リニューアルがもたらしたもの
―東京文化会館とサンプラザホールの例から―
東京文化会館のリニューアルについては本NewsNo.140 号に紹介した。計画から完成まで3年度にまたがる期間と60数億という予算によって、40年の歴史を経た東京文化会館はその機能を一新し、賑わいのあるエントランス空間が来場者を迎えている。
一方、労働省管轄の特殊法人として1973年に中野駅前に誕生した勤労者福祉振興財団、通称‘サンプラザ’も、最近大きな変革を行った。すなわち、平成7年2月の閣議決定「特殊法人の整理合理化」の方針にしたがって、平成11年4月以降、民間施設並の独立採算性をベースとした運営の自立化が決定された。この官から民への移管に対して必要な施設、設備の拡充、更新に対して、親元の雇用促進事業団から資金が投入され、結婚式場の整備をはじめホール音響設備の更新など建築、設備面の大規模なリニューアルが実施された。
東京文化会館、サンプラザホールも戦後の日本を代表するコンサート会場である。大小ホールをかかえる東京文化会館は戦後の日本を代表するクラシック音楽の殿堂として今日でも確固たる地位を維持している。一方、サンプラザホールは、ポピュラー音楽専用という独自の性格を旗印に今日に至っている。すなわち、一般の多目的ホールの規模を遙かにこえる電気音響設備、天井、壁全面を吸音処理したデッドな空間は、2000席クラスのホールとしては世界にも類のないポピュラー音楽対応の空間である。1970年代、急速に拡大したポピュラー音楽の大きな流れをバックに、中野サンプラザは時代の先端を行く音楽空間として評価されたのであった。興奮した観客のスタンディングによって、成形プラスチックの椅子が壊されたなどが話題になるほどこのホールは賑わっていた。
東京文化会館はオペラ指向の前川国男氏の当時としては卓見した構想により、ヨーロッパのオペラ劇場の基本的な条件を骨格として計画された。しかし、開館直後、大きな問題がオペラ関係者から指摘された。それは、今日の文化会館トーンに大きく寄与している舞台反射板がオペラ上演に必要な照明、バトンを邪魔するという、確かドイツオペラ上演の際に指摘された問題である。この反射板の扱いはこれまで一部の反射板を地下に格納するなどの対策が行われてきたが、今回の改修工事によって、舞台反射板はそのままの形で地下に格納するという画期的な仕組みでやっと開館以来の問題が解決されたのである。
一方、サンプラザにも新しい問題が持ち上がった。それは空間の響きがあまりにも短く、拍手がわかない、続かないという苦情である。たしか流行歌手の森進一氏からの指摘であったと記憶している。室容積17,000m3に対して、満席の残響時間0.7秒、平均吸音率で55%という一般のホール響きの枠を大きく超えたデッドな空間である。残響音は電気音響設備が主役の催し物には不要という技術者が走りやすい主張に対して、ブレーキがかかったのである。1983年に従来のサンプラザの印象を変えないという条件で内装の改修が行われ、残響時間は空室で1.1秒から1.4秒まで改善した。
東京文化会館の改修にあたっても、大ホールはこの響きを変えてはならない、という神の声が背景にあった。しかし、音響設計を担当したわれわれは、改修によって響きが長くなる方向に推移することを許容してきた。一方、小ホールは意図的に残響の伸長を試みた。その理由は1980年代の後半に相次いで誕生したカザルスホール、津田ホールなどに比べるとこの小ホールの響きはどうみても短かったためである。開館当時の設計方針を見直し、舞台背後、天井の一部と側壁の一部を反射性に変更した。現在の残響時間は当初の1.2秒に対して1.4秒であり、それでも最近の小ホールとしては短めである。しかし、筆者はこの空間の落ち着きのある響きは気に入っている。大ホールも椅子の取り替えを機に、側壁の吸音面を減らし、やや長めの方向に響きをもってきている。
