東京芸術劇場コンサートホールの光庭
東京芸術劇場のコンサートホールの舞台正面の光庭をご存じだろうか?開演前、休憩時間にオルガンバルコニーの下に光庭が見えるが、お気付きの方は少ないのではないかと思う。この庭は本劇場の設計者の芦原義信先生の構想による施設である。
芦原先生はこのホールの計画において、クラシックコンサートという従来の堅苦しい雰囲気から開放された自由なおおらかな空間を意図された。大規模な照明設備もこの光庭も先生のお考えにそった設備なのである。本ホールの当初の計画ではオルガンがなかったから、先生は光庭だけではなく、星空を仰ぐこともできるような大きな窓を描かれておられたのではないだろうか。
ところで、この光庭の存在は設計段階ではいろいろな問題を提起したことも事実である。建築計画上の問題はオルガンとの競合であり、音響上の問題は外部との遮音であった。後者の問題は二重の遮音ガラスと拡散体を仕上げ面とした遮音引き戸で解決した。大きな問題はステージの天井が高くなることであった。初期反射音を確保するには、ステージの低い位置に反射面が必要である。これに対しては、浮き雲タイプの反射板ではなく、ステージ全面をカバーできる大型の可動反射板が設置されている。
本ホールはステージをホールの端においたステージエンド型のホールである。ステージを客席の中におくアリーナ型のホールと比べると初期反射音の設計は比較的楽になる。しかし一方で、最近の多様な演出についての対応という点では制約が大きい。たとえば、近頃の第九の合唱は300名という規模であり、後ろにもサイドにも拡張できない本ホールの舞台は対応が難しい。まして、話題の千人の交響曲となると音楽的にバランスのとれた配置は無理である。最近一部の新聞で指摘されたバランスが悪いという批判はこのマーラーの八番のシンフォニーの時の問題である。この時は指揮者シノーポリもいろいろ試みたようであるがやむなくステージサイドの客席にソリストと児童の合唱団を分けて配置した。無理な配置であることは明らかである。本来は専用の張り出し舞台を客席側に設置して行うべきであるが、オープン直後のことでここまでの対応はできなかったのである。
しかし、いま行われている東京の夏音楽祭’91ではこの光庭を積極的に利用した演出が行われ、好評であったと聞いた。15日、16日のクロノス・カルテットによる現代の弦楽四重奏の演奏である。光庭と照明という芦原先生の構想を活かした初めての催しものではなかったかと思う。問題点を得意げにほじくりだすだけがマスコミの使命ではないと思う。よい点も是非紹介してほしいものである。
音楽祭サミット仙台´91の開催
6月25日、26日の2日間、仙台市青年文化センターにおいて、講演会、シンポジゥムを中心とした表記の会合が行われた。この音楽祭サミットは本NEWS90-06号で紹介したように、昨年の6月、学園都市つくば市の呼び掛けでスタートした新しい集いである。その決議にもとづいて、今年の春、全国的な組織として“全国音楽祭連絡協議会”が組織され、今年のサミットは本協議会と幹事団体である仙台市、(財)仙台市市民文化事業団の三者共同主催という形で開催された。全国の連絡協議会参加団体、ホール・文化振興財団、行政関係、マスコミ関係などから約150名の参加があった。
初日はまず海老沢敏先生の記念講演「モーツァルト没後200年に想う」に始まり、引き続いて、サミット第一部として「特色ある音楽祭を仕掛けるには」をテーマとしたパネルディスカッションが行われた。夕方の懇親会の後、コンサートホールで記念演奏会が行われ、第一日を終了した。二日目は永田の講演「音楽ホールの現状と将来」に引き続いて、サミット第二部として全員参加によるフリートーキングが行われた。
海老沢先生の話しで感動的だったのは、二つのビデオで紹介されたモーツァルトのレクエムであった。一つは映画『アマデウス』の最後の共同墓地の埋葬シーンの背後に流れるレクエム、もう一つはバーンシュタインが死の直前、ザルツブルグの大聖堂で指揮をしたレクエムであった。同じ音楽でも、その訴えるもの、いや、心を打つところが、といった方が適切のように思うが、これほど違うかということを感じさせるビデオであった。
私の話は題目のとおり、現在の建築音響技術の現状を、昨年オープンした東京芸術劇場の例から説明した。地下鉄振動の遮音、ホール間の遮音、室内音響設計におけるシミュレーション技法の内容、電気音響設備による音場のコントロールなど最近の技術を紹介した。さらに、ホール運用についてこのところ話題となっている水戸方式、パルテノン多摩方式、岸和田方式、松本方式などの現状を紹介した。
本サミットのメインテーマである音楽祭のパネルディスカッションであるが、朝日新聞編集委員の雑喉潤氏をコーディネーターとして、音楽祭代表のパネラーには、
竹津宣男氏(パシフィックミュージックフェスティバル)(札幌市)
木幡和枝氏(白洲・夏・フェスティバル)(山梨県白洲町)
保田直氏(津山国際総合音楽祭)(岡山県津山市)
染谷公子氏(栃木蔵の街音楽祭)(栃木県栃木市)の4名。
さらにゲスト・コメンテーターとして、
石田一志氏(音楽評論家、武蔵野音楽大学、慶応大学、玉川大学講師)
梅津時比古氏(毎日新聞学芸部)
小森昭宏氏(作曲家、尚美学園短期大学教授)
片岡良和氏(作曲家、宮城フィルハーモニー協会、仙台市市民文化事業団各理事)という多彩な講師陣であった。
昨年度のサミットで明らかになったことだが、一口に音楽祭といってもその規模、内容はまちまちである。今年紹介のあった四つの音楽祭でも、予算規模が7億を越える札幌のPMFから、数百万のオーダーの蔵の街音楽祭まで大きな違いがある。
