No.030

News 90-6(通巻30号)

News

1990年06月25日発行

文化施設の建設に無理のない工期を望む

 首都圏をはじめとして、各都市には大規模の建築が続いており、全国的な人手不足、材料難から多くの現場で工期の遅れが問題となっている。また、公共施設で入札の不調という事態も起こっている。このような建設業界の異常ともいえる構造的な乱れはわれわれ音響設計の業務にも影響が及んでいる。取り扱いにくい材料や面倒な構造は拒否されるし、また、施工に細心の注意を必要とする防振構造や遮音層の工事がどうしてもおろそかになる。オルガン設置工事など建物が完成した上でしか実施できない特別な工事は大きな影響を受けている。上野の道路陥没などはわが国の技術からは考えられない事故であるが、最近の現場を見ていると、あのような事故は起こりうるのではないかという気がしてくる。

 ところで、わが国の建築ではいったん決められた工期は神の声であり、その厳守が現場の設計者、施工者の最大の使命とされてきた。しかし現状を見ていると、これまでの建設の常識を現在の現場条件に当てはめることはどう見ても無理である。適切な設計期間と工事期間は建物の質にかかわる重要な条件である。数十年の使命は果たさなければならない文化施設で、半年や一年の遅れは些細なことではないだろうか。工期を無理して体裁だけの仕上げをしたとしても、将来に大きな禍根を残すことは明らかである。

 誰も承知のことではあるが、殆どの施設の工期というのが実に他愛のない理由から決まっている。市制△△周年、会社創立○○周年などはきっかけとしては自然であるが、ひどいのは知事や市長の任期と選挙との関係などである。正常な世であればしかたないとしても。現在のような異常な事態では施設建設の原点に立ち返って、状況を的確に判定し、工期を見直す勇気が必要ではないだろうか。

 山本七平さんが著書“空気の研究”で指摘されているように、わが国ではいったんある空気が生まれると、誰も心の中では反対でも、表立って反対できなくなる風潮が支配的となる。敗戦を目の前にして無謀な出撃をした戦艦“大和”がその例であるが、この神様となる空気は民間の建設現場にも生まれてくるのである。

 いま、私どもの事務所ではロサンジェルス市のディズニーコンサートホールの音響設計を進めているが、この約一年半の基本設計の段階でもう二度も設計期間が延長されている。しかるべき理由があれば、当然のこととして認められるのである。ご存じのようにヨーロッパの人々は建物と人の一代との結びつきをあまり重視していないように見受けられる。数代にわたり、また、数百年にわたって建設が続けられた建築はあまりにも多い。わが国では昔から、城から住宅まで、建物が個人の功績の証として評価されてきたのである。風土の違いからであろうか。

水戸芸術館のマナオルガン

 おわりに工期の遅れがもたらした悲惨な例をあげておく。水戸の芸術館である。この施設ではオルガンがエントランスロビーに設置されることが設計段階で決まった。このエントランスロビーが工事の最終段階まで機材のメイン通路に当てられたことは、設計の段階では誰もが気がつかなかったのである。工事が順調であれば、問題はなかった。しかし、工事の遅れから、オルガン設置工事とその後のボイシングの作業は全くひどい状況下で行わざるを得なかったのである。

 オルガン建造を担当した“マナオルゲルバウ”の作業は全く同情に値する。予定にしたがってドイツから送られてきた機材の保管場所さえ確保されず、雨で水浸しになり、やむなく送り返したそうである。ボイシングも工事のほこりと騒音の中で行われていた。外国のビルダーだったらとうに引き上げていただろう、と“マナ”の松崎氏は悲痛な面持ちでこぼしていた。オープニングがせめて三月延びれば問題なかったのである。施設のマイナス点と共に、このような思いが関係者に残されたこと、これはさらに大きなマイナスではないだろうか。東京都芸術館でも同じような問題に直面している。

 公共建築の場合、特に、工期の見直し、オープニングの延期などはまず不可能であろう。“空気”が支配的だからである。このような問題をこの些細な瓦版で吠えてみてもしかたないことであるが、せめて、一粒の種となることを願って取り上げたのである。

音楽祭サミットつくば’90

 今月の19日、20日の二日間にわたり、つくば国際音楽祭実行委員会の主催で“地方音楽祭の意義と役割”をテーマとした会合が学園都市つくば市で行われた。これは全国各地で企画されている音楽祭を考える一種のシンポジウムであり、全国16都道府県から約130名の参加があった。その内訳は音楽祭関係者17、ホール・文化施設関係者8、行政の企画関係者4、その他演奏家、音楽団体代表者、音楽ジャーナリスト、イベント企画者など多彩なメンバーであった。
 大会は四部で構成され、先鞭として遠山一行氏の“音楽祭と地域文化”の演題の記念講演、引き続いて井阪紘氏の司会で全国各地の音楽祭担当者代表4名による音楽祭の現状と問題点の報告、文化庁、演奏家、音楽ジャーナリストなど4名による音楽祭に対しての主張と討論、夜はノバホールにおけるフランス・クリダのピアノリサイタルと“つくば国際音楽祭を120%楽しむ会”の活動状況の体験、二日目はサミット第二部として参加者全員による自由な討論が行われた。

 遠山氏の講演は日本全体がお祭り的になり、日常の音楽活動がかすんでしまっている現状に対して、静かに自分の音楽を深めることに努めるべきだという警鐘であった。氏は今年から草津音楽アカデミーの委員長を務められるが、草津のアカデミーの目指すところもここにあることを強調されていた。思いの深い内容の話しであった。

