藤原洋(ふじわらひろし)記念ホール 慶應義塾 協生館にオープン
慶應義塾創立150周年記念事業の一環として、日吉キャンパス内に「協生館」が2008年7月に竣工した。協生館は東横線日吉駅前の綱島街道沿いに建設された地下2階・地上7階の建物で、ここでご紹介する藤原洋記念ホールの他に、大学院施設、研修宿泊施設、保育支援施設、スポーツ施設、学生生活支援施設などから構成されている。協生館のホームページには、地域・社会連携の展開の場と書かれており、地下1階から地上2階までの藤原洋記念ホール、イベントホール、保育支援施設等の各施設は一般の人たちの利用も可能となっていることからも、地域との協生が強く意図された建物であることがわかる。設計は(株)環境デザイン研究所、(株)三菱地所設計、施工は東急建設(株)、東光電気工事(株)で、当社はホール部分のみの設計段階および工事段階における建築音響および騒音防止に関する音響コンサルティング業務を行った。
渋谷から横浜を結ぶ東急東横線の日吉駅を出ると慶應義塾日吉キャンパスのシンボル的な銀杏並木が見える。駅前の道路沿いを右側に進むと白い外壁の建物にたどり着く。それが協生館である。協生館の手前には新しく開業した横浜市営地下鉄グリーンラインの日吉駅への出入口があり、アクセスの良い環境に立地している。藤原洋記念ホールは、協生館2階の最も奥に位置している。
藤原洋記念ホールは、客席数509席、側方と後部にバルコニー席をもつシューボックス形状の音楽ホールとしても利用できる講堂で、名称は支援者への謝意を表して命名された。木質調の仕上げと優しい色合いの客席椅子が、温かい雰囲気を醸し出している。音楽ホールでありながらも大学施設としては式典や講演会等も必要不可欠な用途であることから、音響的には側壁の広範囲な面に残響可変用の吸音幕を設置する方法で対応した。すなわち、基本的には音楽ホールとしての性能を満足できるような室形状や内装材料とし、その範囲内で式典や講演会などへの対応を可能な限り行うという方針で設計は進められた。この方針は、これまで多くの劇場の設計に携わってこられた環境デザイン研究所所長の斎藤義氏の音響への深い理解によるものだと思われるが、それ以上に氏の音へのこだわりだろうと考えている。
多少大きな編成でも余裕のある響きとするには室容積は大きい方が好ましい。しかし、天井高が高すぎると音響的に好ましい反射音が得られない。そこで、音響的に必要な空間を確保しつつ適度な反射音が得られるように、大きな反射板を舞台上部に設置した。
舞台背面は全面ガラス面になっており、ガラス越しに協生館の東側にある陸上競技場を見ることができる。そこには用途に応じてレースや厚手のカーテン、そして可動式の反射壁を設置できるようになっており、音響的な可変装置の一部にもなっている。反射壁には演奏者に対して音響的に有効な反射音を返すことを意図して庇を設置するとともに、表面に拡散を意図した大きさの異なる大小の縦リブ、横リブを設置した。写真からもわかるように、音響的な要素が取り入れられた綺麗なデザインに仕上がっている。さらに、小さなホールなので壁からの反射音の影響が大きいと考え、壁の各部位はスムースな面ではなく細かな凹凸のついた仕上げとした。天井反射板も同様に凹凸面がついている。
吸音幕は舞台から客席の側壁に、舞台背面と併せて約270m2設置した。吸音幕の有無で残響時間は1.1〜1.8秒まで可変し、長めの響きが好ましいクラシックコンサートから明瞭度を確保したい講演会まで、幅広い演目に十分対応できる仕様となっている。
協生館には、前述したように様々な施設が設けられている。ホールの直下階には保育施設が配置されている。また、周辺には東急東横線、横浜市営地下鉄、綱島街道がある。これら周辺諸室との遮音や外部からの騒音・振動の伝搬防止に対して、ホールには防振遮音構造を採用した。竣工後の東急建設技術研究所の測定結果によれば、下階の保育施設との遮音性能は80dB以上(500Hz)と、使用不全く支障とならない性能が得られており、外部からの騒音も全く聞こえなかった。空調騒音もNC-20以下である。
オープン後、残念ながら本格的なコンサートをまだ聴いていないのだが、竣工直前に聴いた設計事務所の方が演奏されたチェロの音は、適度な明瞭さがありそして優しく温かな響きだった。都内のコンサートホールに劣らない雰囲気と音を楽しめることと思う。機会があれば足を運んでいただきたい。(福地智子記)
開館15周年の横須賀芸術劇場
音楽之友社が年2回、春と秋に発刊する『グランド・オペラ』というオペラ愛好家のためのオペラ総合誌の1コーナーを4年前からお手伝いしている。その最新号の取材で、横須賀芸術劇場を訪問し、開館15周年記念のバロックオペラ2編をみせていただき、会館の管理・運営を担当する(財)横須賀芸術文化財団の事業部長・天沼ひかる氏と演出家の彌勒忠史(みろくただし)氏からお話をうかがった。
