No.358

News 17-10(通巻358号)

News

2017年10月25日発行
ホール客席

3代目 日本青年館 日本スポーツ振興センター本部棟 オープン

日本青年館の歴史

 1912年(明治45年)7月、明治天皇が崩御され、天皇の御遺志により京都桃山に陵墓が作られた。しかし時代はすでに東京中心。ときの政治家や財界人たちは桃山の天皇陵に代わる聖地を東京に作るべきだと考えだした。これが明治神宮構想の始まりである。現在、明治神宮のある代々木・原宿周辺は当時畑や草原で、神宮外苑となっている場所はかつて陸軍の練兵場であった広大な敷地である。常に砂埃が立つところということで、砂の街(すなのまち)と言われていたが、神宮外苑が出来る頃にはその名が信濃町(しなのまち)になった、という逸話もある。神宮の内苑は国費、神宮外苑は寄付で賄われた。そして勤労奉仕として全国の青年団から若者たちが延べ11万人集まり、1925年に完成した。この明治神宮造営にあたり、その功績に時の皇太子殿下(のちの昭和天皇)がたいそうお喜びになり、全国の青年団のために当時のお金で10万円を下さった。この基金により神宮の森に青年団の為の館、日本青年館が建てられることになった。これが初代日本青年館となり、その後、全国の青年団をはじめとする青少年活動の中心機関となる施設として活用されることになる。

施設外観
施設外観

 そして1979年(昭和54年)には、2代目の日本青年館が完成し、この施設は青年団の研修などの支援事業に利用されるほか、修学旅行の宿泊などにも使われてきた。また、このホールは、新人アイドルやアーチストの”登竜門”となるライブ会場としても多く利用されてきた。『8時だョ!全員集合』等TV番組の収録や、「AKB48」、「ももいろクローバーZ」も、初めてのコンサートをこの日本青年館ホールで行った。「ももいろクローバーZ」は、その後もこの日本青年館で定期的にコンサートを行い、また、宝塚歌劇団の公演会場としても使われ、都心のホールとして幅の広い利用者の要望に応えてきた。その日本青年館も、2020年のオリンピック・パラリンピックのメイン競技場となる新国立競技場の建設と同時に移転することになった。

現在の日本青年館の役割

 現在の日本青年館は、このホールを運営管理することに加え、全国の地域青年団の育成、また、青少年団体に対する支援という二つの大きな役割をもっている。

<オーケストラ関連事業>

 前述のように、ポピュラー音楽の会場として多く利用される一方で、全日本高等学校オーケストラ連盟に加盟する全国65の高等学校のオーケストラ部、弦楽部等を対象に、その技術力の向上と交流を深めることを目的とした支援も行っている。毎年ホールを活用して、全国高等学校選抜オーケストラフェスタを連盟と共催しているほか、夏休みのある時期に集中して指導を行う全国高等学校オーケストラ・サマークリニックや、全国の高校生の中から選抜オーケストラを結成してヨーロッパ演奏旅行も行うなど、その活動は音楽の仲間とネットワークを大きく広げる場となっている。今年のオーケストラフェスタは12月26~29日に新しい日本青年館ホールで予定されている。

<全国民族芸能大会>

 また、日本青年館は、全国各地に伝えられる民俗芸能の保存と振興にも努めてきており、これまで各地域の貴重な民俗芸能を舞台で紹介してきた。本年の 11月25日には、本ホールにおいて全国民俗芸能保存振興市町村連盟との共催で、全国民族芸能大会が予定されている。

施設概要

 新たな日本青年館は独立行政法人 日本スポーツ振興センターと一体の施設として計画され、本年7月に完成した。引き渡し直後の7月18日に竣工式が、7月22、23日には一般の観覧希望者を招き竣工記念演奏会が行われた。設計はプロポーザルにより選ばれた久米設計、施工は安藤ハザマである。永田音響設計は設計から監理・検査測定までの音響コンサルティングを行った。

 建物は、地下2階、地上16階、高さ70 mで、1階から5階までの低層階に1250席のホール、6~9階には日本スポーツ振興センター本部事務局が、さらにその上層階にはホテル機能であるレストラン・レセプションホールおよび220室の客室の日本青年館ホテルがあり、各機能は階層で分離され、明快な独立性が確保されている。ホールは、これまでの日本青年館ホール同様にポピュラー音楽のライブ会場として多く利用されることが想定され、その発生音が上階の事務室やホテル機能へ影響を与えることの無いように、また道を挟んで向かいの神宮球場での歓声やアナウンス、大規模なライブ演奏などの発生音が本ホールへ伝わらないように防振遮音構造を採用し、高い遮音性能を確保している。ホールの残響時間(500 Hz, 空席時)は、クラシック音楽形式の舞台反射板設置状態で1.6秒、ポピュラー音楽や講演会形式の舞台幕状態で1.2秒であり、クラシック音楽にとっては若干短めだが、ライブ会場として適した値が得られている。

