南カリフォルニア大学 – BCI新棟のオープニング
南カリフォルニア大学(通称:USC)は1880年に設立されたアメリカ西海岸最古の私立大学で、キャンパスはロサンゼルスにあり、2012年には海外からの留学生が全米で最も多い大学となっている。建築家のフランク · ゲーリーや映画監督のジョージ · ルーカスなど、芸術の分野で数多くの著名人を輩出しているほか、医学や情報工学の研究でも有名である。IPアドレスを管理しているのがこの大学の研究所であり、クラシック音楽専門のFMラジオ局KUSCを運営している大学としても知られる。
学内のBrain and Creativity Institute(略称:BCI)は、Dr. Antonio DamasioとDr. Hanna Damasioにより2006年に設立された研究所で、文字通り、ヒトの脳の働きと人間の創造性の関係を明らかにしていくことを目的とした施設である。Dr. Damasiosは、施設内に並ぶ最新医療現場さながらのMRIや脳波測定装置などを、病気の治療のためだけではなく、芸術活動に関する研究にも役立てようとしている。
今回のBCI新棟増築プロジェクトは、世界中から集まった精鋭たちが日々研究に没頭するスペースに新しくホールを隣接させ、脳科学と芸術を結びつけて理解していこうとする意欲的な試みをより具体化したものである。約20,000平方フィート(約1,850 m²)の建築計画に対して当初予算約900万ドルが用意された。Michael Maltzan Architectureが建物のコンセプチュアル・デザインを手がけ、Perkins + Willが実施設計を担当、永田音響設計はホールの室内音響、遮音および騒音防止のコンサルティングを担当した。
Joyce J. Cammilleri Hallと名付けられた約100席の空間は、クラシック音楽のためのコンサートホールとしてだけでなく、レクチャーやプレゼンテーション用の場所としても使えるように設計されている。ロビーからごく緩やかな螺旋状の動線を伝ってホール内に入ると、一見、黒を基調とした内装が実験劇場のようなスペースを思わせるが、緩やかな曲線を組み合わせた平面形状や急傾斜の客席部分、さらにはステージサイドにも配置されている客席や、客席との段差が無いステージなどに目が慣れてくるにしたがって、親密さが感じられる落ち着いた空間となっていることがわかる。
室内楽の演奏を想定して、天井はステージ中央部において13.5 mとかなり高く設定し、室容積は約1,100 m³である。ステージの床については、適切な響きが得られるように、下部に空気層を設けた木の組床構造とした。また、壁の凹面形状によって音の集中を引き起こすことの無いようにホールの基本形状について検討するとともに、ステージを含む壁の下部には高音域の拡散を目的とした細かい凸凹の形状を配置した。その結果、エコー等の音響的な障害は全く感知できなかった。
なお、このホールでは、クラシック音楽のコンサートだけではなく、レクチャー等の催し物にも十分に対応できるよう、ステージ背後の手動の吸音カーテンと壁上部のほぼ全体を覆う電動の吸音カーテンによって響きの調整ができるようにした。中音域500 Hzにおける残響時間の満席時の推定計算値は吸音カーテン収納時に1.1秒で、室内楽の演奏に適した豊かな響きが得られている。また吸音カーテン設置時には0.8秒となり、聴感上も大きな差が感じられ、期待した効果が十分に得られている。
工事がほぼ完了した昨年5月2日には、このホールで五嶋みどりさんに試奏をしていただいた。束の間ではあったが、素晴らしい演奏をごく間近で堪能でき、このホールで意図した響きが得られたことを確信した瞬間でもあった。みどりさんは2004年にUSC音楽学校の教授に就任されたあと、現在は弦楽学部の学部長を務めておられる。
11月6日には竣工式典が開催され、屋外でのスピーチとテープカットのあと、ホール内で2曲ほど演奏が披露された。1曲目はMartin Leungによるリストのピアノ曲Tarantellaで、元気な曲でやや大きめの音だったが、天井が高いおかげか飽和している感じもなく、実に気持ちよく聴くことができた。2曲目はRalph Kirshbaumがバッハのチェロ曲Sarabandeの大変落ち着いた演奏を聴かせてくれた。両曲ともにとても素晴らしい演奏で、関係者一同、大満足であった。
非常にユニークなこの研究所において、今後とてつもないことが発見されるかもしれず、今回新設された小さなコンサートホールがその突破口として貢献することを期待せずにいられない。3月25日には五嶋みどりさんのコンサートが予定されている。(菰田基生記)
南カリフォルニア大学(USC)HP:
http://www.usc.edu/schools/college/bci/index.html
http://news.usc.edu/#!/article/43562/usc-to-unveil-new-home-for-neuroscience/
吉村純一氏にガラスの音響性能の秘密を聞く
