No.150

News 00-06(通巻150号)

News

2000年06月25日発行
屋外ステージよりホール入口を見る

読谷村文化センター

 まもなく九州・沖縄サミットが開催される。今年の夏の沖縄は観光客に加えてサミット関係者をも多数迎え、いつもの夏とは異なる雰囲気の賑わいを見せることと思われる。そして、その沖縄県内にまたひとつホールが誕生したので紹介したい。

読谷村:

施設名は「読谷村文化センター」という。「よむ・たに・村」と書くこの村名を、県外の人間で正しく読める人は少ない。正しい読みは「よみたんそん」。この村は、県庁所在地である那覇市と、7月下旬にサミットの首脳会合が行われる名護市とのほぼ中間に位置する。ここ数年では、米軍楚辺通信所の不法占拠問題で全国的に話題となった土地である。楚辺通信所は軍事通信の暗号電波を解読する通信施設であり、直径200メートルの低周波用円形アンテナ(沖縄では「象のオリ」と呼ばれている)が再三テレビで放映されたので、ご記憶の方も多いと思う。

 読谷村は、豊かな自然に囲まれた土地で、東に読谷岳や多幸山(たこうやま)等の山並みを抱き、西は東シナ海に面し、そこから突き出た景勝地、残波(ざんぱ)岬が有名である。人口は現在、3万6千人余りであるが、那覇市内へ車で約1時間という便利さから、オフィスの集中する那覇市への通勤圏内として読谷村に居を構える人が増えているとのことで人口は現在も増加の傾向にある。また、ここには焼物や織物、琉球ガラスの工房も多く、琉球古典音楽や島唄も盛んであり、琉球王朝時代からの民俗芸能、伝統工芸が深く根付いた土地である。

施設概要:

本施設の周囲は、青く広がるサトウキビ畑と、その中を突き抜ける真っ直ぐな道路が印象的である。この直線道路は実は飛行機の滑走路であった。読谷飛行場は第二次大戦時に旧日本軍により接収され、終戦後は米軍に占領された。沖縄各地がそうであるようにここもまた戦争の影響を受けた土地であることが伺える。しかし現在では立派な読谷村役場の新庁舎が建ち、読谷村文化センターもその庁舎に隣接して建設された。
 本施設は1992年に基本計画がまとめられ、その後県内のホール視察、村内の芸能演奏者との話し合い等の調整を経て、1996年5月に実施設計が開始された。そして翌1997年11月には施工開始、1999年8月に竣工した。設計は㈱国建による。永田音響設計は1998年春から竣工まで、施設内の多目的ホールの建築音響を中心にお手伝いした。

屋外ステージよりホール入口を見る

 施設は「鳳(多目的)ホール部門」と「ふれあい交流館部門」とに分けられる。ホール部門には多目的ホールである鳳(おおとり)ホール、ふれあい交流館部門には、可動椅子252席を備えた中ホールの他に工作実習室、視聴覚室等の地域住民の文化活動をサポートする施設が揃っている。
 鳳ホールの名称は、読谷村の地形を「残波岬を頭として東シナ海に飛び立つ鳳である。」(村づくり目標の一つである地域将来像「飛鳳花蔓黄金環(とほうかふんくがにかん)」より抜粋)とするところに因んで命名されたとのことである。本ホールは、コンサート、演劇、舞踊、講演会等、多目的に対応し、地域住民が豊かな文化に触れ、また自ら創造できる場として計画された。客席数706席、舞台には走行式反射板を備えている。

鳳ホールの内観(舞台反射板設置時)

室内音響設計:

内装材は主にボード積層とコンクリートで、後壁と天井の一部に有孔板による吸音面を設けた。全体的に白色を基調とした仕上げで、これに客席椅子の青色がよく映えている。側壁には一部外光を取り入れるガラス窓もあり、開放的な雰囲気を醸し出している。我々が設計に参加した時期はすでに実施設計がほぼ終了した時点、正確にはすでに施工も開始された後で、工事が一時中断された時期を利用しての設計見直しであったため、ホールの室形状等はすでにほぼ固まっていた。しかしコンピュータ・シミュレーションによる形状検討の結果は良好であり、大幅な変更は必要なかったが、側壁面については拡散形状とするためにその角度や形状等について提案した。

