とぎつカナリーホール
長崎県時津町(とぎつちょう)は、長崎市の北部と西彼杵(にしそのぎ)半島の接点に位置し、大村湾に接している。世界初の海上空港として有名な長崎空港はこの大村湾内にあるが、長崎空港から時津町までは高速艇が就航しており、所要時間は20~30分と時津町は空路での行き来が大変便利な場所である。またこの町までは長崎駅から車で約20分程であり、長崎市のベッドタウンとして発展してきたがその一方で周辺にはガス会社や三菱電機の工場などが立ち並び、臨海工業地域として埋め立ても行われ、工業の町としての性格も有している。
建築計画
この時津町が町制50周年を迎えるにあたり、その記念事業としてここで紹介する「とぎつカナリーホール」が計画され、今年5月にオープンした。建築計画・設計担当は久米設計の野口秀世氏である。
敷地は、文化の森公園と呼ばれる小高い丘の上にある児童遊園とその先の山頂に至る散策路などがある一画で、公園ではすべり台で遊ぶ子供達の姿が見られる。
この計画では、森の散策路を施設の中に誘導し、建築自体が公園と森の一部として溶け込むように意図されている。そして森を散策する人達が自然と建物に誘い込まれて行くようなしつらえとなっている。建物の中には人が集まり、音楽を奏でている姿が見え、微かだが…音も流れて聞こえるといった風景が想像される。内部空間は中庭やテラスで繋がり、その外部全体が緑化されている。
この施設には約800席のホール、リハーサル室、練習室4室、民俗資料館などがあるが、ホール以外のほとんどの室から屋外の木々の緑を見ることができる。エントランスホールからはリハーサル室の大きな窓を通して室内の様子が伺え、さらに奥の窓を通して外の庭が見える。4室の練習室にも大きな窓があり、いたるところに大きな開口部を設け、明るく開放的な空間を創りだしている。練習室においても、室内にいながら自然の中で過ごしている感覚で、閉鎖された空間で黙々と楽器の練習をするといった従来の音楽練習室のような暗いイメージはない。
施設の音響計画
散策路は施設の上を通っているが、施設内への歩行音を低減させるために、浮床としている。その結果、その真下にある練習室では、走り回りの音は多少聞こえるが、通常の歩行音であれば気にならない程度まで低減されている。
この施設では壁面にガラスを多用しているため、全体で特に遮音計画に配慮する必要があった。すなわち、リハーサル室は4面の壁のうち2面がガラス窓であるが、残りの壁面がホール舞台と隣接しており、この遮音性能を高めるためにその壁をコンクリートの2重壁とした。さらにリハーサル室を躯体から縁を切った押出成型セメント板による壁・天井とコンクリート浮床による防振遮音構造とした。2つの練習室は石膏ボードによる防振遮音構造とした。また、各室の窓の遮音性能をできるだけ上げるために、それぞれ厚さの違うガラスの2重サッシとし、外側の躯体に1層、内側の防振遮音層に1層取り付けている。
遮音性能は、舞台とリハーサル室間でD-85以上、練習室間は場所によって異なり、防振遮音構造の室とそうでない室とでは概ねD-75以上、ガラス窓を介する練習室と廊下間などでは、ガラスの遮音特性によりD-45程度となる。ガラスを多用しながらも遮音の必要となる個所はそれなりの性能を確保することができた。ホールは基本形状を扇型とするバルコニー形式の多目的ホールである。このホールは生音楽を主体として計画され、舞台上反射板を設置した状態では天井・壁が客席側と連続して繋がり、空間が一体となるような形状としている。また壁は、低音域までの音の反射拡散を意図し、仕上げはコンクリート打放しで表面は凹凸の拡散形状としている。
表方(おもてかた)委員会
設計者の野口氏は、このプロジェクトでは施主に恵まれたと言う。施主である時津町教育委員会社会教育課:森課長はこの計画から運営に至るまで氏の手腕を発揮して来られた。計画段階での基本的なコンセプトから細かなことまで自分の懐の中でかなりの部分を即決された。この森氏の要請で町の表方委員会という会に出席し音響計画について説明したことがある。ホールを運営する人達のことを通称裏方さんと呼ぶが、ならば使う側の人達はいわば表方さんだ、と言う訳で森課長が、町や長崎周辺の音楽や演劇の活動をされているこの先ホールの利用者となってもらう方々を集めて表方委員会を組織した。最近公共ホールの計画段階で行われるいわゆるワークショップである。このような会は、利用者の意見を聞く機会を持つという事で意義はあるが、結局は意見の聞きっぱなしで答えもなく、結果的に意見が通らなかった方々からの反発を招くこともある。この表方委員会での森さんはそこで出される要望に対し「それは考えている、そこまでは考えていない。」と即答。できる、できないの回答が実に明快だった。今後のホール運営についても、限られた予算の中で、町民に親しまれ多くの人に利用されるような色々な使い方を、森氏を中心としたスタッフにより計画されている。今後の運営に注目してゆきたい。 (小野 朗記)
【問い合わせ先】とぎつカナリーホール TEL: 095-882-0003
開館6年を経たオーバードホールをたずねて