ガラスを取り入れた建築デザインは近年非常に多くなっており、それも大型化している。ホール外壁にもガラスが採用されることもあって、ガラスの音響的な知識がより重要となっている。そこで、ガラスの音響性能の研究では第一人者である小林理学研究所の吉村純一氏をお招きして、氏が長年、研究課題として取り組んでいるガラスの遮音性能について興味深いお話しをしていただいた。
吉村氏は、日本大学理工学部建築学科を卒業された後に財団法人 小林理学研究所に入所され、建築音響分野の研究に従事される一方、日本建築学会、日本音響学会、日本騒音制御工学会などでも活躍されている。また、ISOの建築音響分野の委員会に日本代表として出席されるなど、規格 · 規準にも精通されている。
まずお話しいただいたのは、ガラスの寸法や固定条件と音響透過損失との関係である。吉村氏は板硝子協会からの委託研究で、様々な寸法やガラスの種類に対して音響透過損失の測定を系統的に行い、寸法や固定条件等がどのように遮音性能に影響しているかを詳しく調べられている。ガラスは、その材質からコインシデンス効果が顕著な材料であるが、コインシデンス周波数以下ではサイズが大きいほど遮音性能が低くなる傾向が見られるもののその差はさほど大きくないこと、コインシデンス周波数以上ではむしろガラスの固定条件の方が、ガラスの種類によっては無視できないことなどをお話しいただいた。
ところで、上述したコインシデンス効果とはある特定の周波数で遮音性能が低下する現象で、同じ材料であれば厚さが厚いほど、すなわち剛性が大きいほど、遮音性能の落ち込む周波数は低くなる。単板ガラスではコインシデンス周波数での落ち込みが顕著なのだが、合わせガラスでは2枚のガラスの間の特殊なフィルムによってその落ち込みが小さくなる。しかしこのフィルムの損失係数は温度によって変化するため、寒い場所では合わせガラスも単板ガラスと同様の特性になってしまうということである。カタログを見ているだけではわからないことである。もうひとつ現場で注意しなければならない性質として、音の入射角度によって遮音性能が変わるということである。すなわち同じガラスを使用したとしても、道路と窓ガラスとの位置関係によっては、遮音性能は変わってくるのである。
吉村さんのお話は、ガラスを使用しているプロジェクトにすぐにでも適用しなければと思うような有用なお話しばかりであった。また、遮音の計算ではカタログ値をそのまま使うのではなく、現場に即した対応が必要であることを痛感した。(福地智子記)
書籍紹介:「オーケストラは未来をつくる」
潮 博恵著、ARTES アルテスパブリッシング出版、定価:1900円
本書の副題は—マイケル · ティルソン · トーマスとサンフランシスコ交響楽団の挑戦—となっているが、表紙の裏面には次のように書かれている。
オーケストラを再定義する。
- クリエイティヴィティの可能性は、私たちが思っているよりも大きい
- あらゆる活動にイノベーションの余地がある
- オーケストラは市民がつくる
クラシック音楽界を元気にする<変革>のヒントを満載!
サンフランシスコ交響楽団(SFS)とその音楽監督であるマイケル ·ティルソン · トーマス(MTT)の事が中心として書かれてはいるが、その内容はもっと一般論として、オーケストラのことやコンサートのこと、そしてクラシック音楽そのものを考えることに主眼が置かれて議論が進められている。
2年前の2011年1月に米国フロリダ州のマイアミ · ビーチにてNew World Symphonyという若いオーケストラ奏者を養成するオーケストラ ·アカデミーのための新しいコンサートホール、New World Centerがオープンした(本ニュース278号(2011年2月)参照)。このオーケストラの音楽監督もMTTが兼務する。このホールのオープニングでお会いしたのが、今回ご紹介する「オーケストラは未来をつくる」の著者、潮 博恵さんである。潮さんのお仕事は行政書士。音楽関係のお仕事ではないという意味では、決してこの世界のプロではない。マイアミにてお会いした時は正直いって、MTTの熱狂的なファンが日本からわざわざ足を延ばして来られたのかと思ったが、本人から紹介されたウェブサイト【続 · 徹底研究】ティルソン · トーマス&サンフランシスコ交響楽団 ~「オーケストラ」で社会に新たな価値を創造するチャレンジを考えてみるサイト~ の記事を拝見して、そのレベルの高さに驚かされた。自らチケットを買い求めてSFSのコンサートを聞くこと実に6年間に62回、数々のインタビューを含めた徹底した情報収集、分析、そして簡潔にかつ綿密にまとめ上げられた記事は、単に素人の一音楽ファンによるものとはとても思えない。大学で音楽学を専攻され、そしてMBAも修得されている潮さんの経歴を拝見して少し納得させられた。本書はこのウェブサイトの記事をさらに発展させて一冊の書として取りまとめられたものである。一般音楽ファンのみならず、オーケストラ、音楽教育、音楽ビジネス、等々すべてのクラシック音楽関係者に一読をお薦めする。(豊田泰久記)