで邦楽は東京でいえばどのようなホールで演奏されていたのですか?その中で比較的、邦楽にとっていい響きのホールがありましたら教えてください。
I:今まで主に演奏してきたのは、国立劇場の大・小劇場、新橋演舞場、歌舞伎座、それから朝日マリオンなども時たま使います。今はなくなってしまいましたが、日比谷の第一生命ホールというところでもよく演奏していました。国立劇場は、大・小劇場とも数多く場を踏んでいますから、馴染みがありますね。それから演奏家の間で演奏しやすいと評判なのが、九段下にある日刊工業ホールですね。三味線という楽器はもちろん弦楽器ではあるのですが、僕らの感覚からいうと、バチで叩くというある種打楽器的要素の強い楽器なのです。こうした特性からみると、この日刊工業ホールで弾くと、叩いた音が「パーン」と心地好く返ってくるので、とても演奏しやすいし気持ちも良いのです。
N:今回、紀尾井ホールの試演で弾かれてみて、これまで演奏してきたそのようなホールとの違い、異なる感覚のようなものはありましたか?
I:そうですね。それは自分が演奏する時よりも、他の人の音を聴いた時に明確に違いを感じました。試演では長年一緒に演奏してきた馴染みの人たちの音を聴いたわけですから...。今までの延長線上で考えると、一緒に演奏している時よりも客席で彼らの音を聴いた時の方がはるかによい響きでした。ホールの音というのは変わっていくものだと思いますし、これからも使う側が真の意味でホールをソフト化できれば音もどんどん馴染んでいくと思います。
N:将来的に、邦楽演奏家として、音響の分野に望まれることはありますか?
I:そうですね。邦楽と一口でいっても、華やかな長唄のような世界もあれば、付き物(*お囃)のないお座敷唄のような宮園や一中節、それから三曲のようなものまで様々あります。これから演奏会の性質のちがいによって響きをある程度、可変可能にできるとありがたいですね。それもスタジオのような人工的なやり方でなく、自然でいながら生の音を満喫できるかたちでできると嬉しいです。
N:最後に、今後の紀尾井ホールでの活動についての抱負などをお聞かせいただけますでしょうか。私としましては、邦楽と洋楽、両方の情報が得られることにも期待しているのですけど...?
I:そうですね、これまで僕ら、邦楽の演奏家が発信するメッセージが少なかったし、限られた人たちにしか伝わっていなかったように思います。その意味ではこれまでクラシック一辺倒だった方たちにも、たとえばお味噌や納豆のように日本人として合う音楽の味わいを、今ある文化として楽しんでいただけたらと思います。
N:ありがとうございました。
(対談を終えて)以上の話の他、この時、今藤先生には忘れられない演奏会のことなどもお話いただいた。昭和32年頃、歌舞伎座で開かれた無形文化財の方々を集めての演奏会は、どれも涙が止まらないほど素晴らしかったとのこと。日本初の邦楽専用の紀尾井ホールからも、新たな感動が生まれることを楽しみにしています。(永田美穂 記)
NEWSアラカルト
時を刻む会の発足
究極のアナログレコードプレーヤーを求めて20年余開発を続けてこられた寺垣さんとそのプレーヤーについては本誌78号、および81号で紹介した。この寺垣さんとともに、アナログオーディオの復興を目指す会の設立が模索されていたが、この度、「時を刻む会」として発足することとなり、6 月9 日午後6 時、赤坂プリンスホテルにおいて発足記念パーティが行われる。混沌としたオーディオ界に新しい道が開けることが期待される。ソニーの中島平太郎さん、パイオニアの山本武夫さん、それに私永田も発起人として参加している。会員を募集中である。会のパンフレット、入会の申込用紙は永田技研にあります。関心のある方はFax 03-3371-3350まで連絡いただければ、書類をお送りします。
本の紹介
『マイクロホン・スピーカ談義』田中茂良 著 兼六館出版 定価3800円
私がNHK 技術研究所に在席していた当時、音声の現場には何人かの音の侍がおられた。彼らに共通していたのは、音創りに対しての意気込みと誇りであり、この侍たちが当時のNHK の音を築いていた。田中さんはその一人、侍といっても、田中さんは朊装から行動までダンディの最先端をゆくスマートボーイであった。この田中さんについて忘れる事ができない一コマがある。それは彼が札幌の現業にいた時の事、当時、内幸町にあったNHK ホールが活躍していた時代であるから、多分昭和30年の中頃のことであろう。このホールはもともとコンサート用として計画された680 席のホールであったが、NHK のテレビ放送への大きな方向転換とともに、公開番組用ホールとして姿をかえていった。彼は札幌にいて、ある日突然、NHK ホールの音が変わったことに気付いたとの事、それはこのホールにテレビ用の照明やバトンが吊されたためであった。私はあのラジオの音から、このようなニュアンスが聞き取れる彼の耳の感性と集中力に感心したのであった。
この本はマイクロホン、スピーカという音響機器としては、音場との接点にあたる最も面倒な、それだけに、嗜好や流行が入りやすい部門について、その基本的な作動原理から使い方まで、今流の言葉をかりればハードからソフトまでを対話という形式をとりながら分かり易く解説した本である。構造から音色の特色、音場との関係、ステレオの話し、物理的な特性の意味、それに等価回路の説明まである。また、最近話題になっているドルビーサウンド、ハイビジョンにおける聴取環境の音響からDSP を利用した新しい計測法までが600 ページに盛り込まれている。マイクロホン、スピーカ・ハンドブックといってよい性格の本である。
電気音響関係の仕事に携わっておられる方はもちろんの事、建築音響に関わっているわれわれにも重宝な本である。とくに、電気やエレクトロニックスの専門家以外の方々に親しみやすい本として推薦したい。(N)