遮音設計:

遮音計画においては、近くに嘉手納基地があることから航空機騒音の影響が気になるところであるが、施主側との打ち合わせの結果、特に大がかりな対策は施さなかった。基地の近くではあるが、敷地上空を軍用機が通過する頻度が高くないということと、航空機騒音の遮断対策のためにはホールも含め構造の大幅な変更が必要となること及びコストが相当額かかること等を鑑みての結論である。よって本施設はコンクリート壁の中にホール、という一般的な遮音計画をとった。しかも側壁にはガラス窓、ホール屋根には自然排煙口がある。これらについては、窓は中間空気層を1m前後確保してガラスを2重に設け、排煙については排煙塔を間に挟んでアルミパネルとガラスによる

排煙窓を設けた。

音響性能:

完成後の音響測定の結果では、ホールの残響時間は反射板設置時において1.7秒(500Hz、空席時)、幕設置時において1.3秒(同)であり、満席時においてはそれぞれ1.4秒、1.1秒程度になると推定している。客席数706席、室容積7,400m3の多目的ホールとしては適度な響きの空間が得られたと考えている。

 航空機騒音については、実際の使用において特に問題とはなっていないようである。開館後:ホールは昨年9月以降の準備及び試用期間を経て11月20日に落成式を迎え、その後読谷村出身の人気女性デュオ・グループ、Kiroroによる開館記念公演が2日間行われた。また昨年10月から12月にかけて沖縄県では沖縄芸術祭が開催され、本島内の各ホールや体育館で展示会、演奏会、舞踏公演等が行われた。読谷村文化センターでは県内の舞踏家によるバレエ公演が鳳ホールにて行われ、多くの観客を集めて盛況であった。本ホールは、その他では主に近隣の芸能愛好者や学生達による音楽、演劇、舞踊等の発表の場として活用されている。今後とも芸能盛んなこの地において鳳ホールが大いに利用されていくことが期待される。

【問い合わせ先】読谷村文化センター(鳳ホール)℡:098-982-9292  (横瀬鈴代 記)

藤沢リラホールの健闘

 藤沢リラホールはJRと小田急線がジョイントする藤沢駅南口、駅前通りに建つ藤沢リラビルの5,6階にある220席の小ホールである。オーナーは園興産株式会社、現在の経営者、赤池美枝子氏の先代が設立された企業である。赤池さんは上野学園のご出身のピアニスト、ピアノ音楽用のホールは赤池さんの長年の夢であった。

 しかし、200席という収客規模、公共施設には太刀打ちできないホール使用料など、どうみても経営的には難しい条件である。このような苦しい収支環境に対して、高級ブティック、宝石店などを狙った藤沢リラビルの賃貸料と隣接の駐車場からの収益でホール経費を賄うというのが本ビル建設の収支計画であった。

藤沢リラホールの内観

 ホールがオープンしたのが1990年の暮れ、折しも、バブル崩壊の兆しが見え始めてきた時である。まず、最初のつまずきは予定したビルのテナントが埋まらなかったこと、当然、賃貸料の引き下げもあったであろう。銀行筋からホール中止の圧力が何度もあったと聞く。今年の3月、銀行からの圧力で、自主企画部門を断ち切らざるをえなかったカザルスホールの痛みをリラホールは開館早々の時期に被らざるを得なかったのである。この苦しい日々を何とか耐えてこられたのはホールに注がれた赤池さんの情熱と執念以外にない。

 オープン以来、この藤沢リラホールは自主企画の公演と貸し館事業の二つの路線を続けてきた。幸いにピアノを意識して響きの設計(詳細は本News 1990年12月号参照)を行ったこのホールに対するピアニストの評価は高い。しかし、東京では500席のホールが満席になるような演奏会でも、この藤沢リラホールでは聴衆の動員は簡単ではなかった。演奏会が近づくと、赤池さんは終日電話で来場者の呼び込みを図っていたという。

