No.249

News 08-09(通巻249号)

News

2008年09月25日発行
プラザノース外観

さいたま市プラザノースPFI整備事業

 埼玉県さいたま市が市内各地域の新たな商業、行政ならびに文化の拠点となる施設として整備を進めてきたプラザイースト、プラザウエストに続き、さいたま市の北部拠点宮原地区に新たにプラザノースが計画され、本年3月に竣工した。

事業計画

 この計画地は、ステラタウンと呼ばれる既設の大型のショッピングセンターや大型の集合住宅などが隣接する広大な敷地である。この地区は戦前に全国三大競馬場と呼ばれた大宮競馬場の跡地であり、その後中島飛行機大宮製作所を経て、戦後は富士重工業大宮製作所として航空機用のエンジンなどを生産し続けてきた大規模工場のあった土地である。この区画整備事業者はさいたま市、富士重工業、都市再生機構および地権者で、「街づくり協議会」を発足させ、これまで高質な新しいまちづくりをすすめてきた。さいたま市にすでに建設されている上記2施設がさいたま市文化振興事業団による運営であるのに対し、プラザノースはPFI事業(Private Finance Initiative:民間資金活用による社会資本整備)として、その設計から建設、運営にわたって民間に委託する方式をとった。

施設概要

 施設はRC造4階建てで、アトリウムを中心として、北区役所機能、400席のホールを主体とするホール機能、図書館機能・展示ギャラリー・創作室などがある芸術創造機能、そして会議室や平土間の多目的ルームなどのあるコミュニティ機能の5つの機能が明確に分かれている。本施設の設計は日本設計、施工は鹿島建設で、永田音響設計はホールを中心に、施設全体の音響計画を行った。

 ホールは、観客席と舞台を極力近づけて一体感の得られる空間とするために幅の広い客席構成であるが、室内音響的には客席中央をコの字型にバルコニー席が囲う形で、その段差によりできる壁からの反射音が客席中央へ到達するように形状を工夫している。これにより、視覚的にも音響的にも親密感のある空間が実現されている。

プラザノース外観
プラザノース外観

PFI方式による事業

 本施設はさいたま市初のPFI方式事業で、コンペにより選出された鹿島建設など12社で組織する「プラザノースマネジメント株式会社」が15年間にわたって施設の維持管理、運営を行うことになっている。PFI事業では、地方公共団体が独自に運営するよりも民間のノウハウを導入することで設計・建設運営費を削減できるというメリットが重視されており、本件では、従来の発注運営の場合に対して、この方式によって22億円の市の財政負担削減が見込まれるという。この事業者選定コンペでは、鹿島グループの示した入札価格は参加グループの中で最も高かったが、施設の整備および維持管理、運営それに事業計画の提案が総合的に高く評価され、契約優先事業者として選ばれた。

ホール
ホール

PFI方式の課題

 本件では価格よりも提案内容が重視される結果となったが、コンペにおける提案価格への配点は100点中40点と高く、多くの場合ビジネスレースになりがちである。このようにPFI方式においては、設計計画案の内容と入札金額が同じ土俵で評価される。また、多大なエネルギーを掛け、計画では実施設計に近い精度の設計を行いながら採用案以外の計画が無報酬となるこの方式は、大手事務所以外の参入を困難にする。好むと好まざるに係わらず装飾を廃し、安価で機能のみを追及することを余儀なくされるのである。

 昨今の建設事業では、当面の建設費用に乏しい国や地方公共団体にPFI方式が期待されて拡大しつつあるが、ホール建築を見る限り、発注者がホール運営を理解せず、また要求水準書がところどころどこかの丸写しであるなど、発注者側にとっても今後のこの方式の活用には課題が多いように思える。また行政の文化事業としてのホール運営は、市民に質の高い催し物を安くそして多く提供することであり、それに利益を期待するのは無理である。しかるに、そのホールの運営を民間に委託するとなれば、ランニングコストを抑え、赤字を出さないためにホールはなるべく使わない、といった運用が当たり前になってくる。このプラザノースがそうだというわけではないが、ここのホールでの催し物案内はホームページにも紹介されず、ホールに行かないと分らないという。このような市民への対応はそういった消極性の表れなのだろうか。市内で多くの市民が集う核となる施設であり、市民に親しまれる積極的な運用が期待される。(小野 朗記)