ホール客席
ホール客席
ホール客席(舞台幕)
ホール客席(舞台幕)
ホール舞台(舞台反射板)
ホール舞台(舞台反射板)
ホール側壁
ホール側壁

ホール・劇場等問題

 近年、ポップス系音楽の公演会場として多く利用されてきた「五反田ゆうぽうと」や「東京厚生年金会館」、「青山劇場」が閉館、渋谷公会堂は渋谷区総合庁舎と共に建て替え中、中野サンプラザも老朽化と再開発により建て直しが予定されている。これら都心のライブ会場が使えなくなるという事態は、昨年「2016年問題」として新聞でも取り上げられていた。昨年10月に森記念財団都市戦略研究所が発表した「世界の都市総合力 ランキング」で東京はパリを抜いて3位へと順位を上げる一方、分野別ランキングの「文化・交流」ではロンドン、ニューヨーク、パリ、シンガポールに次ぐ5位であった。ロンドンでは「文化・交流」、「交通・アクセス」が1位であり、この状況はロンドンオリンピックを契機に続いている。東京都も「2016年問題」への緊急の取組と共に、この2020年に向けた芸術文化を活性化していく環境づくりを進めるべく、ホール・劇場等の課題について実演芸術団体に対する調査などを実施している。こういった事態に、いち早く建て直し工事が完了した日本青年館ホールは、様々な要望に応じた柔軟な運用が期待されている。(小野 朗記)

日本青年館:http://www.nippon-seinenkan.or.jp/

バンコク (タイ王国) の新コンサートホール

 1982年に設立されたバンコク交響楽団 (Bangkok Symphony Orchestra) はタイ王国で最古で最も由緒あるオーケストラである。一年前の2016年、タイ王室から”Royal Bangkok Symphony Orchestra (RBSO)”の名称を使うことが認められた。RBSOは、国際的な文化交流の役割を果たすとともに、地元バンコクにおいても多くの著名演奏家を招いてコンサート活動を行っている。

 RBSOはこれまで、自前のコンサートホールを持っておらず、バンコク市内で最も一般的にコンサート会場として使われている”タイ文化センター”で活動を行ってきている。このタイ文化センターは1987年にオープンしたもので、我々永田音響設計が手掛けたホールである。その文化センターの建設から30年後に、バンコクにおいてRBSOのための新しいコンサートホールが建設されることになり、その音響設計も我々が担当することになった。

 バンコク市内の中心部にあるLumpini公園を臨む新ホールの敷地は、公園の反対側がアメリカ大使館に隣接するという文化施設として絶好の場所に位置しており、現在ある22階建ての Kian Gwan House を取り壊した跡地に新たに建設されることになっている。建築主 Kian Gwan Thailand によって建設される新ビルディングには、コンサートホールの他にも音楽・芸術関係のショップが一般のオフィスとともに計画されている。また、コンサートホールの直上階にはRBSOの事務局や、1996年に設立されたバンコク・シンフォニー音楽学校 (Bangkok Symphony Music School) もテナントとして入ることが予定されている。

 本プロジェクトの中心となるのは、フルサイズのオーケストラが演奏できるステージと客席数を650席に押さえたワールド・クラスのコンサートホールであり、これを細長い長方形の敷地(幅約25 m)内にどのように上手く配置し、デザインするかが大きな課題である。ステージはすでにホールの幅一杯に配置され、ステージ後方にもコーラス席兼用の客席を配置することによって、指揮者はホール長手方向のほぼ中央付近に位置するよう設計が進められている。2階のサイド・バルコニーをステージ上にオーバーハングさせることによって客席がステージの周囲を取り囲む配置を実現している。

施設外観
施設外観
コンサートホール内観
コンサートホール内観

 建築設計は地元の建築設計事務所 Plan Architect が担当し、劇場コンサルタントとしてフランスのリヨンから The Space Factory が参加している。現在、基本設計が完了した段階で、来年2018年の半ばに建設工事開始、2020年の後半に工事完了とホールのオープニングが予定されている。
(原文英文、Marc Quiquerez 記)

舞台照明家 佐藤壽晃氏のご冥福をお祈りいたします

 舞台照明デザイナーで公益社団法人 劇場演出空間技術協会(JATET)の専務理事である佐藤壽晃氏が2017年9月に65歳で亡くなられた。最近の劇場・ホールの建設には、我々音響設計部門のみならず劇場の専門家や舞台の専門家が参加することが一般的となっている。それは、使い勝手の良い施設とするには、運用の現場を良く知る人たちが参加すべきだという認識が広がってきたからであろう。氏も施設の建設に参加する舞台照明コンサルタントの草分けのお一人であった。また、最近のJATETの運営がリフレッシュされてきたのも氏の尽力によるところが大きい。JATETは公益法人化により、業界の寄合所ではなく社会的な活動…つまり公益性を確立しなければならなくなった。そのため、協会運営の透明化、定款や組織の変更、事業の推進など山積した諸問題を解決する適任者として佐藤壽晃氏が専務理事に推挙された経緯があった。

故・佐藤壽晃氏
故・佐藤壽晃氏

 音響の立場と照明の立場は、劇場内の機器の配置においても物理的に衝突しがちで、激論を交えることが多い。ここ数年のJATETでの働きぶりは、何事も整理してゆくクリーンな姿勢で、これは我々が知らなかった氏の側面でもあった。劇場・舞台業界に対する氏の貢献に感謝し、ご冥福をお祈りいたします。(稲生 眞記)