横須賀芸術劇場は、大規模なオペラが上演できる広い舞台と馬蹄形の客席を擁する1800席の『よこすか芸術劇場』と600席弱の『ヨコスカ・ベイサイド・ポケット』という小劇場、大小リハーサル室から構成されている。場所は、都心から電車で1時間ほどの京浜急行線汐入駅前で、JR横須賀駅からも歩いて10分ほどである。
この地域は、明治のころから海軍基地が置かれ、大戦後も米軍基地でよく知られている。会館の敷地も1933年竣工の海軍下士官用の劇場があった場所である。戦後は、米軍の下士官クラブとして、83年までジャズやシャンソン、オペラ、バレエなど様々な催物に利用されていたそうである。その後、日本に返還された跡地に、市街地再開発事業の一環として横須賀総合文化センター(現劇場)が建設されることになる。
建築設計は丹下健三・都市・建築設計研究所が担当し、永田音響設計は89年の基本設計段階から音響コンサルタントとして参加する。それ以前にも市の委嘱で合唱と管弦楽の組曲『横須賀』を作曲していた團伊玖磨氏が、基本計画から管理・運営計画まで深く関わられている。そして、94年の2月に藤原歌劇団によるオペラ《蝶々夫人》でオープンした。
天沼氏によると、96年から小劇場でオペラ入門シリーズとしてハイライトを紹介していたのだが、03年からは彌勒氏の企画・演出でオペラを通し上演する『オペラ宅配便』シリーズを6年間、13演目続けてきたそうだ。そこで劇場付合唱団や舞台技術者も含めた自主制作体制が充実し、大劇場での開館15周年記念のバロックオペラ上演に結実したのである。竣工当時の残響時間は舞台幕、空席時で1.7秒(500Hz)となっている。伴奏は12,3人ほどの古楽器によるバロックアンサンブルであったが、クリアな歌にマッチしたバランスの良い響きを楽しむことができた。テノール歌手でもある彌勒氏は「イタリアではオペラはドラマとしてとらえられ、役者(歌手)のセリフ(歌詞)をきちんと聴き取るために響きは意外にデッドなんですよ。」という言葉が印象的であった。(稲生 眞記)
グランド・オペラVol.42 2009春号 音楽之友社刊 P82-86 ”劇場空間をわが家に!!”
横須賀芸術劇場ホームページ http://www.yokosuka-arts.or.jp/
本杉省三教授を囲んで
永田音響設計では、私共が日常の業務でご一緒させて頂いている建築家や舞台関係の方々など、その世界のスペシャリストの方を弊社事務所にお迎えして、いろいろなお話を拝聴している。約2時間程度お話頂いた後、ワイングラスなどを片手にざっくばらんなディスカッションに移る。
去る4月6日(月)には日本大学理工学部建築学科教授の本杉省三先生にお越し頂いた。本杉先生のご専門は、劇場・ホールの建築および劇場技術計画で、これまで多くの研究論文や論述、著書を発表されているが、その一方で実際の劇場や多目的ホールなどの設計において技術コンサルティングもされ、実際のホール計画のプロジェクトでご一緒する機会も多い。先生から示される建築設計への提案は、劇場計画の機能的な条件を教示されるだけでなく斬新なアイデアが盛り込まれ、また逆に建築家から出される案を一方的に否定せず、発想のイメージを理解して劇場空間として成り立たせ実現に近づける努力をされるため、多くの建築家に高く支持されている。たまにその提案が音響条件として好ましくない方向に行くこともあり、うかうかしていられないが、先生も多くのホール計画に参加されておられるので音響の重要性は十分ご理解頂いている。
先生のお話しは、まず劇場に興味を持たれたきっかけからであった。1968年頃、当時、寺山修司、佐藤信と共に3大アングラ劇団といわれた唐十郎率いる紅テントを花園神社に見に行ったのがきっかけで芝居や劇場空間に興味を持たれたと言う。そして大学に残られてからドイツ留学でのベルリンドイツオペラやシャウビューネ劇場において実務研修を経験された。これは「実際に応用したものしか残らない…」とゲーテの言葉にあるように、机上の研究に留まらずオペラの現場で実際的に考え憶えたことが、その後の実務のコンサルティングを行う上での建築家に対する説得力にも繋がっているのではないかと思う。
さらに「進化と退化」を基本テーマとして、劇場計画の歴史的な流れを示された。歴史的に残された絵画や襖絵に描かれた芝居小屋における情景や、現存する地方の歌舞伎小屋などから知ることができるその時代の観客の楽しみ方、あるいは芝居の見せ方、聞かせ方などについての変遷や、明治期において渋沢栄一が西洋式の劇場形式を持ち込んでから大きく変わった日本の劇場の様子など、我々ホール計画の仕事に携わっていながら劇場の変遷について知らないことも多く、大変興味深い内容で勉強になった。
先生は、ホール計画のコンペの審査員をされることも多い。デザインのコンペでは有名建築家が主たる審査員となることも多く、その結果が建築家審査員の好みによって左右されるのは当然だが、選ばれた案がホールとしての基本的な機能を果たすことは大前提である。ホール施設のコンペでは、その前段階での調査や基本構想の立案が重要である。そういう初期の段階からの本杉先生の参画とプロポーザルでもデザインコンペでも、その与条件を固めておくという専門家の役割に今後も期待したいと感じた。(小野 朗記)