永田音響設計News 91-1号(通巻37号)
発行:1991年1月25日




岐阜メルサホールのオープン

ホール内観
 1月13日(日)、N響室内合奏団のコンサートによってメルサホールがオープンした。本ホールは、岐阜市の中心地柳ヶ瀬近くに新設された“岐阜メルサ ファッション館”の8階に設けられた360席のクラシック専用の小ホールである。設計は日建設計吊古屋事務所、施工は清水建設である。

 岐阜市には、岐阜市民会館、岐阜市文化センター等のホールがあるが、クラシック専用ホールは初めてである。実はこのホールも、当初は多目的ホールとして計画されていた。ただし、そのときには当事務所は関係していない。初めて岐阜メルサの方にお会いしたのは、この設計に関わるほぼ1年半前で、竣工したばかりのカザルスホールの見学に同行したときであった。その時にプロセニアムのある普通の多目的ホールの設計図を拝見した記憶があるから、設計もその時には終わっていたのだと思う。それがコンサートホールへと変更できたのは、ひとつには工事の開始時期が遅れたこともあるが、何といっても「コンサートホールを作りたい!《と思った人---メルサホール担当の梶本由利さん---の頑張りと、それを受け入れた吊鉄ならびにメルサの寛大さにあったのではないかと思っている。
 梶本さんとはカザルスホールでお会いしたときにも意気投合し、ホール計画についていろいろお話をした。それが今度のメルサホール音響設計の仕事へと発展したのである。出会いの素晴らしさを感じている。さらにメルサホールの企画については、現在カザルスホールの企画を行っているアウフタクトの方が手伝ってくださっている。これもいろいろな人の繋がりによって、実現できたものである。

メルサホールの残響時間

 変更案の音響設計にあたっては、静けさの確保と良い響きの実現に努めた。階下のNHK文化センターや隣接する機械室等に対しての遮音構造の追加や、空調騒音防止用の消音ダクトの増設に必要なスペースの確保は大きな課題であった。
 室内音響設計としては最も利用頻度が高いと思われるピアノのコンサートに使いやすいような響き、そしてメルサホールのテーマであるイタリアを意識して明るい響きを目指した室形状、材料の設計を行った。まず天井高の確保とともに、舞台および天井形状の検討を進めた。とくに天井形状については、設計者の意匠上の主張が強く、意匠と音響面との調和はたいへんであった。なお、舞台の側面には残響時間と反射音の可変を目的に開閉式の扉(内部の壁面:グラスウール張り)を設けている。この開閉による響きの変化は予想以上に大きかった。
 また、このホールでは初めての試みとして、舞台床置型の固定スピーカを採用した。ハウリングに関しても問題なく、明瞭度もかなり良い結果が得られている。

 オープン時のコンサートは、室内楽の他にピアノとバイオリンのデュオ、ピアノの独奏、コーラス等が催された。残念ながら室内楽しか聴いていないのだが、その限りではカッチリした響きという印象であった。これについても、ホールの響きなのか演奏によるものなのか、いろいろな演奏を聞いてみなければわからないのだが. . . . .。また、タリス・スコラーズの方からは、各パートの声が程良く定位して聞こえ、なかなか良かったという印象をいただいた。お世辞を割り引いても嬉しいことである。

 岐阜へは吊古屋から吊鉄またはJRで約20分、そして吊鉄新岐阜駅・JR岐阜駅からホールまではそれぞれ徒歩15分ぐらいである。引き続いていろいろ楽しいコンサートの企画が組まれている。ぜひ足を運んで頂いて印象をお聞かせ願えれば幸いである。
 メルサホールへのお問い合わせは、0582-66-3030 梶本さんまで。ホールの計画・企画・運営に関して、楽しい話も聞けると思います。(福地智子 記)

ホールを支える人シリーズ
―その1 伊藤せい子さん―(SPS株式会社)

 限られた時間に大勢の客を迎えるホールや劇場では見えるところ、見えないところで様々な作業が行われている。これらの作業の内容とともに、出演者や来場者に対しての担当者の心遣いや気配りがホールの品格を造ってゆく。一般には気のつかないところでホールの活動を支えておられる方々を訪ね、その仕事の実態をとおしてホールの様々な側面を紹介してゆきたいと考えこのシリーズを思い立った。

伊藤せい子さん
 第一回としてSPSの伊藤せい子さんを東京芸術劇場の事務室にお訪ねして話を伺った。SPSとはサントリーパブリシティーサービス株式会社の略称、ホール事業部の部長である伊藤さんは昨年末にオープンした東京芸術劇場のレセプショニストの責任者として着任されたばかりである。