以上のような建築および舞台設備のリニューアルに加えて、1998年に三善晃館長を迎えた東京文化会館はこれまでかたくなに守ってきたクラシック音楽専用の枠を外す、という運用方針の方向転換を打ち出したのである。このインパクトは大きい。専用ホールがひしめいている東京で新しい舞台芸術空間の誕生である。
三善館長就任を機に、東京文化会館側では‘利用者懇談会’が組織され、利用者各界の代表と会館側との意見の交流を年1回のペースで開催しており、今年3月第4回目の懇談会を終えたところである。その第1回は今回のリニューアル設計の概要がかたまった時期でもあり、また、初めての打ち合わせということもあって、これまでの文化会館の運用の姿勢、設備の欠陥などに対して舞台関係者、音楽事務所、音楽家、一般の音楽愛好者、各層からの不満が爆発した感があった。しかし、リニューアルを経て定常的な運行に入った今日、基本的な不満はほぼ解消した感があり、穏やかな懇談会であった。
新しい出発を迎えた東京文化会館に対してサンプラザには深刻な問題が浮かびあがっている。それは、かってドル箱だった結婚式の構造的な衰退と、ホールの利用率の激減である。ポピュラー会場はライブハウスと巨大ドームへと2分化しており、いまや、サンプラザは取り残された存在である。情報誌‘ぴあ’の催し物案内がその実体を物語っている。
結果から批判することは簡単であるが、クラシックと違ってポピュラー音楽用の空間にはコンサートホールのような定番がない。ポピュラー音楽を大きく掲げたこのサンプラザホールがそのポピュラー界から顧みられなくなっていること、これはわれわれホール関係者には大きな教訓である。
東京文化会館は計画段階から数えると50年に近いおつきあいである。また、サンプラザも中野区民の一代表として、これも役員として10年を越す勤めを続けている。サンプラザの民営移管直前の大改修に力になれず、このような事態を招いていることが悔やまれてならない。東京文化会館の利用者懇談会のような、改善についての検討組織をまず発足することが急務であろう。(永田 穂記)
倉吉パークスクエアの倉吉未来中心がオープン
倉吉パークスクエアが2001年4月21日にオープンした。倉吉パークスクエアは鳥取県が県中部の倉吉市に文化、観光、果樹栽培の中核的振興施設として計画してきた倉吉未来中心、男女共同参画センター「よりん彩および鳥取二十世紀梨記念館、そして倉吉市管轄になる倉吉交流プラザ(図書館)、温水プール、飲食・物販施設である食彩館などからなる複合施設群である。県の施設は中部定住文化センター及び梨博物館(仮称)として建設されたものであり、中核となる文化施設の倉吉未来中心は、大小ホール、リハーサル室、練習室、セミナールーム等からなる。倉吉の歴史的な街並みとの調和を意図した外観の色調とアトリウムのスケールが特徴の建物である。設計・監理は、中国地方初のWTO対象の公募型プロポーザルで選定されたシーザーペリ・大建設計共同企業体である。
ここで紹介する倉吉未来中心は、県の文化施設として県東部鳥取市の県民文化会館、県西部の米子市のコンベンションセンターに次ぐ規模のものであり、内容的には県民文化会館に近い性格の文化施設である。この「未来中心」という名称は、環日本海交流圏諸国の交流拠点として、これからのアジアとの関係を意識して付けられたとのことである。この文化施設は倉吉パークスクエアの中心にある高さ約42mのアトリウムの東側に位置し、西側に二十世紀梨記念館、ふれあい広場、北側に男女共同参画センター、セミナールームが配置されている。この巨大なアトリウムは、各施設のエントランススペースと同時にイベントスペースとしての役割をもち、木構造の巨大吹き抜け空間が施設のシンボル的な存在ともなっている。倉吉未来中心は大ホールを挟んで南側に小ホール、北側にリハーサル室、練習室、舞台背面の東側に楽屋群が配置された構成となっている。
