教会と音響
教会といえば、われわれは西欧の石造りの空間を思い浮かべます。そして、音楽ファンの方ならば、あの空間を満たすパイプオルガンの重厚な響きを想像されることと思います。しかし、わが国の教会の殆どが、西欧の歴史的な教会とは別の響きをもっております。また多くの教会が、説教が聴きとりにくいという問題を抱えています。建築音響的な立場からわが国の教会の実情をご紹介しましょう。
音響的にみると、現在の教会は次のような特色があります。
(1)礼拝空間が薄いガラス窓一枚で外部と接している。
このような建物は今ほとんどありません。したがって、環境騒音が大きい地区の教会では室内騒音が予想以上に大きく、これだけの理由で説教が聴きとれないという事態を招いております。
(2)外観は一応石造りの教会でも、天井は薄いボード張りが多く、その結果低音域の残響時間が短く、中音域だけが響いている例が多く見られます。響きの性質からみると、これは体育館の響きなのです。重厚な響きをもった教会はわが国では珍しいのです。
(3)現在では殆どの教会で拡声装置が使用されていますが、ただアンプにスピーカとマイクロホンを接続しただけという、お粗末な設備が殆どです。したがって、ハウリングの点からも拡声効果が制約され、しかも室内の騒音レベルが大きく、聴取環境として望ましくない代表であるといえます。
それでは音響特性の一部を紹介しましょう。まず、図-1は東京の中心にあるA教会の室内騒音の実測値です。不幸にもこの教会の前面通りでは、右翼の政治家による所信演説が殆ど毎日、日曜日の礼拝の時間には必ずといってよいほど行われています。60ホンを超える騒音レベルは事務作業としても許容できない値です。
B教会では祭壇の背面を私鉄が走っており、電車通過時の室内騒音は55ホンを超えていました。この教会は窓を二重に改修しましたが、それでも室内騒音は50ホンを下がりません。
また、新らしい教会は別として冷房のない教会もあり、止むなくパッケージ型の空調機を騒音の対策もないまま室内に設置してある所もあります。
静けさは礼拝空間の基本となる音響条件です。外部騒音対策、空調設備とその騒音対策という点からも現在の教会建築を見直す必要があることは明らかです。
ボードの響きをもった教会の代表は昔の霊南坂教会でした。図-2の点線がその残響特性です。音場の拡散がよいことも加わって、旧霊南坂教会の響きはスピーチに対して心地よく、当時の飯牧師はマイクロホンを使用しないで説教ができることを自慢にしておられました。しかし新教会にはオルガンが新設されることとなり、説教の明瞭度を損なわない範囲でオルガン寄りの響きづくりが求められました。新しい教会の響きは同図実線のように旧教会とは対称的な響きとなっています。
住宅を改造した20~30席の教会から外国では数千席の教会まで、教会の規模は様々です。いくつかの教会の諸元と残響時間を表-1に示します。また、ミサを中心とするカトリック教会と、説教を重視するプロテスタント教会とでは望ましいとする響きが多少異なりますが、オルガンの求める豊かな響きの中でいかにして説教に対しての明療度を確保するかが、教会音響の基本的な課題であることは事実です。
そこで重要な役割を果たすのがいうまでもなく拡声設備です。ところが満足に作動している例は少ないのです。教会のような残響の長い空間で音声の明瞭度を確保するには、スピーカシステムの選定とその配置についてそれなりの設計を必要とします。町の電気屋さんでできる仕事ではありません。時にはオーディオ指向の教会関係者の“手作り”といった設備も見受けられます。
それに、わが国の電気音響設備全般についていえることですが、この業界の関心はもっぱらポピュラー音楽という大音量の拡声にあって、スピーチの拡声はほとんど顧みられていないというのが現状です。音声が明瞭に聞こえるということは当然の性能であり、その場、その時にあった心地よい音声を与えることが本来の拡声ではないでしょうか?したがって、礼拝こそ声の質に対しての配慮が必要だと考えています。
しかし、現在の教会の拡声設備のレベルは、明瞭度すらおぼつかない原始的な段階が多いようです。先日も都内のあるカトリック教会の音響調査をしました。ここの拡声設備がエコー付きのカラオケ酒場の設備に、スピーカは今はやりのB社のスピーカ。それもただ壁に付けただけ、方向はまちまち、スピーチが聞こえる範囲は限られています。スピーカを劇場用のものに換えると明瞭度は画然と改善されます。しかしこの音質、神父さんにはお気に入りではなく、もっと語りかけるような音にしてほしいと言われます。
アメリカの教会では、大型の劇場用スピーカが天井からそのままの形で吊り下げられている例をよく見ます。一方、ヨーロッパのカテドラルなどでは、柱の影に細長いスピーカ、いわゆるトーンゾイレがつつましく納まっています。音の質に対しての好みも、また、スピーカに対しての考え方もいろいろあります。拡声という単純な機能についても考えなければならないことは多々あります。
