No.344

News 16-08(通巻344号)

News

2016年08月25日発行
新ザリャージエ公園の景観イメージ (©Diller Scofidio+Renfro, Hargreaves Associates, Citymakers)

モスクワ・フィルハーモニックホール

 ロシア・モスクワの中心部に新しいコンサートホールのプロジェクトが進行中である。客席がステージをぐるりと取り囲む、いわゆるヴィニヤード・スタイルのモスクワ・フィルハーモニックホールが、新ザリャージエ公園の地下部分に隠れるような形でデザインされている。

 モスクワ川沿岸のザリャージエ地区は、有名な赤の広場、聖ワシリイ大聖堂およびクレムリンに隣接し、モスクワ中心部の要衝にあたる。12-13世紀に交易地として始まって以来、この地区は、改築、解体および再建が繰り返された長い歴史を持つ。20世紀前半における取り壊し計画からは辛うじて逃れ、90年代初頭まで世界最大のホテルとして知られた巨大複合施設「ホテル・ロシア」が1960年代に開業したが、2006年に閉館・解体されてしまった。その跡地には当初、新たなホテルに加えコンサートホールと多目的の劇場を含む再開発事業がフォスター+パートナーズ (Foster + Partners) により提案され、弊社はこれらの舞台芸術施設に関する音響コンサルタントとして参加していたが、後にその計画は中止となった。

新ザリャージエ公園の景観イメージ (©Diller Scofidio+Renfro, Hargreaves Associates, Citymakers)
新ザリャージエ公園の景観イメージ
(©Diller Scofidio+Renfro, Hargreaves Associates, Citymakers)

 2012年初めには、この13ヘクタールの敷地に、モスクワではここ50年以上なかった新しい公園を造成する計画が持ち上がった。モスクワ市が総事業費を負担することになり、新ザリャージエ公園の都市・景観デザインの国際コンペが2013年4月から実施された。新公園内に文化地区を創生するという目標が掲げられ、敷地内にクラシック音楽用の新しいコンサートホール(モスクワ・フィルハーモニックホール)を組み入れることが決定された。また、このコンサートホールの建設プロジェクトおよび将来のホール運営における芸術監督として、世界的に有名な指揮者ワレリー・ゲルギエフ (Valery Gergiev) が迎え入れられ、その年の11月にはニューヨークの建築事務所Diller Scofidio+Renfroが率いる設計チームが提出したコンセプトが最優秀案に決まった。弊社はその直後、ホールの音響計画に参加するようゲルギエフ氏から直接要請され、プロジェクトマネージメントの会社Mosinzhproektの下で、モスクワの建築事務所TPO Reserve(2013年の公園デザインコンペにて次点を受賞)とともに、音響コンサルタント(室内音響設計担当)として2015年の夏頃から設計チームに加わることになった。ホール部分の基礎になるコンクリートスラブの打設がまさに始まろうかという時期になってようやく我々の設計作業がスタートしたため、建物の高さ、必要な床面積の確保、限られたスケジュールなど、多くの制約を受けることになった。そのため、まずやらなければならなかったことは、1,500席以上の優れた音響のクラシック音楽用コンサートホールに必要となる概略寸法を急いで検討し、敷地条件の中に収まるようにすることであった。新ホールは、公園内東側の端に計画されたガラスのドームの下に配置され、ホール屋上は人工緑化されて緩やかな斜面の丘になった。