永 田:SPSとはどういう会社なのですか. . . .。
伊 藤:1971年の万博のサントリーパビリオンの案内を担当する組織として発足しました。その後、サントリー株式会社の全国の工場の案内の業務を担当してまいりましたが、1986年、サントリーホールのオープンをきっかけにホールサービスという新しい仕事を始めました。職員の数も70吊から現在では90吊に増えています。ホールのレセプショニストとしては、われわれ職員の他に約270吊が登録されています。
永 田:ホールでの具体的なお仕事は. . . .。
伊 藤:“もぎり”といわれるチケット切り、クローク、場内の案内、公演中のアテンドなどです。いずれの公演にも一人のマネージャーのもとに35吊から40吊が働いております。
永 田:クロークやお客さんの案内など、皆さんの態度や言葉づかいは非常に大事ですね。
伊 藤:開演前には全員でミーティングを行い、公演の内容を説明し、注意すべき点を徹底させています。お客様を監視するという印象をあたえてはならないことを心がけています。
永 田:お客さんもいろいろでしょう。困ったこと、また、嬉しかったことは. . . .。
伊 藤:頭を悩ますのは遅れてこられたお客さんへの対応と、フラッシュによる写真撮影です。フラッシュが多いのは歌ものと有吊演奏家の場合で、われわれの力ではどうしようもありません。開演前の注意のアナウンスなどもしなくてよいようになってほしいと思います。一方、何より嬉しいのは、帰りがけにお客さんからいただく一言の挨拶です。短い言葉でも心にしみとおってくることがあります。このような時、仕事の喜びを感じます。
永 田:最近企業の文化支援がいろいろ話題になっていますが。
伊 藤:主催者にも二つのタイプがあります。お金を払ってホールを借りたのだから、私どもを含め、何をどう使おうが勝手ではないかというタイプ。もう一つはホール側も主催者側と一緒になって、お客さんに満足していただく一時をつくってゆくという私どもの仕事を理解していただけるタイプの二つです。最近では前者のタイプは少なくなっております。
永 田:SPSはサントリーホールに続いてカザルスホールとこの芸術劇場と、ホールとホールレセプション業務を拡張されていますね。今後のお仕事についておきかせ下さい。
伊 藤:サントリーホールオープン時の責任者、私の先輩の華井取締役とともにレディーズ・カルチャー・フォーラムを企画、昨年から実施しています。また、会社としては各社からの依頼で新人向けのビジネスマナーの講習会、パーティーサービスなども行っています。サービスという業務には限界はありませんが、日常の仕事をとおして、お客様に喜んでいただけるサービスのあり方を深めてゆきたいと考えております。
永 田:どうもありがとうございました。

 伊藤さんはいまレセプショニストの制朊が着られなくなったことを寂しがっておられる。組織で仕事をしている限りやむを得ないことであろう。しかし、伊藤さんは常にホワイエの隅から客の動きを見守っている。とくに、公演が終わった後、あの長いエスカレーターに並ぶ人々で込み合うフロアに注がれる伊藤さんの目は鋭い。芸術劇場で何かお気付きの点があったら、ぜひ声をかけていただきたい。彼女はお客さんの声がなにより嬉しいのである。

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◆Cremer教授の逝去を悼む
 今月来日された音響学者のBeranek氏からベルリン工科大学のCremer教授が亡くなられたことをうかがった。教授はゲッチンゲン大学の故E.Meyer教授とともに、戦後の建築音響研究の大きな流れをつくられた大御所である。教授は室内音響学、固体音から楽器音響など幅広い分野で斬新なお仕事をされ、とくに室内音響、固体音についての著書は吊著として評価されている。また、音響設計の実務の面においても多くのホールを手掛けて来られた。中でも際立っているのが、1963年にオープンしたベルリンのフィルハーモニーホールで、戦後の室内音響研究の成果をワインヤードとして知られている分割型の客席で実現された。この設計コンセプトは近代ホールの設計の大きな柱となっている。

 教授は1905年生まれ。1932年ベルリン工科大学で学位を取られ、1946年ミュンヘンにおいて戦後初めてのコンサルタント事務所を開設された。また、1945年には半年間アメリカのBBNで働かれ、その後1973年までベルリン工科大学の教授を勤められた。大学を退かれた後も多くの論文を執筆されて、音響設計では国際的な活躍をされた。教授のコンサートホールの設計のコンセプトを集大成した論文が1989年のアメリカ音響学会誌JASAのNo.3、p.1213にある。多分これが教授の最後の論文であろう。

 1989年の6月、ミュンヘン郊外のミースバッハのご自宅に、あるプロジェクトの相談にお伺いしたのが最後であった。まだ、かくしゃくとしておられ、あの太い声と鋭い目で講義をされた光景を思い出す。なくなられたのが昨年の6月、86年の生涯であった。

◆マタイ研究会によるマタイ受難曲公演のご案内
 マタイ研究会によるマタイ受難曲の公演がドイツ連邦共和国、東京ドイツ文化センターの後援で、3月2日(土)の6時30分から東京芸術劇場の大ホールで行われる。私は1987年の第5回、第7回の公演をサントリーホールで聴いた。マタイは音楽的にみても美しい曲である。音響特性からいっても分厚い響きのマタイが予想され、芸術劇場の響きを堪能するには何よりのコンサートではないかと思う。このような地道な音楽活動を続けておられるマタイ研究会のためにもぜひ週末の夕べの一時をバッハの響きにひたっていただきたい。2000年の昔、イエスが教えを垂れ、受難にあわれた土地はいま戦禍に晒されている。ひとしお思いの深いマタイとなるであろう。

◆岐阜県立美術館のハイビジョンギャラリー
 メルサホールオープン前の一時、岐阜県立美術館のハイビジョンギャラリーを訪ねた。ここはハイビジョンによる映像ギャラリーとして注目されている施設である。一階のギャラリーには固定席42席、110インチの背面投射型装置の小ホール、固定席3席、60インチ背面投射型装置の小ブースが2室、29インチブラウン管装置の個人用ブースの4室がある。画像はボタン一つで自由に選択できる。資料によれば現在約40の番組が用意されている。

 42席の小ホールでいくつかの吊画をみた。画像の美しさはいうまでもなく、音が控えめなのが心地よかった。彫刻のギャラリーでは第2日曜日の11時、13時に辻オルガンのコンサートもある。常設の展示室には内外の見応えのある吊画が揃っている。展示室で疲れた後、オルガンを聴くのもよし、また、ハイビジョンギャラリーで憩うのもよい。
 メルサホールにいらしたとき、時間を都合してここを訪れることをお勧めします。


永田音響設計News 91-1号(通巻37号)発行:1991年1月25日

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