太田市に待望の新市民会館がオープン!
群馬県太田市に新しい市民会館が完成し、今年 3月に開館式典、7月にこけら落としが行われた。2007年にプロポーザルで設計者が決まって以来、実に10年、待望の市民会館のオープンである。
完成までの道のり
群馬県太田市というと、SUBARUの町というイメージが強い。実際、東武太田駅の駅前や新市民会館の近くにはSUBARUの大きな工場が広がっており、失礼だが、太田市=音楽の町といったイメージは私にはほとんどなかった。しかし、市内には「おおた芸術学校」というアカデミーもあるように、近年、子どもを対象にした芸術教育にも力が注がれてきている。そんな太田市に新たな文化発信拠点を!と計画されたのが、この新市民会館である。旧市民会館(1969年開館、2009年閉館)の老朽化もあって、2006年に新市民会館建設の基本構想がスタートし、翌年にはプロポーザルによって香山壽夫建築研究所が設計者として選定された。しかし、ここからが長かった。2008年には実施設計までまとまったものの、小学校の耐震改修工事に予算を優先するという市長の方針から、市民会館建設は一時凍結。2011年に事業が再開されたが、施設の規模と敷地を変更しての再スタートであった。さらに、その後に再度の敷地変更もあって、ようやく現在の敷地・設計に落ち着き、工事(施工:関東建設工業)が始まったのは2014年のことだった。弊社も約10年にわたって、最初の設計から完成後の音響検査測定までの一連の音響コンサルティング業務を行った。
施設概要
施設は、大ホール、リハーサル室や小ホールとしても使えるスタジオ、会議室兼練習室用途の多目的室(2室)等からなる。スタジオと多目的室には隣接する各室間および大ホールとの遮音のために防振遮音構造を採用している。施設の外観は、これまでの香山建築には珍しく、コンクリート打ち放し仕上げである。暗色のアルミキャストパネルも使われた重厚な外観であるが、内部に入ると、各所に設けられたトップライト、開口部、透かし積みのレンガ等から取り込まれた光で非常に明るい印象を受ける。
大ホールの室内音響計画
大ホールはメインフロアと2層のバルコニーフロアで構成される1501席の多目的ホールである。このホールの大きな特徴は、客席壁面のほぼ全面に使われたレンガ積みの仕上げである。ホールの仕上げとしてレンガを使用したいという設計者からの提案があり、それに対して、低音域から高音域までの音を散乱させるための小〜大サイズの凹凸、レンガのエッジが等間隔になることで生じる異音の発生を防ぐためのランダム性のあるレンガの積み方等の音響的な要望を加えた。最終的には3種類のサイズのレンガを使って、波打つような形状の壁となっている。また、吸音が必要な後壁の一部は、レンガを透かし積みにして背後にグラスウールを設置することで、レンガのデザインを客席全体に連続させた。舞台反射板から客席前方にかけても、ランダムな木リブ仕上げとすることで、木リブとレンガの細かい凹凸による壁からの柔らかな反射音を意図している。
もう1つの特徴は、客席上部のトップライトである。客席全体に音を反射させるために曲面形状とした天井と天井の間、計3箇所にトップライトが計画され、外部からの光が曲面天井やレンガ壁に沿って柔らかく差し込んでいる。このトップライトの構想はプロジェクトの初期から場所や形を変えながらも取り入れられてきた要素で、音響的には、外部騒音の遮断のために屋根スラブの開口部に2重ガラスを配置し、客席と天井裏の区画のために客席天井にも1重のガラスを配置している。
スタジオの室内音響計画
スタジオは平土間のスペースに2層の技術ギャラリーをもつ空間で、大ホールのリハーサル利用のほか、音楽発表会等を行う小ホール利用も想定されている。室形状はほぼ直方体で、内装仕上げは木調の壁と白色の折れ天井で構成されている。ここでは多目的な利用を想定して、天井と舞台・客席レベルの壁に吸音仕上げを分散配置し、2層の技術ギャラリーには吸音カーテンを設けて響きを可変出来るように計画している。
壁全面に使われた木調の仕上げ材は”小幅板”と呼ばれるもので、その名の通り、小さな幅の板が使われている。ここでは、小幅板をルーバーのように間隔を空けて取り付けて凹凸をつけたり、その背後にグラスウールを配置して吸音させたりしている。また、天井は一面真っ白なボード仕上げに見えるが、実は一部が吸音仕上げになっている。ここで使用したのは吹き付け吸音材(天井面に設置したグラスウールの上に特殊な石膏を吹き付けて仕上げる)で、目地のない仕上がりとなっていて、吸音材に見えないどころか、下から見上げても隣り合う石膏ボードと見分けがつかない程である。
3月の開館式典では、おおた芸術学校の子ども達による合唱があり、その澄んだ歌声で長年の苦労がいやされたような気がした。その式典の帰り、市民会館とほぼ同時期に竣工した太田駅前の太田市美術館・図書館(平田晃久氏設計)も多くの人で賑わっていた。文化施設が一気に充実した太田市で、よりいっそう音楽や芸術活動が盛んになることを期待したい。(服部暢彦記)
太田市民会館:http://www.otacivichall.net/
レピーノ・ホール (ゲルギエフ・ヴィラ)
