No.319

News 14-07(通巻319号)

News

2014年07月25日発行
如来堂

瑠璃光院白蓮華堂 − 都会の中の仏教寺院

 新宿駅南口から歩いて3分、飲食店などが入った雑居ビルが建ち並ぶ通りの裏手の路地に突如として現れる宇宙船のような建物、それが今回ご紹介する瑠璃光院白蓮華堂(るりこういんびゃくれんげどう)である。仏教寺院だが、普通の寺院とは少し趣きが異なる。普通ならば、敷地内に分散して建てられる本堂、寺務所、納骨堂などが、一つの建物内にまとめられており、新宿という敷地ならではの工夫が施されている。建築主は無量寿山光明寺、総合元請は豊田自動織機で、建築設計は竹山 聖+アモルフ、施工は竹中工務店である。永田音響設計は、コンサートも計画されている如来堂と3層吹き抜けの高い天井高さの(くう)の間の音響設計を行った。建物は地下1階、地上6階である。正面入口側から見ると1階部分が細く、2階以上は上に広がった形状でボリュームがあるため、一見、建物全体が空中に浮遊しているように見える。外壁は白蓮華の名前の通り、白色、ホワイトコンクリートによる杉板型枠打放しである。ホワイトコンクリートは、施工が難しいということだが、建物の角部分の曲面もきれいに仕上がっている。正面壁には、楕円の大きな穴がぽっかり空いており、側面には縦長、横長の四角い窓が不揃いにいくつか配置されている。どこから見ても普通ではない建物である。

外観
外観

 地下~3階部分の建物中央部には納骨堂が配置されている。この納骨堂をセンターコアとして、その両側に諸室が配置されている。低層部の納骨堂周辺には参拝室などが、また上階の東側には庫裡(くり)や寺務所、西側には本堂や如来堂などが配されている。そして、納骨堂の直上が空の間である。竹山氏は、納骨堂上部は空っぽがよいとの考えから、具体的な機能を持つ室ではない空間を提案された。ちょうど、住職が、空の思想をアジアに伝えた鳩摩羅什(くまらじゅう)の没後1600年を記念して、鳩摩羅什の故郷クチャに記念館を寄贈されたこともあって、竹山氏の提案に共鳴されて実現したようである。空の間は、3層分吹き抜けの天井高さ約8.7 mの視覚的に縦に長い空間である。天井は少し傾斜しており、長手側の壁の一方は上向きというように、向かい合う面が平行とならないよう工夫されている。短辺側の壁の一方には、当初から使用することが決められていたラオス桧を、音響面から凹凸をつける方法でのデザインをお願いした。またその反対側は吸音仕上げとした。残響時間は3.4秒(500 Hz,空室時)と非常に長い。スイスの作曲家ピエール・マリエタン氏による「天と地の間に」の曲が長い響きにたゆたい、ゆったりとした時間が流れる。

空の間
空の間

 如来堂は5階に位置し、空の間に隣接して配置されている。正面に阿弥陀如来像が雲の上に乗っているかのように安置されている。阿弥陀様の背後の鏡板は、天然ラピスラズリの顔料による深い青色で、厳粛な雰囲気を醸し出している。春分・秋分の午後3時には、上方からの外光がご本尊を照らすように窓の位置が決められているそうだ。空の間側の壁は、空の間で上向きだった壁になるので、如来堂では下向きになる。また、反対側の壁は外壁になるので、上に向いた曲面である。如来堂も空の間と同様、平行な面がないように計画されている。壁はホワイトコンクリート杉板型枠打ち放しおよび漆喰である。少しでも凹凸をつけて欲しいという音響からの要望に応えていただき、いずれも平滑な面にはなっていない。また、いろいろな用途に対応できるようにカーテンを設置し、その開閉で響きの長さを調整できるようにした。如来堂には、ピアニストの海老彰子氏が選定されたベーゼンドルファのピアノがあり、150席程度の椅子を設置すればコンサートも可能である。音楽法要などにも対応できる。

如来堂
如来堂

 6月18日、「阿弥陀如来様への音楽の捧げ物」と題した海老さんのコンサートが開催された。海老さんの超絶技巧による演奏は素晴らしく、またベーゼンドルファらしい上品な響きが室内に響き渡った。コンサートの途中から、阿弥陀様のお顔に笑みがさしてきたようにも見えたのは、私だけではなかったようである。