プラザノース:http://www.plazanorth.jp/

マイクロホン開発の歴史(2)

 マイクロホン開発の歴史2回目は、今から36年ほど前の1972年頃に開発・実用化し、現在でも生産・使用されている小型卓上型単一指向性コンデンサーマイクロホンの概要をご紹介する。

 当時、テレビジョン放送での話者の収音には、アメリカのRCA社が開発したBK−5B型単一指向性リボンマイクロホンが多用されていた。しかし、このマイクロホンは性能面ではすぐれているが、外形寸法が大きいためにテレビジョン放送では画面構成上不満な点が多く、これに代わる小型な単一指向性マイクロホンが要望されていたのである。

 そこで私は、コンデンサーマイクロホンで小型化を図ることとし、外形寸法を決定づける振動膜の小型化を第一目標に取り上げ、目標とする全ての仕様を満足できる最小面積の振動膜を決定する設計法を導いた。

図1 マイクロホンの外観
図1 マイクロホンの外観

 ここで紹介する小型卓上型マイクロホンは、その設計法を適用した最初の作品である。マイクロホンの外観は、図1に示すように、一部分がフレキシブルになった支持パイプを直径90mmの台座に取り付け、その先にマイクロホン本体を取り付けたものである。台座の底面4箇所には図2に示すようなバネを取り付け、防振している。

 マイクロホン本体は直径11.5 mm、長さ56mmの円柱状で、指向性は単一指向性、その先端部に内蔵されている振動膜の直径は8mmと小型であり、また、マイクロホンに接近して話すとき、発声に伴う気流がマイクロホンに当たって発生する風雑音を防止するため、図3に示す形状で最大径24.4mm、長さ41.1mmのウィンドスクリーンをマイクロホン先端部に差し込んで使用できるようになっている。普通、ウィンドスクリーンを差し込んだ状態で使用している場合が多いようである。

 このマイクロホンの出力電圧指向周波数特性を図4に示す。また、このマイクロホンは当時、専用の可般型ファンタム電源を備えていた。ファンタム給電方式とは、バランスタイプのマイクロホンケーブルの信号線に直流電流を重畳して給電できる方式であり、電圧は、標準化されている48Vである。

図2 防振用のバネ
図2 防振用のバネ
図3 ウィンドスクリーン
図3 ウィンドスクリーン

 ところで本マイクロホンは、振動膜と背極の間に成極電圧(バイアス電圧とも言う)を加えて電荷を蓄え、これによって電極間に生ずる信号電圧を取り出す一般的な方式のコンデンサーマイクロホンであるが、この方式は振動膜と背極間に吸引力を生じる。

 したがって振動膜の張力を弱く設定すると、指向性マイクロホンでは周波数帯域の低域限界を低くできる反面、振動膜が吸引力により背極に吸着しやすくなる。

図4 出力電圧指向周波数特性
図4 出力電圧指向周波数特性

 そこで、本マイクロホンでは振動膜の小型化と関連して、膜の張力を少し高く設定してマイクロホン本体の低域限界(−3dB)を200Hzに設定し、電気回路に低域増強特性をもたせ、60Hzまでの帯域に補正する方式をとっている。

 また、指向性マイクロホンに近づいて話をすると、収音された話声音の低音成分が強調される近接効果と呼ばれる現象が生じる。このマイクロホンでは近接効果による過剰な低音成分を除去するために、図4に鎖線で示すように低域特性を2段階に低下させるスイッチがファンタム電源側に取り付けられている。さらに、風や機械的な振動がマイクロホンに加わることによって発生する雑音の主成分である低域成分を除去するために、40Hz以下の周波数で出力電圧を低下させる低域フィルターを設けている。

