東京芸術劇場のエスカレーター
東京芸術劇場が一部の新聞紙や週刊誌で騒がれている。たしかにある視点から見ると不都合な点はあるであろう。しかし、劇場には多様な機能が要求され、個々の機能同志は相矛盾することは止むを得ない。設計者の意図したことが必ずしも利用者の期待には添えないこともある、とくに使用者の実態が定かでない公共施設では、専属の劇場と比べるとこの種の問題は避けられない宿命にある。また劇場だけではなく、公共施設に対しては文句をいいやすいという面もある。昭和36年、東京文化会館がオープンしたときにも演奏家からの強い批判が著名新聞に載ったことがある。今でもその新聞記事の紙面をおぼろげながら思い浮かべることができるほど担当者には大きなショックであった。しかし、何時の間にかこのホールは演奏家にとっては標準的なホールとなった。著者は決してクレームを寄せた演奏家の方々を非難するつもりは毛頭ない。その時演奏家が感じたことは真実であったと思う。ホールは楽器であり、道具である。使い込むことによって、馴染んでくる、使い勝手の発見がある、などといった人間的な側面を持っている。今回は話題の一つとなっている東京芸術劇場のエントランスホールの空間に掛けられた巨大エスカレーターについて、音響面から説明したい。
このエスカレーターはエントランスホールと5階の大ホールのロビーとを結ぶ全長約40mのものである。面白いといわれる方もおられるし、あれを見ただけでも行きたくないといわれる高所恐怖症の方もおられる。敷地は広いのに、なぜ中ホールの上に大ホールを乗せるという不自然な配置をしなければならなかったのか、そして、避難という点から指摘したくなるエスカレーターをホールのメイン通路にしなければならなかったのか、最終的には建築家の決断であったが、この配置には音響的な理由が大きく働いていたことも事実なのである。
その理由は地下鉄振動対策である。図に示すようにこの施設の敷地の一角をかすめて地下鉄有楽町線が走っている。地下鉄振動というのはホールにとって最も面倒な振動源であり、その対策を建物側だけで行うことは常識をはるかに越えた防振構造が必要となる。当然、地下鉄振動にどう対処するかは本施設の基本計画段階からの最大の課題であり、音響設計側としては地下鉄振動の測定を数次にわたって実施し、建物の配置とホール内における地下鉄騒音の予測を行ったのである。基本計画段階で建築設計部門から最終的に提出されたホール配置案は大・中ホールを平面的に配置するA案と立体的に配置するB案の二つであった。
音響設計側としてはコンサートホールで地下鉄騒音は絶対に聞こえてはならないという立場からB案を提案した。しかし、この配置も大・中ホールの遮音という別の問題を抱えているのである。結局、建築設計者の立体配置案に対しての魅力もあって現在の配置となった。
この配置では地下階にある二つの小ホール、六つの練習室が地下鉄騒音の影響をうけることになったが、これらの室は幸なことに直方形であり、浮きの遮音構造の導入は比較的楽である。小ホールでは地下鉄騒音はまったく検知できないが、グレード別の遮音構造をもたせた練習室ではその構造に応じて地下鉄騒音が遮断されている。
基本計画の段階からこれだけ地下鉄振動の遮断とホール間の遮音に取り組んだホールは珍しい。華やかな文化施設の奥にこのような努力が注がれていることも知っていただきたいのである。
書棚の整理(その2)
先月号に引き続いて、雑誌“新潮45”5月、6月号の特集記事「書棚の整理」に掲載された諸先生の“本”の整理についての所見をご披露する。先月号にも記したように、本をとおして生の“the way of life”を知ることができる。ぜひ、本文をお読みになることをお薦めする。今月は6名の方々の書斎の現場をご紹介する。
飯澤匡(劇作家)―「我死なば売りて黄金にかえななむ」―
- 画家の富岡鉄斎の画室は本の山で足の踏場所もなかったそうだ。鉄斎老はそのいくつも小山をなしている本の山の間を飛び跳ねて歩き廻り客と対話していたそうだ。
- ある人の建築談話を読んでいたら大きなマントルピースを作って、それで盛大な焚き火をして総て焼いてしまうことが書いてあった。
- 書棚整理の最も有効な解決法は、夫子自ら本を書かないことであろう。
- たしかにものを愛する人の手に渡るのが、ものにとっては一番順当なことである。変な公共施設なんかに寄贈して深く蔵いこまれたら本にとってはこれ以上の不幸はない。
三国一郎(放送タレント)―「書棚」を主題にして書いた自分史―
- スライド書棚はスライドしてこそ便利な家具であるが、一度スライド困難におちいるや、こんな厄介な家具はない。
- 書棚でも本箱でも、本の所在がピンと知れてこその家具なのだから、ある段階まで蔵書が増えてきたら、適当なところで本の所蔵欲にブレーキをかけるべきではないか。本を探すことの苦痛で心がいたむようになったら、本を増やすことをやめるべきだろう。
- 本を増やさない方法は、本を買わないことであり、書店などに立ち入らないことである。
養老孟司(東大教授)―寿命がくれば自然に整理できる―
- 書棚の整理ほど、難儀な物はない。だからほとんどやらない。私はもともと物を持たない主義である。それなのに、わが家には、本と雑誌がいまでは年々たまるばかり、捨てる気になるより早く、たまるのである。もはや捨てる手数を考えただけで目がまわる。
