永田音響設計News 89-6号(通巻18号)
発行:1989年6月25日





ウィーン国立歌劇場の音響設備とトーンマイスター、フリッツさんの活躍

 ウィーン国立歌劇場の音響技術部長ウォルフガング・フリッツ氏が第二国立劇場の関係で来日されたことについては、本ニュースの1989年3月号で紹介した。氏との打ち合わせをとおして、我が国ではあまり知られていないヨーロッパのオペラ劇場の音響設備とその運用の実態を知ることができた。オペラ劇場という特殊な環境の中での音響部門の位置づけや日常の業務の概要、オペラ上演における電気音響設備の使用に対することについての演出家や聴衆の反応などをとりまとめてみると、

調整室でのフリッツ氏
■電気音響設備の使われ方
・効果音の再生、歌手へのはね返りおよび出演者やスタッフ等のためのモニターが主な用途である。
・映像モニターとしては指揮者とオーケストラ用として予備を含め6台、マイクは5台使用している。
・効果音に電気音響を使用する演目としてはトスカ、トゥーランドット、魔弾の射手、ファウスト、タンホイザー、さまよえるオランダ人など数多い。通常の演目の中で約85%は電気音響を使用している。

■なぜ効果音に電気音響設備を使うのか?
・生の効果音をタイミング良く的確に出せる人が少なくなってきたからである。
・電気音響設備の性能が向上し、リアリティの高い効果音再生ができるようになった。最近は生のオーケストラ演奏者とダブらせて、あらかじめテープに収録した音楽を再生することも行われている。

■電気音響設備の使用に対する演出家、指揮者および聴衆の反応
・電気音響設備の使用を避ける演出家や指揮者もいるが、現在では少数派であり、多くは抵抗なくむしろ積極的に利用する傾向にある。
・聴衆には電気音響設備の使用に否定的な反応はない。ただし、音が歪んだりしたときに指摘されたことがある。

■音響調整室の最も重要な条件
・生音が客席とあまり変わりなく聞こえること。どんな優れたモニタースピーカでも音の方向まではわからない。したがって、オペラ劇場の音響調整室ののぞき窓は完全にオープンできることが必要である。

■ウィーン国立歌劇場の音響設備の水準が高い理由
・ゲッツ・フリードリッヒのような演出家や音楽家からの支持があった。
・役所の建築担当官に理解のある人がいた。

■トーンマイスターについて
・オーストリアには公の養成機関はないが、放送局に120~130人、劇場に最低1人のトーンマイスターがいる。
・同じトーンマイスターでも放送局と劇場とでは業務および責任の範囲が異なり、劇場のほうがより芸術的な分野にまで責任を負っている。
・最近は公演のポスターなどにもトーンマイスターとして吊前が出るようになった。

■オペラ劇場の音響担当として必要なこと。
・効果音のきっかけは音響担当が楽譜によって行っているので、音響担当は楽譜が読めることが必要である。ウィーンでは全員、最低限ピアノ譜が読めるレベルにある。

■客席向けのスピーカについて
・プロセニアム周りのスピーカについては、音響的には大きさの制限はなく、大きければ大きいほどよい。少なくともオルガンの32Hzを余裕をもって再生できることが必要である。
・効果音としてパワフルな音を出すスピーカと、コーラスや歌に適した柔らかい音を出すスピーカの二種類を使用している。(たとえばJBLとBOSEの二種類)
・雷などの効果音用として、天井中央に大型のスピーカシステムが必要である。

■ウィーン国立歌劇場の今後の電気音響設備充実化計画
・音響調整卓…担当者がより芸術的な作業に集中できるように、コンピュータ制御により省力化を図ったデジタル卓を開発、発注済みであり、今秋導入される予定である。
・スピーカ…客席後部の上方に増設する計画をすすめている。

 フリッツ氏は“トーンマイスター”の称号を持つ音響監督の立場にある。国が認定しているこの称号は、ドイツのマイスター(親方)を表す称号であり、わが国とでは社会の技能に対する認識が異なるのである。“トーンマイスター”というのは一言でいえば、音響設備について技術的な分野に精通していることはいうまでもなく、芸術的なレベルでこれを運用できる実務経験豊富な人に与えられる称号ということができる。ミキサーの親方といってもよいであろう。

 氏も様々な効果音の創作から、上演に際しては楽譜を見ながら自らの判断で効果音を再生するなど、単なる音響技術者の枠を越えて、かなり芸術的な分野に踏み込んだ業務を担当し、またその責任を負っている。したがって、制作グループの中における位置づけも高く、発言力も強いという。わが国の劇場では、ウィーンに比べると音響部門に対する認識がまだ十分でない。照明などを含めた劇場の技術部門の地位向上という観点から、技術と芸術にまたがる分野に従事する人の能力を評価する称号、あるいは資格の整備ということが考えられてしかるべきだと思われる。(中村 秀夫記)

