アメリカ訪問記
今年の1月中旬から下旬にかけてアメリカを訪れる機会を得た。ニューヨークやロサンゼルスなど計4都市において劇場やコンサートホールを訪ね、ミュージカルやオペラ、コンサートを鑑賞した。今回のアメリカ訪問の目的としては、例えばミュージカルのように、音楽やセリフをスピーカで拡声する演目とその施設を体感し音響的知見を広げることであった。ニューヨークのブロードウェイでは、豪華なセットと卓越したパフォーマンスのミュージカルを体感した。また、施設としての毛色は少し異なるが、昨年オープンし話題となっているラスベガスのスフィアにも足を運んだ。こちらは没入型エンターテイメントの究極を体現したような興味深い施設であった。今回はその2か所での体験をご紹介したい。
ニューヨーク・ブロードウェイでのミュージカル体験
今回訪れたアル・ヒルシュフェルト劇場は1900年代前半に建てられた歴史ある劇場である。この劇場は入口もホワイエも狭く、タイムズスクエアに近い立地のせいか劇場前の道路から大混雑していた。その混雑を抜け劇場内に入るとプロセニアムの外側にまで飛び出す華やかなセットが目に飛び込んできた。大きなラインアレイスピーカもプロセニアムサイドにあったが、セットに合わせた装飾のネットを被せることでデザインを損なわないように配慮されていた。客席の奥行が浅いことで舞台と客席の距離が近く、視界のほとんどがセットで埋め尽くされ、パフォーマンスに集中できる状況が演出されていた。演目は「ムーラン・ルージュ」で、有名な曲が随所に現れることもあり客席は大いに沸いた。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を観劇したウィンター・ガーデン劇場も20世紀初頭に完成した歴史ある劇場だが、大がかりな舞台セットに因って近未来な見た目に変身していた。劇中でのプロジェクション技術もすさまじく、動いていないはずのセットの車が本当に走っているように見えたときはとても驚いた。客席はほぼ満席で、壮大なセットで繰り広げられる有名なストーリーに場内は盛り上がりをみせていた。
観劇した印象として、どちらの劇場も豊かな音量感であった。メインのプロセニアムサイドのスピーカに加えバルコニー下やバルコニー先端、側壁といったあらゆる箇所にスピーカが大量に取り付けられており、これらをうまく制御して音量感のある拡声音場が実現されていたと思われる。また、日本で「ムーラン・ルージュ」を観劇した際に、場面によってはウォールスピーカからのリバーブ付加を感じたが、ブロードウェイでも同様の仕掛けがなされていた。アル・ヒルシュフェルト劇場では休憩前にメインフロア下手側、休憩後にバルコニー席の中央に座った。バルコニー席ではメインのサイドスピーカのほかにプロセニアム上部のポイントソーススピーカからの拡声も加わって、迫力十分であった。このように十分な音量で拡声されている状態であってもセリフや歌は演者に定位していた。一方、ウィンター・ガーデン劇場では、筆者が座ったメインフロアのやや下手側とバルコニー席上手側のいずれの席でもセリフや歌は演者に定位しづらかった。演者に音像定位するためには、演者の直接音が拡声音より先に客席に届くことが原則である。そのためには、拡声音の到来時間を直接音が到達するまでの時間よりも少し遅い時間となるように遅延をかけるといった操作が必要となる。このようなオペレーションの違いにより2つの劇場での音像定位に違いが表れたと思われる。
ブロードウェイの劇場は、演者のパフォーマンスをはじめ舞台セットや演出などいずれも素晴らしく、そのすべてによって熱狂的になれる場所であった。
ラスベガス・スフィア
昨年オープンしたスフィアをご存じだろうか。名前の通り外観が球体なのだが、その大きさは、幅157m、高さ112mとにわかに信じがたいほど大きい。外壁にはLEDパネルが全面に貼られており、日夜プロジェクションが行われている。特徴的な建物が立ち並ぶラスベガスという街だからこそできる建築であろう。
内部には約18,000人を収容できる半球状のアリーナがあり、この壁の大部分にもLEDパネルが貼られている。スフィアではエクスペリエンスプログラムが頻繁に行われており、筆者もそのプログラムに参加した。その一環でスフィア用に特別に作られた映画「Postcard From Earth」を鑑賞した。18Kで撮影されたという映画は驚くほど解像度が高く、空中に浮いているシーンでは本当に下に落ちるのではないかと思うほどリアリティがあった。また、場面に合わせて席が揺れたり風を感じたりといった効果もなされており、没入型映画館をパワーアップしたような印象を持った。
スフィアではドイツのHOLOPLOT社のスピーカX1が用いられている。X1には再生周波数帯域によって2種類ある。いずれも、1辺が1m未満のオーディオモジュールと呼ばれる直方体の中に、100個近いスピーカドライバとDSP(Digital Signal Processor)とアンプが組み込まれており、そのDSPによりモジュールが発する音の指向性や波面が制御される注1)。こうして生み出された仮想的な音空間(イマーシブオーディオ)は、スフィア・イマーシブ・サウンドと呼ばれている注2)。なお、イマーシブオーディオとは、任意の方向から音が聞こえてくるように作られたオーディオコンテンツのことである。映画を観た印象は、大空間にも関わらずクリアなサラウンドを感じた。波面合成によるイマーシブオーディオの原理上スピーカは多数必要となり、このスフィア内では常設だけで約1,600台ものオーディオモジュールが用いられている。オーディオモジュールはLEDパネルの背後に設置されており、信号処理によって、それによる音質への影響補正を行っているそうである。
また、体験プログラムの映画の前には、ホワイエにて人型ロボットと会話したり自分専用のアバター作成をしたりといった企画が行われていた。その中に、スフィアで用いられているHOLOPLOTスピーカの体感コーナーがあった。オーディオモジュールの集合体(マトリクスアレイ)が3組設置されており、各アレイの正面に行くと聴こえてくる主旋律の楽器が変わるというものであった。それぞれの正面軸では主旋律が聴こえ、マトリクスアレイの外ではデモ音楽はほとんど聴こえなくなった。ビームフォーミングによる指向性の制御を実際に体感することができた。
スフィアではライブコンサートも開催されており、現在はアイルランドのロックバンドU2によるパフォーマンスが行われている。スフィアの公式インスタグラムにその公演の様子がアップされており、画面越しにも伝わるその圧巻のライブコンサートはぜひ現地で体験したいと思わせられるものがある。今後はPhishやDead&Companyのコンサートが予定されており、さらなるイベントが楽しみである。
ブロードウェイの劇場とスフィアでは成立した時代も催し物も異なるが、それぞれのやり方でパフォーマンスへの没入感を実現しているように感じた。月並みな所感だが、没入感というのはパフォーマンス空間において重要な要素であることを再認識した。この没入感の実現は技術の進歩とともにこれからも様々な形で追求されていくもののように感じた。(小泉慶次郎記)
注1) : https://holoplot.com/products/systems/x1/
注2) : https://holoplot.com/insights/case-studies/msg-sphere-case-study