たかいし市民文化会館 ─アプラホール─
大阪府高石市が参画している再開発事業、高石駅前の複合ビル「アプラたかいし」が2003年1月に竣工し、3月にオープンした。その概要を紹介する。
再開発事業の概要
高石市は、大阪市中心部と関西国際空港のちょうど中間に位置し、その両方に鉄道で2~30分程度の便利な立地にある。南海鉄道高石駅の東側は、A~Dの4つの地区に分けて整備が計画されており、今回の再開発事業はB地区にあたる。再開発の基本構想は1973年にさかのぼり、1985年に都市計画決定されながら、その後のバブル経済の崩壊などが原因で計画が中断し、見直しが行われた。総合文化施設のための基金が設立され、ホールや図書館等の公共施設の導入を計画、駐車場は市営となるなど、市の支援による様々な工夫によって事業が成立した。駅前は見事に再生し、広場と一体に整備された複合ビル「アプラたかいし」は、街の新しい顔となった。総事業費は208億円である。さらに、鉄道の立体交差事業も進められている。
複合ビルの1~2階は店舗、3~4階は市民利用中心の大ホール・小ホール・生涯学習センター・消費生活センター・図書館、5階から12階は住宅、地下1~2階は駐車場および駐輪場となっている。設計者は(株) アール・アイ・エーで、当社は大・小ホールおよび音楽室を中心とした音響設計監理業務を担当した。ビルの管理運営者は(財)高石市施設管理公社、住宅部分のデベロッパーは最終的に近鉄不動産が引き受けている。
「アプラ」という名称は、市民からの公募により選ばれたもので、英語のapplauseなど、「喝采」という意味から付けられたそうである。ホールの名称としていかにもふさわしいものではないだろうか。
鉄道振動と騒音
本施設は高石駅に広場をはさんで隣接するため、鉄道走行時の振動と騒音を事前に測定し、特に、線路に一番近い位置に計画された大ホールへの影響を検討した。その結果、鉄道走行時の固体音の低減と、大・小ホールおよび周辺諸室間の遮音性能を高める目的を兼ねて、両ホールと音楽室に防振遮音構造を採用した。竣工後、大ホールでは、空調設備を停止した極めて静かな状態でも、聴感上、鉄道の走行をほとんど感知できない。
大ホール
大ホール客席数は800席で、メインフロアは全面可動席、バルコニーは固定席となっている。
メインフロアの可動席をすべて使う段床の客席形式は、音楽・演劇などの舞台芸術や講演会等に対応し、逆に、可動席をすべて収納した平土間形式(800m2)では、展示会やパーティ等に対応できる。
可動席は床に沈み込む方式で、かなり大掛かりな機構である。客席と舞台の機構が連携して、舞台面と連続した平土間形式に設定できる点も大きな特長となっている。
舞台には多様な使用目的に対応できるように音響反射板が導入され、舞台幕設備との転換ができるようになっている。残響時間(空席時、500Hz)は、音響反射板を設置したときに1.8秒、舞台幕を設置したときに1.3秒であり、舞台の転換によって0.5秒の差が得られる。
舞台と客席の一体化を意図して、音響反射板設置時の天井形状については、舞台から客席へできるだけなめらかにつながるようにした。プロセニアム開口高をできるだけ高く設定し、側面反射板は舞台奥に向かって絞り、ごく初期の反射音ができるだけ広い範囲に分布するような形状とした。また、初期反射音を増やすために、客席側壁上部に水平な庇を設け、壁面には音の拡散を意図して適度な凹凸面を配置した。
講演会のスピーチ拡声などに使用されるスピーカは、プロセニアム(舞台額縁)上部の1ヶ所にまとめて設置されている。写真中の黒く大きな四角形の部分が、スピーカのための開口で、表面はサランネット仕上げとなっている。
これまでのホールでは、このプロセニアムスピーカと、ステージ両側の壁に設置されるサイドスピーカや、ステージの立ち上がり壁に設置される小型のステージフロントスピーカを併用し、各スピーカ間の音量バランスや到達時間のズレを補正するなどの調整作業をして、舞台面からの音の方向性をある程度持たせることがほとんどであった。
これに対して今回の大ホールでは、市側アドバイザーの強い要望により、プロセニアム上部の1ヶ所に数台のスピーカを集中して配置した。舞台面から音を出したいときには、移動型のスピーカを使う。スピーカの開口は大きくなってしまったが、1ヶ所にまとまっているので、スピーチの拡声音はすっきりと明瞭なものになった。
一般に、ホールのスピーチ拡声用スピーカの設置方式は、ホール自体の大きさや形状、内装デザインとのマッチング等の諸々の条件から検討して決定する。解決策には選択肢がいくつかあるが、今回の一点集中方式はそのうちの1つである。
小ホール
小ホールは客席数153席の扇形のホールで、市民利用を中心に、コンサートや演劇、講演会等の様々な催し物に対応する。舞台幕を設置したときの残響時間(空席時、500Hz)は1.1秒である。
大ホールと同様に、固定のサイドスピーカは無く、拡声用スピーカはステージ天井面に3台、客席の形に合わせて設置されている。
オープニングと今後
ホールのオープニング事業として、中村紘子ピアノリサイタル、茂山千作「狂言」、由紀さおり・安田祥子童謡コンサートなどが開催され、その後も様々な催し物が開かれている。ホール友の会のメンバーや、市民にホールの運営をサポートしてもらうために、ボランティアスタッフの募集が行われている。わかりやすいホームページが整備されているので、是非御覧いただきたい。(菰田基生記)
(問合せ先)アプラホール:http://www.appla-hall.jp
Tel: 072-267-0018
豊田市コンサートホールのオルガン