 今年度の企画公演としては、5月のJ.デームス(ピアノ)がおわり、秋にはH.C.ステファンスカ(ピアノ)、E.ステファンスカ(チェンバロ)、舘野泉(ピアノ)、G.カー(コントラバス)などの公演が予定されている。また、その他、最近の着目すべきプログラムは1997年に開設された音楽文化講座で、今年度は国立西洋美術館長の高階秀爾氏による「音楽と美術との対話」のシリーズが続いている(最終回7月24日18:30)。この講座は元NHKの音楽番組チーフディレクターを務められた大塚修造氏の企画によるものである。なお、ホール企画運用についての大塚氏の活動は次ページに紹介する。

 現在のホールスタッフは赤池さんを含め3名、ホール使用料は平日夜間で70,000円、本番前の使用料半額、スタインウエイ(フルコン)使用料20,000円である。

 当初、苦しい日々の連続であったが、開館10年目を迎える今日の藤沢リラホールは聴衆も育ち、安定した活動を続けている。基本的なハンディを背負ったこのような民間の小ホール、この種のホールがその特色を生かした音楽拠点としての地位を維持するためには聴衆とホールとの太いパイプが不可欠である。ここでは大ホールでは味わうことのない演奏者の体温、呼吸を感じるような身近さで音楽に接することができる。新宿から1時間あまり、ピアノ音楽愛好者にはお勧めのホールである。(永田 穂 記)

【問い合わせ先】藤沢リラホール:〒251-0025 藤沢市鵠沼石上1-1,TEL:0466-22-2721

大塚修造氏のご紹介

 箱物行政の空洞化が叫ばれて久しくなる。大都市の恵まれた少数のホールは別として、ホールに賑わいを取り戻すことは今日のホールが抱えている大きな課題である。それぞれの施設、様々なアイディアで斬新な企画の開発、サービスの向上で聴衆層の開拓を図っているのが実状である。大都市のホールで行われているコンサートオペラ、ガラコンサートなどの大型番組から、リゾート地で行われる各種音楽祭、郊外の小ホールで行われている休憩時間の飲み物の無料サービスまで、その種類と規模は様々である。

 都市と比べて音楽ビジネスの情報が希薄な地方の小ホールでは、催し物の企画とその具体的な実行計画に悩んでおられるところが少なくないのではないだろうか。このような状況にあるホールの企画・運営の協力者の一人として、大塚修造氏をご紹介したい。

 大塚さんは元NHK音楽番組のチーフディレクター、在職中「音楽の泉」、「日本の歌」、「NHK市民大学」、「FMリサイタル」など多くの音楽番組を担当された。1991年NHK退職後もこれまでのキャリアーや人脈をバックに、文化番組の演出、レクチャーコンサートの企画、講演会、また文化庁企画委員など幅広い分野で活躍されている。また、全国のホールに日本の歌、自然と音楽、世界の音楽と楽器、世界の都市と歌など親しみやすい企画を提供されてきた。表に示す藤沢リラホールの音楽文化講座もその一つである。

テーマ講師
ヨーロッパ古楽の楽しみ(1997)皆川 達夫(音楽学、立教大学名誉教授)
音楽と文学の出会い(1997)小塩 節  (独文学、中央大学教授)
モーツァルト散策(1998)海老沢 敏(国立音楽大学学園長)
声・生命の輝き(1999)畑中 良輔(声楽家、新国立劇場芸術監督)
音楽と美術の対話(2000)高階 秀爾(国立西洋美術館館長)


 私も元NHKに籍をおいた一人、大塚さんの印象を一言でいえば、NHKの音楽ディレクターという肩書きを感じさせない気さくな方である。どんなことでも、たとえば、予算のことでも気楽に相談にのって下さると思う。大塚修造さんの連絡先をあげておく。〒247-0051 鎌倉市岩瀬556、TEL:0467-45-5740  (永田 穂 記)

本誌150号発行と合本のご案内

  本ニュースは今月号で創刊以来150号になりました。これも皆様のご支援の賜と厚く御礼申し上げます。本号の発行を機に、101号から150号までをまとめた合本を製作中ですのでご希望の方はお申し込み下さい。(1部2500円、消費税込み)
なお、合本のバックナンバーもありますので、あわせてご案内します。1号~50号が2000円、51号~100号が2500円です。

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