下呂市交流会館「アクティブ」のオープン
飛騨川の流域に湧く下呂温泉は、室町時代の僧侶万里集九(ばんりしゅうく)や、家康から徳川将軍四代に仕えた儒学者林羅山(はやしらざん)らにより兵庫県の有馬温泉、群馬県の草津温泉と並ぶ「日本三名泉」と称されている。岐阜県中東部に位置する下呂市は、まさに温泉の町として全国的に知られている。名古屋駅からJR高山本線特急「ワイドビューひだ」に乗ると、電車から見える飛騨川の雄大な景色に魅了されながら、1時間半ほどで下呂駅に着く。
この下呂市に今年3月、下呂市交流会館「アクティブ」がオープンした。施設は、多目的に利用できる805席の「泉ホール」と、各種スポーツ大会が開催可能な最大2900人収容の「温(ホット)アリーナ」、そしてそれらに挟まれるように配置された棚田テラスと呼ばれる解放的な吹き抜け空間から構成されている。棚田テラスには、まめPodと呼ばれる大きさと用途の異なる7つの部屋が点在しており、まめPod1ではリハーサルや発表会、まめPod7では電気楽器の練習等、その他の部屋では会議、工作など市民の様々な活動に利用できるよう計画されている。アリーナとホールの名称はまさに下呂”温泉”にちなんで付けられており、市民の期待の大きさが感じられる。設計・監理は日本設計、施工は土屋・日産共同企業体である。
遮音計画
本施設の中心施設である泉ホールと温アリーナは、棚田テラスを介して平面的に距離をとって配置した。また、特に大音量の発生が想定される「まめPod1(マルチスタジオ)」と「まめPod7(音楽練習室)」には防振遮音構造(まめPod1:防振ゴム浮床の上に独立の鉄骨組、押出成型セメント板で遮音層を形成する構造、まめPod7:コンクリートの箱を丸ごと防振ゴムで支持する構造)を採用した。遮音性能はホールとアリーナ間で79dB以上(500Hz)、ホールとまめPod1、まめPod7との間でそれぞれ97dB、105 dB以上(いずれも500Hz)の実用上問題のない結果が得られている。
温アリーナの室内音響計画
アリーナのような大空間では室容積が大きいため残響時間が長くなりがちである。今回は屋根の野地板である木毛セメント板が内装面にあらわしになっているのに加えて、その下にグラスウールボードを背後空気層を確保して設置した。また壁面についてもガラス以外の壁面に可能な限り多く吸音構造を配置した。
泉ホールの室内音響計画
泉ホールは市民の発表および鑑賞の場として、クラシックコンサートから講演会・式典、演劇等まで多目的な利用ができるよう計画された。平面形状はシューボックス型を基本とし、バルコニー席をもつホールである。生音でのコンサートにふさわしい空間とするため、舞台反射板を設置した際には舞台と客席が一体の音響空間となるように、プロセニアム開口は舞台面から12mに設定した。客席の天井高は舞台面から約15m、客席幅はメインフロアで約18mである。サイドバルコニーの下面は、その下の席に対して早い時間帯に反射音を返すため、客席内側に向けて5度の傾斜をつけた。また、シーリングスポット開口の段差による天井からの反射音のギャップをなくすために、キャットウォークを客席上部に露出とし、そこにシーリングスポットを設置した。その際、キャットウォークの床材は、客席天井からの反射音を阻害しないよう音響的に透過なエキスパンドメタルを採用した。キャットウォークを露出とすることで音響的なメリットの他に、天井裏にキャットウォークのためのスペースが不要となり建物の高さを低くできるメリットもあった。内装材料は低音域まで確実に音を反射させるため石膏ボード多層貼りとした。特にメインフロアの側壁は十分な重量を確保するため、木仕上げの下地にモルタルを充填しコンクリート壁に密着させた構造とした。また、表面仕上げは不規則なリブとし反射音の拡散を意図した。残響時間は、舞台反射板設置時で約1.8秒(満席時/500Hz)と生音主体のコンサートに適した値が得られた。また聴感的にも低音の充実した滑らかな響きを確認している。
3月28日(日)、こけら落とし公演として東京フィルハーモニック交響楽団の演奏会が催された。残念ながら演奏を聴く機会を得られなかったが、多くの人が来場したいへん盛況だったと聞いている。また、温アリーナもすでに多くのスポーツ大会が開催されている。今後も市民のホットな活動が泉から湧いてくるようなアクティブな場になることを期待している。ぜひ一度、温泉で疲れを癒すとともにアクティブに足を運んでみるのはいかがでしょうか。(酒巻文彰記)(写真撮影:エスエス名古屋)
下呂交流会館 http://www.gero-k.jp/
海外で出会った音響材料1 −吸音ガラス!?−
海外で出会った音響材料を紹介していきたい。今回は”吸音ガラス”である。正確には、ガラス板に微細スリットを多数刻み込んだパネルで、本ニュースNews05-07号で紹介した微細穿孔板と同じ吸音機構を有している。