1996年9月に開場した富山市芸術文化ホール…オーバードホール( News1996年12月号で紹介)を久しぶりに訪れて、芸術監督である永曽信夫氏にお話をうかがった。永曽氏とのおつきあいは新国立劇場の建設準備委員会から始まった。委員会は各界を代表する方々により、真剣な議論が戦わされ、脇に控える我々設計担当者としては大変な緊張を強いられるものがあった。その中でも、音響にも深い理解を示される永曽氏の明快なご発言は、我々にとって一助の光となり、勇気を得たのであった。それもそのはず、永曽氏は俳優座の演劇研究所附属俳優養成所で長年、大勢の俳優養成に携わられ、さらに桐朋学園、日本女子体育大学、東京藝術大学でも教鞭をとられていた方である。また、仙宇吉のペンネームで台本や詩をお書きになり、演出も手がけられ、1999年には「蒼海」という「音楽と舞踊による構成詩」、翌年はミュージカル「遥かなる彼方へ」、さらに2001年には「オムニバス絵巻・億光年への響き」などオリジナルな企画をオーバードホールで上演されている。つまり、座すばかりの芸術監督ではないのである。
富山とオーバードホール
オーバードホールは、富山市が1993年に実施した提案競技の結果、(株)久米設計案「劇場都市 富山─その中核施設としての劇場」が採用され、永田音響設計は設計サイドの音響コンサルタントとして参加した。ちょうどその頃、新国立劇場が着工したばかりであったため、規模が近い3面半舞台を持つ本ホールの設計にも熱が入った。
たまたまであるが、その設計作業の中心となったのがご子息の永曽琢夫氏(現 谷口建築設計研究所)であった。そして基本設計、実施設計と進み1995年着工となった。これらの経緯については「夜明け前」と名づけられた建設の記録に詳しい。この記録は72頁になる立派な冊子で、旧公会堂建設の歴史からオーバードホールの竣工まで、建築・設備の解説から関係者の生々しい話まで詳細に収録されている。この記録を読むとホール建設の原点を知ることができ、初心に帰ることができる貴重な資料となっている。機会があれば、ぜひご一読されたい。
設計・監理業務に併せて、事業計画・運営部門との調整まで含むPR計画、アート計画、舞台備品計画などの「施設トータルコーディネート業務」が久米設計に発注されたことも特筆できる。劇場と舞台をテーマにしたアート作品群は大小合わせて約80点にものぼるため、彫刻やガラスアートがホールの随所に見られ、芸術的雰囲気を盛り上げている。
運営体制と組織
(財)富山市民文化事業団はオーバードホールおよび能楽堂の運営を市から委託され、芸術監督制を設け、理事長以下22名の理事会、18名の参与会が組織され運営にあたっている。ホールの組織は館長の他、管理課7名、舞台技術課10名という布陣である。課長クラスのほとんどが市からの出向となっているが、永曽氏はプロパーに育って欲しいと語っている。
芸術監督とその仕事
永曽信夫氏が市から芸術監督の就任を要請されたとき、市は芸術監督制のことをよく知らなかったらしい。永曽氏が「芸術監督制は監督の舞台芸術理念に基づく企画と実行です。」更に「芸術は独創です。独走でもあります。」と説明され、それに対し「結構です」と即答された富山の人たちの心意気にも胸を打たれる。この芸術に対する真摯な姿勢が劇場運営の出発点だと私は思う。
永曽氏は催し物を企画し、進め、宣伝を指導し、無事終わるまで見届ける。演劇、音楽、舞踊という舞台芸術の成り立ち、稽古から上演まで、すべてに精通する氏がすべての責任を負う。そして、それを支え実現する富山市、経験豊かな本間一氏、毎熊氏、渡部氏、曽根氏ら舞台技術課の超強力な仕事人のみなさん、私の目には理想的な運営体制と映る。
永曽氏は催し物については、オペラ、オーケストラ、バレエ、芝居、ミュージカルなどの種目・時期のバランスを考えながら企画されている。そして「理念に外れるものはやらない」、「創造性豊かなものを選ぶ」という方針だそうだ。そのため、出来る限りご自分の目と耳で確かめている。例えばモンゴル、カンボジア、ロシア、ヨーロッパ、ニューヨークなどへも行く。3面半の舞台を生かし、新国立劇場のオペラ引越し公演も定期的に上演する。
演目の選定は、「劇場に似合う演目」「演目に似合う劇場」という考え方で進められている。そのためには「上演は劇場創りから」をモットーにしている。舞台の上に舞台と客席を組み、舞台の上に「スケーネ」と名づけた小劇場をつくることもある。今年はN.Y.オフ・オフ・ブロードウェイシアターのラ・ママ「トロイアの女」、別役実作品「木に花咲く」がそこで上演され、今後も続けられるとのこと。ホールの客席をも背景とする、舞台上の密度の濃い、演者が触れそうな生々しい舞台…想像するだけでもわくわくしてくる。
最大公約数的にならざるをえない行政と独創を本質とする舞台芸術、その接点は人事と予算にあると氏はいう。自主事業の場合、市は予算の65~80%を出資し残りがチケット収入で賄われているとのこと。収入の構成は、まさに欧州などと変わりがない。さらに、チケット代は舞台への出資であり創造への参加であるという感覚で受けとめ、日常経費の中に観劇費を計上して欲しいと言う。
氏は最後に、「魅力的な創造性豊かな作品を上演したい」、「劇場で働くすべての人々は舞台を中心軸として仕事をして欲しい」と言われたが、これは、まさに同感である。
友の会組織:アスネット
催し物のお知らせやチケット販売を行う友の会組織アスネットでは、11月に6泊8日の予定でウィーン国立歌劇場での小澤征爾指揮のヤナーチェクのオペラ「イェヌーファ」やシェークスピアの生誕地ストラットフォードを訪れ鑑賞するツアーを企画している。粋な企画ではないか。ぜひ、参加されたらいかがでしょうか。 (稲生 眞記)
【問い合わせ先】(財)富山市民文化事業団 富山市牛島町9-28 TEL:076-445-5600
アスネット事務局 TEL:076-445-5610 (http://www.aubade.or.jp)
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