2010年6月25日のこと、筆者は家内と友人夫妻らと一緒に、ロシアのサンクト・ペテルブルグで休暇を楽しんでいた。その4年前の2006年11月にオープンしたマリインスキー・コンサートホール(News 2007年1月号参照)でのコンサートを含めて、毎年5月〜6月にペテルブルグで開催される白夜の星音楽祭(White Night Star Festival)を楽しむためである。昼間にエルミタージュ美術館に行き、夜はオペラハウス(マリインスキー劇場)と新しいコンサートホールで繰り広げられる数々の公演を毎日楽しめる、それはそれは贅沢なひと時なのである。今では2014年に新たに開場したマリンスキーIIと呼ばれる2つめのオペラハウスとともに3つの会場で、オペラ、コンサートが毎夜楽しめる。白夜の星音楽祭の時はプログラムが一層充実しており、1日のうちに3〜4公演という日も珍しくない。オペラの終演が夜11時を過ぎることもしばしばであるが、それでも外はまだ明るいのである。まさに眠れない(眠らない?)夜が続く。このマリインスキー劇場の総芸術監督であるワレリー・ゲルギエフがかつて、マリインスキー劇場という元々のオペラ劇場一つだった頃、将来のマリインスキーをニューヨークのリンカーン・センターのような文化施設群として毎夜充実した公演を提供して、観客を世界中から集めたいという夢を語っていたが、もうそれは既に実現されているのである。この白夜の星音楽祭期間中のプログラムの充実度を見ると、その質量ともにすでにニューヨークを超えており、他の類似施設、フェスティバルの追従を許さないレベルにあるといってよい。ペテルブルグ詣(もうで)を毎年でもしたい程である。
さて、話は遡って2010年、そのマエストロ・ゲルギエフから電話があって「明朝、車を手配した。相談したいことがあるので来て欲しい。」行先も目的も説明されずに、従って帰る時間も分からないまま、家内、友人をホテルに残して、ロシア語しか喋らない運転手と二人きりのおよそ1時間のドライブ。着いたところは、レピーノ(Repino)と呼ばれる別荘地帯であった。サンクト・ペテルブルグ市内から海岸沿いに北西方向に行ったところで、日本でいうと軽井沢辺りの風景に近い。マエストロはすでに現地に到着済みで私の到着を待っていてくれた(ちなみに、私の方がマエストロを待たせたのは、後にも先にもこの時だけであろう)。手短に話してくれたのは、かなり広い敷地を入手することができたので、そこに室内楽ホールとゲストハウスを建てたい、ということであった。才能ある若い人達を育てる教育の場をもっと多く提供したい、マリインスキーに客演に来てくれる世界レベルの音楽家達と若い音楽家が交流できるようなアカデミックな場所にしたいと、マエストロの夢はどんどん膨らんでいく。室内楽ホールの客席数は100-150席程度、しかしながらできるだけ多くの人が入れるようにしたい。
「音響のことは任せる」と言われたので、私自身も夢を膨らませた。公共ホールではなく全く個人的なプロジェクト、ということも拍車をかけた。客席数100-150席というのは、少しでも大きめのアンサンブルを入れようとすると音響的にはあまり余裕がない。敷地の制約から平面的に大きく広げることが難しかったため、天井を高くすることによって音響的に余裕のある空間を確保することにした。客席数100-150席クラスの室内楽ホールの場合、普通なら天井の高さは数m程度といったところであろうか。10mというとかなりの天井高となる。更なる音響的な余裕を求めて天井高をできるだけ大きく確保し、最終的には約15m(平均高さ)とした。見た目の印象はもはや室内楽ホールの印象ではなく、小さな「カテドラル(大聖堂)」といったところであろうか。マエストロからの異存は全くなく、全面的に信頼してもらったことに感謝している。マエストロの関心事は、むしろ天井の高い空間を利用してより多くの聴衆を収容することにあった。2層のバルコニーが追加され、最終的な客席数はおよそ500席を数えるに至った。
プロジェクトは2010年に始まったが、途中のプロセス(設計+施工)にはかなり時間が掛けられ、2017年5月のオープニングに至った。マエストロも我々も工事完成まで待つことができず、足場の残る2016年12月にはすでにヴァイオリンやチェロ奏者に参加してもらって、初めての音響テストを行った。天井の高い空間が美しい響きで満たされた時、プロジェクトの成功を確信した。まさに室全体が鳴っている印象である。マエストロも手放しの喜びようであった。新ホールはその地域の名前から「レピーノ・ホール」”The Repino Hall” と命名されたが、プロジェクト進行中は我々は親しみを込めて「ゲルギエフ・ヴィラ」と呼んでいた。
5月31日のオープニングは、同時期にサンクトペテルブルグにて開催されていた経済フォーラムに参加していた多くの政治家なども招かれて盛大に行われた。35人規模の室内オーケストラによるドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」に始まり、ピアノやヴァイオリンのソロ演奏も披露された。とりわけヴァイオリン・ソロを弾いたダニエル・ロザコヴィッチ(Daniel Lozakovich)は、今年16才になったばかりの新進気鋭のヴァイオリニストである。新しいホールは、若い演奏家達に積極的に使ってほしいというマエストロ・ゲルギエフの強いメッセージでもあった。
(豊田泰久記)