大ホールは1503席の多目的ホールで、鳥取県民文化会館同様のプロセニアム形式の舞台に、ほぼフル装備の舞台設備で、クラシックコンサート対応のための走行式舞台反射板が設置されている。客席は2層のバルコニー形式で、高さのある張り出したサイドバルコニーにより主階席の客席幅をやや狭めた客席形態を採っている。この形態は、側方反射面の確保という音響的な理由と特殊な可変装置をもつことなしに中ホール規模の利用に対応するために考えられたものである。この主階席のみの利用で約900席規模の中ホールとなる。大ホールの建築的な特徴としては、アーチ型のプロセニアム形状と内装の色彩があげられるであろう。壁、床、椅子のクロスが緑色を中心とした色彩で、天井と張り出したバルコニーの壁が明るい木質系の仕上げと、既存のホールとは違った色調の客席空間が創出されている。また、アーチ型の天井と光ファイバーを併用した客席照明が独特な雰囲気を創り出している。
また、小ホールは県民文化会館小ホールとの連携、周辺の同規模ホールの多くが固定客席のホールで、それらとの差別化のために平土間形式のホールとして計画された。可動観覧席により189席~310席の劇場形式になる小ホールであるが、舞台の大きなスケールの回転式可動反射板により舞台と客席空間とが一体となるような形態に設定できる。小ホールは赤系のインパクトのある色調と、天井高さのある空間が特徴といえよう。音響的な課題は、廊下を挟んで隣接して配置された大・小ホール間、リハーサル室、練習室と大ホール間の遮音、建築意匠の要請に対応した大ホールの平面、縦断面の室形状を中心とした室内音響計画、そして、プロセニ アムまわりのスピーカの配置と舞台照明設備、建築意匠との調整等であった。
大・小ホール、リハーサル室、練習室間の遮音については、大・小ホール間にエクスパンション・ジョイントを設置するとともに、小規模のリハーサル室、練習室には浮き構造の遮音構造を採用することで対応した。その結果、大・小ホール間およびリハーサル室、練習室と大ホール間の遮音性能はD-80という性能が確保できている。
大ホールはクラシックコンサートにも十分対応できる音響条件を確保するため、走行式舞台反射板を採用するとともに、平面的にも、断面的にも舞台反射板と客席天井・側壁が一体的に連なるような形状を基本に検討した。大ホールの残響時間は舞台反射板設置の満席時1.8秒であり、舞台幕設置の満席時1.4秒である。また、小ホールについては天井高さのある空間と客席側壁上部のギャラリー部開口を開閉式にするという意匠計画を基本に舞台との一体形状、ギャラリー開口部の扉の開閉による残響可変の導入等を検討した。小ホールの残響時間は、可動反射板設置の満席時1.4秒であり、舞台幕設置の満席時0.8秒である。ギャラリー部開口を開くことにより0.1~0.2秒程度短くできる。
舞台音響設備に関わる大きな課題としては、大ホールのプロセニアムまわりのスピーカの納まりがあった。建築意匠、舞台照明計画との調整から、当初、サイドスピーカを可動式にする方法も検討されていたが、使い勝手の上で問題となることが懸念されたため、最終的には、プロセニアムまわりにすっきりと納めた。
記念式典に続き、倉吉市の姉妹都市である韓国・羅州市の伝統芸能「サムルノリ」ではじまったオープニングイベントは、関係者というよりは県民参加型の式典・イベントのようであった。アトリウムでは人前結婚式、大ホールでは倉吉出身のサックス奏者マルタと地元中学校吹奏楽部とのジョイントコンサート、広場の特設ステージではソプラノ歌手、俳優と市民も参加しての天女伝説をモチーフにした創作音楽劇「倉吉打吹新天女伝説」等、パークスクエアあげての和やかなムードであった。まもなく迎える19回倉吉アザレアのまち音楽祭、そして、平成14年10月~11月に予定されている国民文化祭・とっとり2002が開催予定など、大きな計画もある。これらの施設、企画が鳥取県中部の交流と情報発信の拠点作りのための基礎となることに期待したい。(池田 覚記)
(鳥取県立倉吉未来中心:鳥取県倉吉市駄経寺町212-5 TEL.0858-23-5390)
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