- 書棚の整理の第一歩は、中身を売ることである。選んではいけない。売るならまとめて全部売る。そうすれば、書棚はきれいに空になる。
- 整理というのは、要するに際限のないものである。どうせ、いずれまた、繰り返さなくてはならない。そう思えば、伊勢神宮ではないが、日本人の性向も悪くはない。無理にそうしなくても、自分の寿命が来れば自然にそうなる。女房子供は、私ほど本は読まない。私が死ねば、自然に整理がつくであろう。
阿木翁助(作家)―むつかしきかな「酒と本の両立」―
- 月給貰ったらまず本を買おうと、月賦屋でとりあえず「書棚」を買い込んだ。十五日と三十日の月給日には、近くの「紀伊国屋書店」へ行き、二冊、三冊と本を買い、そして、酒は我慢した。
- 「書棚」一段、二段と本がふえる喜びも大切だが、ツケで飲める酒も有り難い。
- 今、私の書斎は本の外に不用品が一杯つまって、三歩とは踏み込めない。「ああ、折角かせいだ金を皆酒にしてしまわず、もっと、大きな家をつくって、自由に出入り出来る大きな書庫をつくる可きだった」はじめて「書棚」を買って、酒と本の両立がむつかしかった様に、今、七十八翁になって同じ悩みを抱く私なのだ。
村松剛(文芸評論家)―蔵書数千冊処分で残った「逸話小咄辞典」―
- わが家も次第に本の山に浸蝕され、ついには紙屑籠のなかで暮らしているような具合になってきた。それで今回住まいを移したのを機会に、数千冊の書籍、雑誌を思い切って処分し、新しい家の書斎の三面の壁には天井までの本棚を作り付け、部屋の中央にはレールを敷いて移動式の本棚をおき、そこにはいらない本は存在しないという基本方針を定めた。もっともこの方針をいつまで堅持できるかに付いては、実はあんまり自信がない。
橋本大三郎(社会学)―時が過ぎて読むに耐えなくなる本―
- 私は原則として買った本は売りません。本を買わないと読まないので、読むつもりで買っているからです。実際はなかなか読めないけれど、持っていることがとりあえず大切だ。
- 当然、置き場所に困って初めは前後二重に置いたけれども、すぐに満杯。そこで廃材で、天井までの本棚をいくつもつくりました。. . . . 横に並べると、総延長二百メートルくらいになるかもしれない。それを実家と事務所と大学の三箇所に分散しています。
- 人間の発想には、いくつかの基本的なパターンがあるのではないか。たいがいの本は、そのパターンに従って書かれている。パターンの似ている本を、いくら読んでも無駄です。
- 人間、過去を学ばないと過去を繰り返す。過去、つまり書物はきちんと管理してないといけない。
NEWSアラカルト
第12回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル
NEWS90-08号でも紹介したように、11年間、スキー場のレストハウスで続けられてきた草津夏期国際音楽祭であるが、井坂さん始め関係者の長年の夢が実現して、今年、新しいコンサートホール、草津音楽の森コンサート・ホールが誕生した。
建築は八ヶ岳音楽堂の設計者の吉村順三先生、音響はヤマハの建築音響研究室である。これまでのレストハウスから車で約5分、落葉松林の中に建った素朴な美しい音楽堂である。平面系は六角形、断面は山形の空間である。パンフレットによれば、客席数は608席、一席あたり13.6m2という豊かな空間をもち、残響時間は2秒とのことであるが、豪華な絨毯を敷き詰めたこの空間では2秒という響きは感じなかった。
今年も魅力あるプログラムが続いている。二日目のE.ヘフリガーさんの「白鳥の歌」とJ.デーラーさんの「即興曲」というシューベルトを聴いた。ヘフリガーさんは1919年のお生れ、歌手としては考えられないお年であるが、往年の力と美しさを偲ばせる声ですごみを感じさせる深いシューベルトであった。また、伴奏のデーラーさんは1845年製のハンマークラヴィアーを使用された。この音色はヘフリガーさんの声と微妙に打ちとけあって、美しいシューベルトの夕べとなった。ヘフリガーさんの演奏会は9月、カザルスホールで「冬の旅」がある。
保田紀子さんオルガンリサイタル、水戸芸術館のマナ・オルガンによる
保田紀子さんは現在松本のハーモニーホールの専属のオルガニストとして活躍されている。オルガンの現代曲といえば、面白くないという印象がまず浮かぶが、保田さんの手にかかると不思議とたのしい音楽となる。保田さん自身楽しんで余裕をもって弾いておられるからであろう。現代曲を躍動感豊かに弾かれるオルガニストとして注目されており、保田さんの依頼でいくつかのオルガン曲も生れている。
19日の夜、水戸芸術館のエントランスホールのマナ・オルガンによるオール現代曲のリサイタルがあった。このオルガンは46ストップの中型オルガンであるが、メカニカルなストップアクションをもっており、ストップを微妙に調整して独特の音色をつくりあげることができる。空間に雲母が舞っているような効果もあった。残念だったことは2階のバルコニー席では、企画・構成を担当された池辺晋一郎氏の解説がまったく聴き取れなかったことである。リハーサルで何故確認できなかったのかと思う。なお、9月23日にはケストナーのバッハの夕べがある。