 クラシック音楽の演奏会を主用途とするこのホールには、100人規模の大型オーケストラや背後のコーラスもステージ上に配置できるように、十分なステージ面積(幅約21m、奥行き約16m)を確保した。また、半円形の雛壇の上に演奏者がコンパクトに並ぶことができる電動昇降式のステージ迫りを備え、オーケストラ全体が演奏しやすいようにしている。メインフロアの客席については、ステージへの良好な視線を確保するため、後方に行くにしたがって徐々に段床の傾斜が急勾配になるようにした。また、客席をいくつかのブロックに分けて得られるテラス壁からの初期反射音が、直近の客席に効果的に届くように調整した。ステージとメインフロアをぐるりと取り囲む客席の手摺部分は、ダイナミックなリボン状の形をしている。その上部の、VIP用のボックス席を含むバルコニー席の下天井を利用して、ステージと客席に初期反射音が返ってくるようにした。観客あるいはコーラスを収容するステージ背後の座席については、ロールバック方式で完全に収納できるようにして、ステージの奥行きを5m以上拡げられるようにしている。このコーラス席の背後にはパイプオルガンが設置される。客席数は合計で1,560となった。

新コンサートホールの内観イメージ (©TPO Reserve)
新コンサートホールの内観イメージ (©TPO Reserve)

 音響的に特に重要なホールの室形状については、建築設計を担当するTPO Reserveと細かく打ち合わせしながら、コンピュータ・シミュレーションによって慎重に検討を進めていった。天井高はステージ上15mの一番低いポイントからホール後部に向かってステップ状に少しずつ高くなっており、最高部がおよそ21mである(いずれもステージ床面からの高さ)。十分な天井高を確保することによって、豊かな響きを実現するために必要な大きな室容積を確保している。また、天井面には三次元のゆるやかな凸面形状を採用して、クリアーな音質を得るために不可欠な初期反射音をホール内にバランス良く分布させた。ホール内のデザインに曲線・曲面が多用されているが、これは建築設計側の意向によるものである。壁面には、表面が滑らかな部分と、高音域の鋭い音を拡散させて反射音が柔らかくなるよう表面に不規則な凹凸を付けた部分を、交互に配置した。

 このホールの大きな特長は、ステージ先端部と客席最前部を沈めてオーケストラピットを設置し、最大70名の演奏者をピット内に収容できることである。オペラハウスや劇場ではオーケストラピットの設置はごく一般的であるが、コンサートホールではほとんどみられない。2006年にオープンしたサンクトペテルブルグのマリインスキー・コンサートホール(2007年1月の本ニュースで報告)が、弊社の初めての事例である。このピットのアイデアは、元々、マリインスキー劇場の芸術総監督で、マリインスキー・コンサートホール建設プロジェクトの発起人でもあったゲルギエフ氏自身によるものであった。ホールがオープンしてから10年のあいだ、毎年数多くのオペラ公演がこのホールのために制作された。2015-2016年のシーズン中には、10種類の演目が計50回上演されている(ただし、ステージセットが組まれなかったものは含まない)。舞台装置やステージセットを存分に使うことができるオペラ専用劇場とはまた違ったタイプのこのようなオペラ公演は他ではなかなか観ることができないし、このホールの形態自体がオペラ制作者の新しいアイディアの源となっていることは間違いない。従来のオーケストラによるコンサートの形式だけでなく、コンサートホールの音響のクオリティをキープしつつホールの使い方をさらに拡げていく上で、このオーケストラピットは重要な役割を果たしている。この成功例を一つのモデルとして、モスクワに新しいタイプのコンサートホールを実現することが我々の目標である。

マリインスキーコンサートホールのオペラ公演 (©Mariinsky Theatre)
マリインスキーコンサートホールのオペラ公演 (©Mariinsky Theatre)

 現在、設計期間が終わりに近づいている。このような大型で複雑な形のホールのデザインに不可欠なステップとして、1/10スケールの模型を製作し、エコー等の問題が無いかどうかをチェックする音響模型実験をこれから数ヶ月のあいだに実施する。現地では既に工事が進められており、公園の一般公開に続き、コンサートホールについては2017年中のオープンが予定されている。(原文英文、Marc Quiquerez 記)

