No.076

News 94-4(通巻76号)

News

1994年04月15日発行

サラマンカホールのオープン

 新幹線の岐阜羽島駅から長良川の堤にそって車で約20分、国道21号線の岐阜県庁の近くに“県民ふれあい会館”が今年の1 月にオープンした。この会館は3 棟からなり、第1棟は県の関連団体、公社の事務棟、第2棟が研修施設、第3棟が700席のコンサートホール、サラマンカホールである。4月8日、このホールのオープン記念式典が行われ、引き続いて記念シンポジゥム、演奏会が開催された。

サラマンカホール
県民ふれあい会館全貌

 まず、サラマンカのいわれからご説明しよう。サラマンカ市はスペイン・マドリッドの北西約200km に位置する古い大学都市で、この名前には「川の流れを見渡す町」という意味があるとのこと、この会館の14 階の展望レストランからも眼下に長良川の流れを見渡すことができる。また、岐阜県白河町に在住のオルガン建造家の辻宏さんが、サラマンカ大聖堂のオルガンの修復を手掛けられたという縁も重なって、サラマンカ市との絆がうまれ、サラマンカホールの誕生となった。現在、このホールには辻さんの手によって、スペイン系統のオルガンの組み立てが進行中であり、来年完成の予定である。ホールの音響設計、音響特性の詳細はオルガン完成時の測定のあと報告する予定である。

 式典では駐日スペイン大使ら来賓の挨拶に引き続いて、東のサントリーホール、西のいずみホール、3 ホールが姉妹ホールとして提携し、情報交換、共同企画、事業協力、人材育成などについて協力することをうたったレリーフが代表者間で交換された。

 記念シンポジゥムは「21世紀の響き─21世紀に音楽と地方がどうかかわるか」というテーマで行われた。司会は作曲家の諸井誠氏、パネラーは作曲家の武満徹、指揮者の若杉弘、岐阜県知事の梶原拓の3 氏、壮大なテーマだけに世紀末論、クラシック音楽崩壊論、カラオケ文化の功罪などがとびかったが、結論として、地方はこのような文化施設を若い世代の創造性を育てる実験工房の場として活用すべきである、というのが一致した方向であった。また、岐阜県としては音楽療法研究所をすでに発足しており、ホールを活用した今後の夢が語られた。

宮崎県立劇場 須藤オルガンを訪れて

 宮崎県立劇場は昨年11月にオープンした大型複合文化施設である。そのコンサートホール(客席数1,800)に4 段鍵盤、66ストップのコンサートオルガンが設置されている。このオルガンの製作者が須藤宏さんである。1 月から行われている披露演奏会の最終回の3 月23日、早島万紀子さんの演奏会の日に須藤さんを現地にお尋ねし、オルガン建造についての話しを伺った。

 各地に立派なコンサートホールが次々とオープンしている今日であるが、オルガンおよびオルガン音楽は一般の音楽界から一歩外にあるという感がある。しかし、このわが国にも、何人かのオルガン建造家が活躍されておられる。須藤さんもそのお一人、ドイツの工房でマイスターの資格を取得され、1977年、横須賀に須藤オルガン工房を設立、今日まで約30台のオルガンを製作されている。中型、大型オルガンのご経験が深く、聖カタリナホール(38ストップ、1982年),中新田バッハホール(34ストップ、1984年),姫路パルナソスホール(41ストップ、1990年)に続いて、この宮崎県立劇場のは4 台目のコンサートオルガンである。

須藤 宏さん

 オルガンの発注者にとって、オルガン製作者の選定はまず直面する大きな課題である。この点からお話しをうかがった。

N:公共ホールのオルガンの選定にあたっては、オルガン委員会が設置され、その委員会の答申でビルダーが選定されるというのが常だと理解しているのですが・・・。宮崎の場合はどのような手続きで須藤さんが選ばれたのでしょうか?

須藤:委員会はなく、国内ビルダーを対象としたプロポーザル方式で、県側の選考によって決まりました。オルガンの私と、音響設計者としてヤマハの川上さんを選んだことを担当者は誇りに思っているということを後で聞いて、光栄に思っております。

N:須藤さんはこれまでもコンサートオルガンをいくつか手掛けられ、貴重な経験の中から、コンサートオルガンについても独自の見解をお持ちですね。まず、製作にあたってどのような性格のオルガンを狙われたのでしょうか?

須藤:私はかねがね、残響の豊かなヨーロッパの教会空間のオルガンと残響の少ないコンサートホールのオルガンとでは、パイプの製作一つから、別の考えで取り組むべきだという考えをもっております。このオルガンはリサイタル用の楽器として製作し、南ドイツ、フランス系統の音色に重点をおき、色彩感をねらいました。しかし、刺激的な音色は極力避けたつもりです。このオルガンは4 段鍵盤の大型オルガンですが、中新田のバッハホールでの経験が非常に役だっております。

N:コンサートホールにオルガンを設置する場合、まずはオルガンスペースが建築計画上からも大きな問題になります。ここではスペースは十分だったのですか?

須藤:高さは与えられた空間に納めました。ご覧になったようにパイプは横に広く配置しました。奥行きを深くとるより、浅く、平面的に並べた方が面音源となると考えたからです。もう少し手前に出したかったのですが、ステージの広さとの競合でこのスペースとなりました。オルガンスペースの奥行きは約4mくらいはあるでしょう。

N:先ほどオルガン内部を拝見しましたが、保守点検のことまで考慮され、実に整然とした感じがします。差支えのない範囲で機構上の特色をお話しいただけませんか?