豊田市コンサートホールは名鉄豊田線「豊田市駅」前にある1,004席の音楽ホールで、1998年11月3日にオープンした(本ニュース1999年1月号参照)。このホールでは計画当初からオルガン設置が決まっており、オルガンバルコニー後壁には仮設の反射面が設けられたまま、昨年の6月15日、オルガン工事のため臨時閉館するまで4年半の間、通常のコンサートが行なわれてきた。
オルガン委員会の結成と主要な検討課題
公共ホールのオルガンをめぐっては今日でも様々な問題が浮かび上がっている。筆者はオルガン委員会(委員長:丹羽正明氏)の一メンバーとして、ビルダーの決定から専属オルガニストの選出、オルガン設置工事に当たっての調整作業など、10年にもおよぶ期間、このプロジェクトに協力してきた。筆者はこれまでも、いくつかのオルガン委員会に参画してきたが、豊田市の場合はこれまでとはかなり取り組み方が異なっていた。
すなわち、
- まず、製作期間が長いことで、これまで最初の段階で候補からは外されていた、アメリカのビルダー、J.ブランボー氏を1996年10月の第1回の委員会で決定した。
- 契約から完成まで8年というわが国では考えられなかった製作期間を市側は受容した。
- オルガン設置工事前に専属のオルガニストの選考を行ない、設置工事に参画させた。 1974年、NHKホールが導火線となったわが国のコンサートオルガン導入の勢いも、現在、筆者の知るかぎりあと僅かである。30年という年月を経た今日、公共ホールのオルガン設置にあたって、このような内容の導入手続きが実現できたことは感無量である。
オルガンの構成、規模と特徴
- 規模は4段の手鍵盤と1段の足鍵盤、62ストップ、大型ホールのコンサートオルガンとしてはむしろ慎ましい規模である。大きな特色はリュックポジティブという通常はオルガニストの背に設置されるパイプ群が左右二つにわかれ、オルガンバルコニーの両側に設置されている。
- 殆どのコンサートオルガンでは多様な演奏曲目に対応する必要性からドイツ系とフランス系のパイプ群で構成される。その結果、ドイツ色、フランス色のどちらかに偏るか、あるいは性格の薄いオルガンになりやすい。このブランボーオルガンでは左右のリュックポジティブによって、フランス系の30ストップのパイプ群がうまく整理され、フランス系の音も無理なく響かすことが可能となった。
コンサートホールのオルガンは教会のオルガンと比べると、音色の特色がうすい楽器として評価されてきた。しかし、最近のホールに設置されるオルガンの品質は非常に高いと筆者は判断している。この豊田市のオルガンもJ.ブランボーという歴史的オルガンビルダーが四つに取り組んで造り上げただけあって気品のある音質の楽器である。ぜひ聴いていただきたい。演奏会のスケジュールについては、下記のコンサートホール事務局に問い合せいただきたい。(永田 穂記)
(問合せ先)豊田市コンサートホール:Tel: 0565-35-8200
可変型小ホール ─バリオホール─ の消滅
都心の北部にちょっとひねりの効いたおもしろい小ホールがあったのをご存知だろうか。私どもの文京区の事務所から2分ほどJR水道橋駅方面に下がった所で、古い旅館の隣にひっそりとたたずんでいたバリオホール(VARIO Hall)が19年間の歴史を閉じ、塵芥に戻ったのである。このホールは仏IRCAMにならった残響可変装置や舞台/客席形状の可変機構をもつ、最大394席の実験的な小ホールであった。これは尚美学園の赤松憲樹理事長が1984年に設立したAVILAC Music Community Centerという施設の中心となるホールとして設置したもので、建築設計はΣ建築企画の磯城弘一氏、施工は清水建設であった。ここで、バリオホールの在りし日の姿をふり返ってみたい。
ホールは舞台と客席が一体となっており、長さは約22m、幅16.5m、天井は日影の斜線規制にもよるが、舞台上から客席後部に向かって緩やかに上昇する形状とした。客席中央部の高さは約12mとこの規模のホールとしてはかなり高めである。これは、残響可変の幅を大きくするためにできるだけ容積をとりたかったことと、天井からの反射音の遅れ時間を考慮して、少しでも余裕のある音の響きにしたかったからである。
残響可変装置は電動回転式の角柱と手の届く場所は手動扉式の2種を、舞台側部から客席3面の壁までまんべんなく配置した。角柱は吸音と反射各2面を半分づつにセットすることもできるため、直接音を吸収したり、反射/拡散音を吸収するなど、様々な使い方が考えられた。手動扉は閉じると全反射面、開くと全吸音面となる。舞台両サイドの扉も一面は吸音、片側は山型の拡散反射面とした。
これらの可変装置を使用すると、空席時の500Hzの残響時間は394席のホールパターンで1.1~1.6秒、客席の前半分を収納し舞台を最大限に広く取った場合は1.4~2.0秒の可変幅が得られていた。ただし、125Hz以下の低音域では0.1~0.2秒程度の可変幅しか得られなかった。この原因としては可変体周囲の隙間と拡散面の板厚不足などが考えられる。
可変装置を使っても、中音域の残響特性がフラットなせいか不自然さはまったく感じられず、特に尺八、三味線、琴などの邦楽演奏では、かなり響きが多様であっても明瞭で美しく聴けることに驚いた記憶がある。ピアノは舞台側を吸音気味に、管楽器は客席側を吸音気味にするなど、電気音響による残響可変装置とは一味もふた味も違った使い方のできる面白いホールであったが、もうその響きは二度と聴けないのである。(稲生 眞記)
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