いわきアリオス支配人 大石時雄氏をお迎えして

 今年の6月、いわき芸術文化交流館アリオスの支配人大石時雄氏を東京事務所にお迎えして、アリオスやこれからの公共ホールについてお話を伺った。
 大石氏は約30年間公共ホールに関わってこられた。伊丹市立演劇ホールの演劇プロデューサー、パナソニック・グローブ座(現東京グローブ座)の制作担当を経て、世田谷パブリックシアターや可児市文化創造センターの設立に参加。PFI方式によって建設されたいわき芸術文化交流館アリオスには、2004年の劇場計画専門家チーム発足時から参加された。アリオスは2008年4月に第1次オープン、2009年5月にグランドオープン。今年、活動8年目を迎えた。

「文化の殿堂」から「ホールを持ったコミュニティスペース」へ

 劇場・ホールにはこれまで行政が求めてきた集客装置としての役割に加え、街づくりの要素となる“人々が自然と集まる施設”としてのニーズが高まっている。そのためには建物の中の活動を外から見えるようにし、街に開かれたオープンな空間にする必要がある。客席・舞台とバックヤードというクローズなエリア以外はすべて開放したい、劇場に興味のない人達にも気軽に足を踏み入れて、居心地よく利用してもらえる空間にしたい、と大石氏は語る。一方で、オープンな空間では音の問題が起こりやすいが、全ての場所に静けさが必要なわけではない。部屋同士でも遮音してある方がいいのか、活動の音が聞こえてよいのか、建築のデザインと一緒に音のデザインをすることが求められてくる。居心地のよいオープンな空間をどう設計するか、大石氏から我々に託された課題である。

直営と指定管理者制度

 アリオスの特徴の1つは指定管理者制度を導入せずに市の直営で運営している点である。今の指定管理者制度は本当に公共ホールの運営に適しているのか?大石氏は、そもそも利益を生み出すような施設ではない劇場・ホールの運営を、利益を上げることが求められる民間に委託する指定管理者制度を危惧されている。この制度を導入した施設の運営状況を調べる中で見えてきた実態について伺った。
 数年のサイクルで管理者を指定し直すこの制度では、地方自治体の財政削減により、1サイクル毎に指定管理料が大幅にカットされる事態が生じる。自主事業に力を入れている財団はその事業計画を評価されて管理者に指定されるため、管理料がカットされてもすぐには自主事業の予算削減には動かない。まず、働く職員の給料・人数を削減して乗り切ろうとするため、運営の人材が維持出来なくなる。更には、人件費と施設の維持管理費分しか予算が無くなって自主事業を削減する、という状況が現実に起きていると警鐘を鳴らす。

舞台技術者の地産地消

 大石氏はお話の中で、少子化が公共ホールに及ぼす影響とそれにどう対応していくか、ということに頻繁に触れられた。その影響の1つが、舞台技術者の確保が困難になっている状況である。そこで、いわきの中でアリオスを支える舞台技術者を育てようという計画を進めているという。アリオスでは舞台・照明・音響の各グループのチーフ・サブチーフは経験者を招聘し、その下のスタッフにいわき市出身の若者を採用している。経験豊富な先輩の下、経験がない若者を先入観がない状態から育てていくので吸収も早い。一方、自主事業では子供を対象としたバックステージツアー“たんけんアリオス”や、高校演劇部の学生等に舞台技術スタッフが仕事を教える“舞台技術基礎講座”と底辺を広げる企画も行う。ここで学んだ若者の中には将来アリオスの舞台技術者になることを希望する人も出てきて、成果が見え始めている。

これからを担う若者との接点を

 アリオスをどう使いたいか、どういうアリオスになって欲しいか、大石氏はこれからを担ういわきの若い人達の声に積極的に耳を傾ける。自分の成功体験や固定概念にとらわれずに次のことを構想するために、自分達の世代と全く価値観が違う若い人達の話を真摯に聞く。“高校生達と互いに腹を割ってGive and Takeすることが重要”という言葉がとても印象に残った。(箱崎文子記)