Gasteig(ガシュタイク)とその音響

 このいかにもドイツ的な吊前の施設は1985年、文化と教育の総合施設として西独バイエルン州の首都ミュンヘン市にオープンした。この施設は市の中心を流れるイザール川の崖の上、有吊なドイツミュージアムの近くにある。
 この施設には
 ・フィルハーモニー(2400席の大コンサートホール)
 ・カールオルフ劇場(600席の多目的小ホール)
 ・190席の小コンサートホール
 ・ブラックボックス(140~225席の実験劇場)
 ・190席の図書館講堂
などのホール施設のほかにミュンヘン市立図書館および市民大学、リヒャルト・シュトラウス音楽学校などの文化、教育施設が総合されている。
 この施設の目玉はいうまでもなくミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団の本拠地となっている大ホールであり、その特異な室形とともにその音響がいろいろ話題を呼んでいる。
 次ページで紹介する“ispaa”会議の一日、このホールでミュンヘンフィルの練習を、またその翌晩、本番(ワーグナープログラム)を聴くことができた。
 このホールは二つのシューボックスを重ねた上整形の平面形を持つホールである。その特色は舞台から客席の側壁にならぶ大型の円弧状の反射板群である。いかにも今流行の側方反射音を強調した設計である。音響設計はMuller-BBMでその音響については1986年の国際音響学会で発表があった。

Gasteigの残響時間                 ミュンヘンフィル練習風景

 このホールの音響については早稲田大学の山崎先生のグループの測定結果も発表されており、初期反射音の密度の乏しいホールとしてわが国でも有吊である。今回は一階のほぼ中央と下手側の後方の二箇所で聴いたが、側壁の広がった大型ホールの宿命である音が遠く、ホールが鳴っている感じのやや乏しいホールである。現在、市側で改修計画が進められているのは当然であろう。しかし、ミュンヘンフィルの演奏は緻密さと深さを感じさせるすばらしい演奏で、響きのことなど忘れさせる一時であった。

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◆“ispaa”会議の音響シンポジウム
 “ispaa”とは“The International Society of Performing Arts Administrators,Inc. ”というホール経営、運営者の国際組織である。その第三回目の会議が6月13日から16日までの4日間、ミュンヘン市ガシュタイクに隣接するシティ・ヒルトンホテルで開催された。
 今年の会議はガシュタイクが世話役となり、館長のハインツ氏のアイディアで、セッションの一つとして“The Impact of Concert Hall Acoustics on the Performing Arts”という音響関係の話題が取り上げられた。そのスピーカーとして、アメリカからラッセル・ジョンソン、西ドイツからヘルムート・ミュラー(ガシュタイクの音響設計担当)、イギリスからニコラウス・トムソン(建築家)、それに日本から永田の4人が招かれた。
 司会は事務局のワーズ・ウォース嬢で、次の六つの議題の中から四題を選んでスピーチする予定であった。

 1)ホールの音響的な改修はどこまで可能か
 2)コンサートホールの多目的利用について
 3)サラウンドホールの得失
 4)コンサートホールでのスピーチの明瞭度
 5)複数の音響コンサルタントが関係するときの問題
 6)音響上無理がある企画に対して、音響コンサルタントはどう対処すべきか

しかし質問を含めて1時間という制約ではとうてい無理で、各自用意したスライドを映す時間もなく、主としてホールの改修と多目的利用の問題で時間が一杯という現状であった。とくに、切実な音響の問題を抱えているガシュタイクの運営側と音響コンサルタント側とのやりとりは真剣で、この問題はかなり複雑で深刻な内容を感じさせた。
 時間の関係で一日だけの参加であったが、音響学会にはない現場の人々のうち解けた雰囲気があり、楽しい会議であった。
 催し物の交流が激しい今日、ホールの評価は演奏家をとおして直ちに世界の隅々まで浸透する。最近の日本のホールの評判はきわめてよく、各国から注目されていることを肌で感じることができた。

◆日本フィル特別演奏会 渡邊暁雄70歳バースディ・コンサート
 6月5日、表記のコンサートがサントリーホールで行われた。曲目は柴田南雄のシンフォニア、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン:江藤俊哉)、シベリウスの「トゥオネラの白鳥《および交響曲第7番という盛りだくさんの内容であった。
 しかし当日のハイライトはアンコールにあった。誰もが予期していた交響詩「フィンランディア《のあのテーマをP席に一般客を装って座っていた合唱団が突然立ち上がり、照明を浴びて高らかに歌い上げた。また、最後は聴衆全員によるハッピィ・バースディとハレルヤの合唱でしめくくった。
 感動深い夕べであった。マエストロ渡邊暁雄さん、いつまでもお元気で、心暖まる音楽を与えてくださることを願っています。



永田音響設計News 89-6号(通巻18号)発行:1989年6月25日

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