海外、特にヨーロッパのプロジェクトで、これまで日本では見たことのない吸音仕上げ材に何回か出会った。いずれも意匠性が高く音を吸うようには見えない仕上げ材料で、いくつかがスイス製であった。2月下旬にそれらの製作会社(複数)を訪ねる機会があり、その一つAkustik & Raum社から紹介を受けたのが”Fine-Micro Glass/微細スリットガラス(FMガラス)”である。
当日は、このガラスが実際に取り付けられている北西スイス工科大学(Fachhochschule Nordwestschweiz Hochschule f?r Technik)の講堂(Aula Hall)を訪れた。同講堂の壁上方4面に20cm角のFMガラスが約1500枚はめ込まれている(写真のやや白く見える正方形がFMガラス)。FMガラスの背面には、周囲との遮音を兼ねるもう1層のガラス壁がFMガラスと少し距離を置いて建て込まれており、この空間が”バネ”、FMガラスのスリットが”質量”、微細ガラス片の側面と空気の摩擦が”抵抗”、の役割を果たしてレゾネータ・タイプの吸音機構を形成している。
FMガラスは、20cm角の正方形の中に幅0.2mmのスリットが1.8mm間隔で100本刻み込まれている。最初ガラスに微細孔を空けることを試みたがうまく行かず、砂と水を高圧で吹き付けて微細スリットの実現に漕ぎ着けたとのことである。微細ガラス片の側面はすりガラス状で、パネル斜め方向からは見通せないが正面からは裏が透けて見える。FMガラスに触れて軽く押さえつけると、微細ガラス片は壊れずに捻れる。実に奇妙な感触で、ガラスには粘り気が有り、柔らかい素材であることを初めて体験した。(小口恵司記)
Akustik & Raum社 http://www.akustik-raum.com/
“いわきアリオス”USITT Architecture Awards, Merit Award受賞
本ニュース( 245号、246号、260号、268号)でも度々ご紹介してきたいわき芸術文化交流館「アリオス」が、United States Institute for Theatre Technology(アメリカ舞台技術協会)の2010年度Architecture Awards, Merit Award(建築賞優秀賞)を受賞した。4月2日、ミズーリ州カンザスシティーで授賞式が行われ、統括設計責任者の佐藤尚巳氏に賞状が授与された。日本のホールの受賞は、1996年の彩の国さいたま芸術劇場、1999年の世田谷パブリックシアターに次いで3件目となる。
いわきアリオスは、2008年4月に第一次オープン、2009年5月にグランドオープンしたいわき市の施設で、大ホール(1705席)、中劇場(500〜687席)、小劇場(233席)の3つのホールおよびリハーサル室2室、スタジオ4室から構成されている。施設としても運営面でも特色ある大ホールと中劇場、そしてこれらを結ぶ交流空間に設けられたリハーサル室やスタジオなども併せた計画の斬新さが受賞対象となったということである。
(福地智子記)
“カザルスホール”2010年3月31日をもって使用停止に
東京御茶ノ水の日本大学カザルスホールが、3月31日をもって使用停止になった。カザルスホールは、1987年に主婦の友社のホールとしてオープンし、プロデューサの萩元晴彦氏の下、開館以来、室内楽ホールの先駆けとして多くの有名演奏家のコンサートが行われてきた。また、日本初のレジデントカルテットを持ったり、アマチュアの室内楽フェスティバルのような今までにはない取り組みをするなど様々な自主企画でクラシックファンを魅了してきた。開館10周年には計画当初から念願だったパイプオルガンが設置され、磯崎新氏の優雅な建築デザインにユルゲン・アーレント氏製作の典雅なオルガンがマッチし、オルガン音楽ファンのみならず多くの音楽ファンにその響きは支持されてきた。しかし、主婦の友社の経営難で2000年には自主企画の中止、2003年には日本大学への委譲と、過酷な運命に翻弄され厳しい状況が続いていたが、とうとう使用停止ということになった。最終日の3月31日には、カザルスの名を冠するための条件だった若手音楽家の育成という言葉に相応しく、2002年に最年少チェリストとして出演した横坂源氏によるチェロ演奏と、オルガニスト・イン・レジデンスの水野均氏によるオルガン演奏が行われた。横坂氏の活き活きとした演奏と水野氏が創り出すアーレントオルガンの響きに皆、拍手喝采であった。アンコールには鳥の歌が演奏されたのだが、涙する人も多かったのではないだろうか。今後の方針は未定ということである。しかし、23年間に紡がれた歴史は貴重なものである。鳥の歌を聴きながら、今一度よみがえって欲しいと思ったのは私だけではないだろう。(福地智子記)