須藤:ご覧のように、構造体として鉄骨は一切使用しておりません。オルガンの筐体構造を工夫して構造体として利用しています。また、ドイツ系統のオルガンの特色であるヴェルク(各鍵盤に対応するパイプ群のグループで、オルガンは各ヴェルクの集合体で構成される)の考えをかなり自由にとらえています。ご覧になったようにペダルとハウプトヴェルク、シュヴェルヴェルクのパイプが同じ空間に配置されています。コンサートホールの空間で大きな問題は室内温度の変動です。ここでは、ピッチの変動に敏感な高音部のパイプをあえて、客席として使用されている2 段バルコニーより下の空間に配置しました。この高さまでは空調で温度が一定に保たれていると判断したからです。したがって、調律や整音にあたって、温度の変動にわずらわされることは全くありませんでした。また、送風機は4 台、常時は2 台が可動し、フイゴの位置が下がると後の2 台が自動的に作動するようになっています。だから、風の温度上昇はほとんどありません。

N:調律は平均率なのですか?

須藤:ナイトハルトの一番という調律です。整音法との相乗効果でビートもなく透明感があり、パイプ間の引き込み現象もなく、安定しています。

N:次元が違う話しですが、建築工事とオルガン工事とでは全くカルチャーが違うということを感じています。それでいろいろなトラブルが発生しています。この点、須藤さんは初めから契約条件として明確な姿勢を打ち出されていますね?

須藤:建築工事が完全に終わった後でオルガン設置工事を開始するという条件は当然の事ですが、組立て、整音時のホールの管理を一切まかせてもらうこと、さらに、オルガン披露演奏会の時期、オルガニストの選定などについてもビルダーの意見を尊重することも契約条件の一つとして取決めました。

N:ご多忙の中、どうもありがとうございました。

 ホールでは専任のオルガニストの練習が始まった。ところで、3月23日の早島万紀子さんの演奏会は、16世紀のオルガン曲から、クープラン、バッハ、メシアンなどの現代のオルガン曲まで多彩な内容であり、オルガンの色彩も豊かであった。この色彩感は須藤さんの新しい音世界といってよいであろう。しかし、パルナソスホールで感じた須藤トーンが基調にあることも強く感じた。この宮崎の後、続いて、所沢のアークホールでリーガ(オーストリア)、いずみホールでケーニッヒ(フランス)、愛知芸術劇場でシュッケ(ドイツ)という性格の異なるコンサートオルガンを聴く機会を得て、この須藤オルガンの音色をより明確に位置づけできたように思えた。宮崎の地で須藤オルガンの活躍を期待している。

NEWSアラカルト

オルガニスト協会20周年記念全国大会報告から

 3月28日から30日の三日間、神戸の甲南女子学園、大阪のいずみホール、名古屋市の愛知芸術文化センター、金城学院を会場として、オルガニスト協会20周年の全国大会が行われた。初日には、「日本のオルガニストの現状について」というテーマで、教会、公共ホール、学校所属のオルガニスト3名をパネラーとした討論会が行われたが、残念ながら、筆者は出席できなかった。ホールオルガニストと教会オルガニストの位置付け、処遇の現状からギャラの問題なども取り上げられたようである。オルガンを設置したホールが増えている今日、ホール専属のオルガニストの役割は大きい。その実情を知り、よりよい方向へもってゆくことも、オルガン導入に関わる重要な課題として理解していきたいと考えている。この討論会の内容は近々オルガニスト協会の機関誌で紹介されると聞いているので、何らかの形で報告する予定である。

 なお、この大会でいくつかのオルガンを比較試聴することができたが、最大の収穫は平井靖子さんが弾かれたいずみホールのケーニッヒのオルガンであった。聴くことが少ないクープランのオルガン曲、洒脱でしかも典雅なフランスの香りをこのオルガンは十分に語ってくれた。

 もう一つ、金城学園の栄光館で、今話題の電子式の残響付加装置の効果を体験した。しかし、天井、壁とも吸音板仕上げで響きを殺した空間に、何故、残響付加装置を導入しなければならなかったのか,まず、天井、壁とも反射性の仕上げにすべきではなかったか、というのが素朴な疑問である。学園の伝統ある建物と聞いてはいたが、現在の仕上げはどうみても伝統を感じる仕上げではない。これで評価されては、ハイテクを駆使した残響付加装置がかわいそうである。名器、マルクーセンのためにもまず自然な音響空間がほしい。

松本市ハーモニーホールの平林館長の送別コンサート

 このハーモニーホールは開館以来、自主企画、貸し館事業をバランスよく運営してきたホールの一つである。ここを訪れるたびに、このホールが地域の人々の音楽活動の場として、自然な形で成長していることを感じてきた。このホールの初代館長が平林竹夫さんである。平林館長の人格とそのスタッフの協力体制がハーモニーホールの魅力を築きあげたといっても過言ではないであろう。“ホールは人”なのである。私は機会あるごとに、このホールの見学にはぜひ、事務室の雰囲気を体験することを勧めたきた。平林氏は定年後も地元の要請で顧問として館長を続けられたが、3 月で退官されることとなった。

 3月30日の夕べ、これまでの館長の功績に対して、ホール関係者、文化団体が主催して、館長の送別の集いが小ホールで行われた。平林館長を送る言葉の合間に、音楽関係団体による吹奏楽、オーケストラ、合唱、室内楽などが次々と演奏され、10時近くまで別れの会が続いた。平林さんはこのハーモニーホールに大事なものを刻まれていかれた。このような暖かい雰囲気の中でこのハーモニーホールの活動が続けられることを願っている。(永田 穂 記)