音楽祭には観賞型、参加型、アカデミー型などの分類があるようであるが、もっと別の視点からの区分けが必要ではないかと思う。札幌のPMFは公共団体主催の国際的文化活動であり、白洲・夏・フェスティバルは芸術仲間が白洲という町の自然、風物を舞台として行う借景型のイベントである。規模はちがっても鎮守の祭りのような地元の生活の中から生まれた祭りでない点では似ている。このようなのがフェスティバルなのであろう。
大型の音楽祭では組織が、参加型の音楽祭では予算の獲得、客集め、地元との融合など、問題点の本質にも大きな違いがある。また、ゲスト・コメンテーターからは、外国の音楽祭の紹介とともに、商業主義の介入に対しての歯止めの必要性や音楽祭巡りの一部の音楽家の安易な活動などの指摘もあった。また、第二部ではわが国の高い出演料が外国の音楽祭の存続をおびやかしているなど新しい問題点の提起があった。音楽祭の理念を堅持すること、地域の実状に則した内容であること、持続することなどが今回のサミットの結論であったが、問題点がさらに拡張した形で今年のサミットを終えた。
この二回のサミットで音楽祭の主要な問題点は浮き彫りにされた感がある。次はいくつかのテーマを選んで、分科会で討論し、それぞれの結論を最終日に報告するということにもってゆくべきであろう。
今回の会場の青年文化センターは仙台駅から地下鉄で15分、山合いの緑の中の文化施設で、その中心となるのが800席のコンサートホール、588席のシアターホール、平土間300席の交流ホール、同じく平土間のエッグホールと今回のような会合には最適な施設であった。コンサートホールでは現代音楽の演奏しか聴けなかったが、明るく、響きにも余裕のある中ホールであった。このような施設の誕生によって、地方の音楽活動の内容も質も大きくかわってゆくであろう。東京から北海道まで、美術館とともにコンサートホールのベルトが実現するのはそう遠くはないように思う。旅先で思いがけない吊画や音楽にであうことは何よりの楽しみである。
書棚の整理(その1)
増加の一方をたどる本や雑誌の処理は、事務所、個人を問わず大きな問題である。雑誌“新潮45”5月、6月号の特集記事として「書棚の整理」がとりあげられ、学者、作家、評論家、書店店主など14名の方が“本”に対しての格闘の現場を披露しておられる。本との付き合いは人にもよるが、“the way of life”の側面を伺い知る上で興味深い。ぜひ、本文をお読みになることをお薦めする。掲載順に各著者の内容を今月、来月で紹介したい。
木村尚三郎氏(東大名誉教授)―未来は闇、「二十一世紀もの」追放―
- 昭和ヒトケタ生れである以上、そう長いこと生き長らえるはずもない。だから一生ページを開かないだろうと思う本も少なくない。しかし、それが分かっていても捨て切れない。
- 第一に捨てたのは、日本の将来を憂う、日本はどこへ行く式のタイトルを持った書物である。第二に日本人論に関するものも、ごく一部の古典的なものを除いて捨てた。
- 二十世紀最後のこの十年を、一年一年どう生きるかがいまの私たちにとって最も切実な問題である。この不透明な大思想のない時代に掲ぐべき灯は、やはり過去人の豊かな知恵に満ちた古典しかない。
鈴木治雄氏(昭和電工名誉会長)―わが晩年の書棚「厳選の基準」―
- 八十歳ともなれば、読書生活も今までとは違った秩序立ったものにしたいと考え、思いきって厳選したライブラリーにして小さい一室に並べ、落ち着いた読書生活ができるようにしたいと思うようになった。
- 私の場合も第一に考えるのは先ず宗教書とそれに関連した哲学や思想関係の書ということになる。
- つぎは詩歌を拾いたい。……次は文学であるが、この分野の作品こそ徹底的に切り捨てたいと思う。
田中澄江(劇作家)―なにしろ「自分より本が大事」だから―
- 本の類は書庫に溢れ、廊下や階段に溢れ、書斎の前後左右を埋め、客間から茶の間から居間から納戸にまで侵入して、人間を従者の形にしている。
- 何故本が主人か。自分より本が大事という観念から解放されないからである。……自分を啓発してくれるはずという信念が固定しているからである。
- 蔵書は自分の脳味噌の中味のように思え、いつまでも他人の手でかきまわされるのはたまらない。できれば、子供や孫に残したい。
亀井俊介(東大教授)―亡き妻と私の「書棚戦争」の思いで―
- 昨年の夏に亡くなった妻と私とは、ちょうど三十年間、一緒に生活した。この間、喧嘩らしい喧嘩はしたことがない。……それなのに、この二人が激しく争い続けてきたことが一つだけある。書棚の勢力争いだ。
- 私はおよそ風流の才なく、書棚の整理がほとんど最大の趣味である。どんなに忙しい時でも一日中書庫にこもって、僅かなスぺースを作り出し、本を移動させることが大好きだ。
- 私はたった一人残されて、たとえば書斎にぼんやり座り、あたりを見回すと、敵の将の愛した兵士たちである本が、むしょうにいとおしい。
NEWSアラカルト
オルガン研究会からオルガン工房見学のお知らせ
9月28日(土)の午後、オルガン研究会の例会として、東京町田市の郊外にある“マナ・オルゲルバウ”の工房の見学会があります。わが国ではまだ数少ないオルガン工房の現状を体験できるよい機会です。オルガンに興味のある方はどうぞ。会員以外の方の参加も自由です。
申し込み:日本オルガン研究会事務局 TEL:03-3351-3358 今井奈緒子まで