神奈川県立音楽堂 開館65周年
昭和29年11月に開館した公立で初の音楽専用ホールと言われる神奈川県立音楽堂(以下、音楽堂と記す)が、この秋に開館65周年を迎える。それを前に音楽堂は昨年4月から休館し、改修工事が行われていたが、この6月に再オープンした。外観写真に見られるように、お化粧直しを終えた音楽堂は、竣工当時の鮮やかな色を取り戻した。
音楽堂の歴史
昭和29年の開館に先立つ昭和27年、サンフランシスコ講和条約締結記念事業の一環として、図書館・音楽堂の建設事業が開始された。当時の神奈川県知事 内山岩太郎は、昭和34年の日刊建設新聞にその時の思いを次のように書かれている。「当時は住宅事情なども現在よりはるかに深刻であり、その他何かにつけて不如意な時代であつたので図書館はさておき音楽堂の建設などに莫大な県費を使うなどとはもつての外のことといきり立つ人もないではなかつたが、私はこういう時代にこそ、大衆が落ち着いて音楽を楽しみ、明日への力を養う場が必要であるとの所信を胸中に堅持していた。」この内山知事の英断により、物だけではなく、人の心を豊かにしてくれる音楽堂という建物の長い歴史が始まった。
設計は前川國男によるものである。坂倉準三、丹下健三、吉原慎一郎、武基雄の5人での指名設計競技で選ばれている。前川は当時の最新のコンサートホールであるロンドンのロイヤルフェスティバルホール(1951年竣工)へ調査に行き、音響設計も含めた資料を持ち帰り参考にしたそうだ。規模は違うが天井や色味などロイヤルフェスティバルホールを彷彿するところがある。
音響設計は石井聖光東京大学名誉教授によるものである。当時、石井先生は東京大学生産研究所 渡辺要研究室の助手をされていた時代だったと聞く。施工中、何度もの測定を繰り返し、確かめながら竣工まで進んだそうだ。日本音響学会誌(第11巻 (1955) 第2号)や東京大学生産研究所「生産研究(第7巻第5号)」に、音楽堂の音響設計についての報告がある。そこには音楽堂の設計にあたって、「(ⅰ)余韻のある豊かな音にすること、(ⅱ)音の分離性をよくすること、(ⅲ)音楽堂内に一様に音が行き渉ること、(ⅳ)反響がないこと、(ⅴ)外部から騒音が侵入しないこと」などに注意をはらったことや、音場の拡散性やエコー障害対策を考慮し、ホール内のいろいろな凹凸形状が導入されたことなどが述べられている。今見ても、天井や壁の凹凸のディテールは大変凝ったものである。また、ホールの響きに影響が大きい椅子についてのディテールや、遮音性能確保のために隙間防止対策が考えられた木製の防音扉についての図面などもあり、たいへん興味深い。
改修工事の内容と前提条件
さすがに築65年ともなると、これまでにも控室やリハーサル室の増築、椅子の全面更新(椅子巾を広げ 1,331席から1,054席に座席数変更)、耐震補強工事等々、大小様々な改修工事が行われてきている。
国際記念物遺跡会議(イコモス)は、リビングヘリテージでの改修において提唱する「継承の一貫性」で、継承すべき価値を見定め「何をどのように改修するか」のアーカイブ化を求めている。そうした状況も踏まえ、音楽堂の改修は、①外観の佇まい、②ホワイエ・ホールの内装、③ホールの響きの保存継承 を大前提として行われた。
今回、行われた主な工事内容は竣工時から更新されていなかった空調ダクトの更新をはじめ、以下のとおりである。
- 舞台部回転扉の補修
- 舞台床張り替え
- 舞台機構設備の更新
- 音響/照明調整室の移設
- 屋根の防水工事
- 外部手すりブロックの復元更新 等
改修工事にあたっての調査から設計/工事監理は、設計者である前川建築設計事務所により行われ、永田音響設計はそれに協力し、音響に関わるコンサルティング業務を行った。
改修工事
客席天井上のダクトの更新はかなりの難工事であった。ホール周りやホール天井裏スペースに余裕がなかったため、写真に見られるように、屋上に仮設の膜屋根を設け、屋根スラブに開口を設け、そこからダクトの出し入れが行われた。天井裏の狭い空間の中、作業員さんたちの暑さとの戦いのおかげで快適で静かな空調設備に更新された。
音楽堂の舞台周りは、多目的ホールに見られる可動式音響反射板ではなく、側壁、天井とも内装仕上げとして作られており、舞台側壁は楽器の搬出入や人の出入りのため、回転式で開くことができるようになっている。その大型回転扉は、経年劣化により軸の曲がりなどが生じ、運用上の不便や危険性が危惧されたため、いったん取り外して工場に持ち込まれた。工場で解体された扉は、内部の確認を行い、痛んだ部分は接ぎ木などにより修正され、ゆがみも修整して元通りに復元され、軸受けも新しいものに取り替えられた。作業は寺社建築などの保存復元を行う職人さんたちによって行われた。音楽堂の内装仕上げに使われている表面材は合板なのであるが、竣工時「シオジ」という木種が使われていた。当時は安価で流通していた材料だったそうである。全体が木で仕上げられた美しい音楽堂のそれぞれの材料は、当時、入手しやすかった材料から選ばれていたようである。ところが現在、この「シオジ」の合板は入手困難になっており、大扉の補修をはじめ各所の補修では、よく似た材質および木目の「タモ」の合板が選ばれている。シオジもタモも、植物分類的にはモクレン科トネリコ属に分類され、シオジは日本の南側、タモは東北側に生育する。
大前提とした「ホールの響きの保存」については、今回の工事内容においてホールの形状(寸法を含む)の変更はなく、内装仕上げについても保存が目的とされたため、大きく響きの変化が懸念される内容はなかった。ただし、例えば換気容量の問題から換気口が大きくなる変更があり、それを補完する対策として、後部通路上天井の反射性仕上げへの変更や、今までピンスポットと映写用に開口が設けられていた後壁部分へのガラスの設置などを行った。また、仕上げの化粧直しの方法を始め、舞台側壁大扉の補修方法など、設計事務所に協力し、音響的な問題がないかどうかを一緒に検討・確認を行いながら監理を進めた。改修工事完成時には、確認のために室内音響についての測定を行った。すでに音楽堂は使われているが、運営者の方からも響きは以前と変わらないと言っていただいている。
建築と響きの親密な関係
ホールの響きはその形や寸法、内装仕上げ、ディテールなど、建築的要素のすべてから創られているものである。したがって、「響きを保存する」ということは、言い替えれば「建築を保存する」ということに他ならない。音楽堂の響きを愛し、親しみ、残したいと言われる多くのファン、またさらにその響きを生かして運用していこうとする運営者がいらっしゃることにより、音楽堂の建築はそのまま残っていくのだと思う。
秋からもいろいろな室内楽コンサート、冬にはオペラ、また建築見学ツアーなども行われている。また現在、音楽堂周辺では「もみじ坂景観改善工事」が行われているが、9月初旬にはそれも終わり、県立青少年センター、図書館と一体となった景観も整う予定である。リニューアルした音楽堂に、どうぞ、聴きに観にいらしてみてください。(石渡智秋記)