 このマイクロホンの1kHzでの感度は−51dB/Pa(−71dB/μbar)であり、内部雑音(固有雑音)の音圧換算値はA特性で重み付けした値で22dB、出力インピーダンスは560Ωである。また、ファンタム電源の48Vのうち、13Vをインピーダンス変換用のFET回路に用い、残りの35Vを、電荷を備えるための成極電圧に用いている。

 なお、このマイクロホンは冒頭でも述べたように現在でも生産・使用されており、民放のテレビ朝日(東京10ch)の座談会形式の番組などでよく見掛ける。(溝口章夫記)

上野の山文化ゾーンフェスティバル

 現在、上野公園と周辺の21の文化施設が「上野の山文化ゾーン連絡協議会」を組織し、さまざまな催し物を行っている。東京文化会館、東京国立博物館などから寛永寺まで、22の施設における催し物のほかに、国立科学博物館、日本学士院など8会場において12の講演会も計画されている。国立科学博物館の細矢氏の’きのこにまつわるエトセトラ’、芸術院会員の中村吉右衛門さんの’歌舞伎の話し’、寛永寺の浦井正明さんの’篤姫と幕末’などである。私も’上野の音楽ホール物語’として東京文化会館を中心に、新旧の奏楽堂から現在建設中の石橋メモリアルホールなど5ホールの響きの特色について話をすることになっている(10月1日午後)。各施設の催し物や講演会の演題と開催日時および会場については、台東区文化ガイドブック「文化探訪」を参照か、あるいは上野の山文化ゾーン連絡協議会事務局(Tel:03-5246-1153)に問い合わせいただきたい。(永田 穂記)

千葉 馨さん逝く

 ホルン奏者の千葉 馨さんが6月21日にお亡くなりになり、お別れの会が7月28日サントリーホールのブルーローズで行われ、お弟子さん達のホルンが響きわたるなかでお送りした。

 千葉さんは私がNHKに就職したころ、NHK交響楽団に研究生として入団された。六本木にあったご自宅の練習室にはじまり、新宿の西落合に新築された千葉邸音楽室、高輪のN響の練習所の音響などのご相談をきっかけに、さまざまな局面でのお付き合いとなった。

 千葉さんは何と言っても、カーキチ、お酒好き、グルメ。千葉邸では何かにつけてパーティーが行われていたし、千葉邸に近かったわが家でのパーティーに、はるばる横浜の中華街から甕入りの紹興酒まで引っさげてこられたこともある。

 千葉さん、音楽仲間では’バーチ’でとおっていた。背丈もあり、舞台ではいつも目立つ存在であった。しかし、語る言葉はやさしく、事柄の奥を見通した語りであった。私も事務所設立にあたってはいろいろとお世話になった。個性豊かな音楽家の集団であるオーケストラの中で、バーチの存在がいかに大きかったかは傍でみていてよくわかった。演奏活動のかたわら、東京ホルンクラブを結成され、ホルン界の発展に努めてこられた。彼はまさに、ホルン界のよき親分’the great man’だったのである。

 バーチのホルンの音については、一番弟子の松原千代繁さんが雑誌「PIPERS」で見事に描写している。名人というより、バーチが目指した美学から生まれた音、バーチしか出せない音、松原さんのこの一言につきるように思う。

 さる9月7日、指揮者H. シュタイン氏を追悼するN響アワーで、25年前にNHKホールで行われたワーグナーの「さまよえるオランダ人序曲」のステージで凛としたバーチの英姿をみつけ、天国で笑みを浮かべている千葉さんを瞼に描いてみた。(永田 穂記)

ロサンゼルス・フィル日本公演のお知らせ

 2003年10月のウォルト・ディズニー・コンサートホールのオープン後初めての、そして実に14年ぶりのロス・フィルの日本公演が、10月21、22日の2日間、サントリーホールで行われます。このロス・フィルに関する連載エッセーを、同ホームページでご覧いただけます。お聞き逃しのないよう。