教会と音響についての解説的な記事を『礼拝と音楽』に8回にわたり連載しましたので、教会関係の文献とともに紹介いたします。
“特集〈教会建築と音響〉”:永田穂、『礼拝と音楽』
- 建築と音響との関わり合い No.49・1986、p.48
- 静けさを求めて No.50・1986、p.66
- 遮音と遮音構造 No.51・1986、p.66
- 響きについての基礎事項 No.52・1987、p.66
- 吸音材科の基礎事項 No.53・1987、p.66
- 拡声設備の基礎 No.54・1987、p.66
- 改修についての話題 No.55・1987、p.66
- まとめ No.56・1988、p.66
日本基督教団出版局 Tel:03-3204-0427
“霊南坂教会(旧)の音響特性”:永田穂、『オルガン研究』・,1983,p-37
日本オルガン研究会 Te1:0427-74-1306
三つのピアノリサイタルから―音量について考える
カザルスホールのオープニングシリーズ結びのプログラムの一つとして、4月8日から25日まで9回にわたり、ベートーヴェンのソナタ全曲の連続演奏会がイギリスのピアニスト、ジョン・リル氏によって行われました。この演奏会については、4月30日の朝日新聞の夕刊にピアノの音色とのカザルスホールの響きについて、吉田秀和氏のやや批判的な評が載っているのをご覧になった方もおられると思います。
オルガン用のライブなスペースを残したままのこのホールのピアノについては、音響設計側としても気になっている課題です。ホルショフスキーさん、内田光子さん、それに器楽伴奏のピアノなどいくつかの演奏を聴きました。同じ楽器でどうしてこんなに音色が違うのだろうかということの他に、このホールでは曲目・演奏者によって音量感からの限界を感じたことが新しい体験でした。
今回のジョン・リル氏のピアノの音は独特な音色でした。あるレベルを超えた中音域に一種の濁りというか、渋みというか、独特の音色を全曲に感じました。ホールによっては反射音に原音とは違う雑音性の音色を感じることがあります。カザルスホールでは今回の演奏だけの特異な現象でした。
ジョン・リル氏の連続演奏が続いている最中の4月22日、昭和女子大人見記念講堂において、タチアナ・ニコライエワのバッハのピアノ曲のリサイタルを聴きました。500席の小ホールと2300席の大ホールでの音量感の違いを体験する目的でした。ピアノはいずれもスタインウェイのコンサートグランドです。
単純な計算結果ですが、カザルスホールと人見記念講堂とでは、同じ強さの音源に対して、音量として物埋的には5dB、1:7の違いがあります。感覚的には1:3くらいの違いでした。この違いはホールの音響効果としては大きな意味があるように思います。500席のホール、2300席のホール、いずれのホールも曲目によっては音量の点から無埋があるような気がします。現在のピアノの音量を受け止めるホールとしては、1000席から1500席くらいの中型ホールが無難なような気がしました。
ピアノの音量という点でもう一つ面白い体験をしました。4月29日、国立音楽大学の幼稚園の体育館で、モーツアルト時代のピアノ製作者A・ヴァルターが1781年頃製作したであろうといわれるハンマーフリューゲルの復元楽器の演奏を聴きました。音量のことだけ記しますと、音量は現在のピアノの数分の一ぐらいの感じです。これこそカザルスホールの規模のホールにぴったりのピアノではないかと思いました。
クラシック音楽は変わらないといわれていますが、楽器の音量は確実に増大してきています。これはピアノだけではないことも明らかです。音量の増加は大きな流れではないでしょうか、そして、ホールの規模も確実に増大しています。今、アメリカで計画中のコンサートホールの規模は3000席です。いずれ、この程度の規模がコンサートホールとして通用する時代になることも考えられます。今後、小ホールは小ホールなりに音量の点からもホールの規模に応じた使い方を考えるべきです。
今月はピアノの演奏から音量についての体験をご報告いたしました。音量については今後も考えてゆくつもりです。ご意見をお聞かせ下さい。
NEWSアラカルト
今月の音楽界の最大の話題はカラヤン&ベルリン・フィルのサントリーホールでの演奏会ではなかったでしょうか。今日のサントリーホールに方向を与えたのが指揮者カラヤンでした。オープニングに来られなかっただけに、今回の来日はこのホールの関係者にとって大きな出来事でした。
“宝石箱のようなホールである”、これがカラヤンの評価でした。誰より喜ばれたのは佐治社長ではなかったでしょうか。ホール関係者一同、忘れることのできない演奏会でした。