 全国の音楽祭は60位とのことであるが、資料として提出された音楽祭は28であった。しかし、その内容、方向、地域との結びつきは様々であり、予算規模から見ても数10万円から1億数千万円に及んでいる。今回は初めての会合であり、“音楽祭と地域文化”の現状の紹介にとどまった感がある。しかし、次回からはもう少しテーマをしぼった討論が必要であろう。人集めと財政が問題だというのだけでは町のお祭りと変わりはない。いずれにしても今後とも情報の交換が必要であり、毎年この全国的な会合を続けることを決議して、このサミットの幕を閉じたのである。

サミットの会場

 筆者の関心は音楽祭というよりも、むしろ、地道な内容のある音楽活動を施設との関連でどのように展開すればよいかという点にあり、遠山先生のご持論に全く賛成である。名前だけの△△祭り、○○国際フェスティバルなどというのは興味がない。その点で草津音楽アカデミーの活動や筑波大学社会工学の逆瀬川先生が主催されている“つくば国際音楽祭を120%楽しむ会”の活動に興味がある。また、つくば市の文化活動をここまで支援し、自ら今回のサミットを積極的にリードしてこられた茨城県関係者の姿勢に敬朊したのである。超エリート市民と近代設備のつくば市の誕生はお役人の意識革命までをもたらしていることが驚きであった。これらについては、その詳細を逆瀬川さんに紹介していただくことになっている。

 東京から約1時間半のつくば市は緑も育って、中野の住人から見るとまさに超近代都市に来た感がある。高速道路も整備され、ノバホールも行きやすくなった。このシューボックスホールの響きは独特である。クリダの演奏には壁の可変吸音体が半分ほど使用されていた。いろいろな番組をじっくり聴き込んでみたいと思っている。終わりに、ご招待いただき、お世話いただいた方々に心からお礼を申し上げたい。

墨田区文化会館基本設計終わる

 JR総武線錦糸町駅北口地区再開発事業は平成7年度の完成をめどに計画が進められている。この敷地には業務棟二つ、ホテル、文化会館が予定されており、総面積約4.4haの下町としては大規模な開発である。墨田区文化会館(仮称)のこの施設は2,000席の大ホール、300席の小ホール、オーケストラ練習場で構成される。なお、大ホールが新日本フィルハーモニー専属のホールとなることはご存じであろう。わが国のホールとして珍しい例であり、話題を呼んでいる。日建設計の手によって、今年の3月に基本設計を終了した。

 音響設計は私どもの事務所で担当しているが、サントリーホール、オーチャードホール、東京都芸術会館などに続くホールとして、どのような響きを目指すべきかが設計の大きな課題であり、新日本フィル側をはじめ関係者と打ち合わせを続けながら音響設計を進めている。シューボックスといってもいろいろな響きがあるからである。

本の紹介

『オーケストラの人々』原田三朗 著  筑摩書房  定価 980円

 著者の原田三朗氏は毎日新聞の論説委員をなさっておられる。学生時代、大学のオーケストラでトロンボーンを吹かれていたアマチュアの音楽家である。この本は学生時代から師事されてきたN響のトロンボーン奏者関根五郎氏とその仲間、千葉馨さんたちの活動を中心にN響を育ててきた指揮者たちの話題、戦前戦後の混乱や小澤事件など様々なドラマを経て今日の一流の楽団にまで成長してきたN響という集団の歩みを論説委員らしい抑えた表現で述べてある。

 新響から日響へ、日響から現在のN響へと発展してきたこのオーケストラはわれわれの年代のクラシックファンにとっては青春の歴史であり、お袋の味のような存在である。このオーケストラのもともとのルーツは1925年に行われた日露交歓演奏会であったことを知った。戦前、近衛秀麿、ローゼンシュトックの指揮で活躍していたこの楽団は大戦中に日本交響楽団となるが、終戦の年も6月に尾高尚忠の指揮で「第九」を最後として8月15日を迎え、その一ヶ月後の9月14日、15日には同じ指揮者で「英雄」を、いずれも日比谷公会堂で演奏している。日響は廃墟の東京で演奏活動を続けていたのである。

 ローゼンシュトック、マンフレット・グルリット、ピアニストとして来日したクロイツァー、ウィンナワルツで会場をわかせたクルト・ウェス、ウィルヘルム・ロイブナー、ウィルヘルム・シュヒターなどにまつわる話題は昔の演奏会を髣髴とさせる。また、カラヤンをはじめとして、多くの客演指揮者が登場する。マルティノンによる「春の祭典」、あの色彩にとんだストラビンスキーの音楽の感動は今でも鮮明である。

 オーケストラの成長とともに、古い演奏家が退団をよぎなくされる描写がいくつかある。人間関係の問題もある。今日、世界の一流楽団にまで成長したN響であるが、これまでの道はたいへんであったことがよくわかる。経済条件もはるかによくなったし、楽器もホールもよくなった。最後に著者は、“豊かな時代に、音楽も豊かなんだろうか。オーケストラは立派であるけど、昔のひたむきに音楽する心は、うすくなったのではないだろうか。感心するが感激に乏しい今のオーケストラに対して、貧しい時代をひたむきに生きてきたオーケストラの人々がいた”ことをこの本で語っているのである。