 他にも貴重な中国敦煌の莫高窟(ばっこうくつ)第220窟阿弥陀浄土図の原寸大復元画像や、消失してしまった法隆寺金堂に描かれていた阿弥陀三尊像と普賢菩薩像の模写などの文化財も多く所蔵されている。仏教関係だけではなく、いろいろな文化、芸術の交流の場としての活用が計画されているようである。雑踏の中にあるが、その前に立つと不思議に静けさを感じる。是非一度足を運ばれてはいかがでしょうか?(福地智子記)

Perm Opera (ペルミ・オペラ ー新オペラハウスの建設ー)

 ロシアの中西部ウラル山脈西側のふもとにPerm(日本語では”ペルミ”と呼ばれる)という人口約100 万の地方都市がある。そこのオペラ(Perm Opera and Ballet Theatre)の事務局長(General Manager)マーク・デ・マウニィ氏(Mark de Mauny)から直接電話が掛かってきた。昨2013年10月のことである。今、設計が進められている新しいオペラハウスの音響設計の仕事を引き受けて欲しい、という。新しいオペラハウス(約1100席)は既存のオペラハウス(970席, 1870年開館)に隣接する形で新設される予定で、設計はすでに2年前から進められている。現在、基本設計が終了し実施設計が進められているところであるが、ここに来てデザインチームのうちの音響設計者(ヨーロッパの大手音響コンサルタント) とオペラの芸術監督であるテオドール・カレンティス氏(Teodor Currentzis)との意見が合わず、両者の関係が決裂的だという。そしてそのCurrentzisからの指名により今後の音響設計を引き受けて欲しい、というのが事の経緯である。新しいプロジェクトの音響設計を最初から担当するのは、もちろん願ってもないことであるが、他の音響コンサルタントが担当してきた音響設計業務を引き継ぐというのは、あまり例もなく簡単なことではない。建築設計はDCA(David Chipperfield Architects)というロンドンが本拠地のアーキテクトで、そのベルリン事務所が担当している。そのベルリンの事務所にて、オペラ側も参加して二度のミーティングが開かれた。その結果、最終的には我々としても納得した上でこのプロジェクトに参加することになった。他の音響コンサルタントの後を受けて、残りの音響設計を担当するということである。ミーティングの終わりに、最新のレコーディングということで発売されたばかりのCD セット「フィガロの結婚」をオペラのde Mauny事務局長がプレゼントしてくれた。

既存のオペラハウス (1870年開館)
既存のオペラハウス
(1870年開館)

 その後、契約にあたっての最終的なミーティングのために、初めてPermを訪問することになった。2014年5月のことである。正直なところそれまで、Permという街について、そしてPerm Operaについては、ほとんど何も知らずにいた。現地を訪問するにあたって、そして実際にプロジェクトに参加するにあたって、少しくらいPerm Operaの事を知っておかねばということで、もらったばかりのCDを聞いてみることにし
た。

 「驚愕!!」の一言、すべての物語がここから始まるといってよい。その音楽の何と瑞々しいことか。そしてそのアンサンブルの何と精緻なことか。驚きの連続で3時間程のオペラ全曲を一気に聞き通して、さらに部分的に何度か聞き返した。このような体験は初めてのことである。Perm Operaのオーケストラのレベルの高さ、そしてそれを可能にしたCurrentzisというマエストロ。不覚にもPerm Operaのことをこれまで何も知らないでいた自分の無知を恥じた。慌ててCD付属の小冊子に目を通した。そこには、マエストロCurrentzisのこと、そしてmusicAeternaというオーケストラのことのあらましが紹介されていた。

 すなわち、このPermという地方政府の首長が、Permというかつて地方の工業都市として栄えたものの衰退してしまった街の新たな街作り、街興しの一環として文化政策に力を注いだのである。そして、1870年創立という歴史を誇るPerm Operaの再興を期して招聘したのが、Currentzizだったのである。ギリシャ生まれのCurrentzisは音楽を勉強する場所としてロシアのサンクト・ペテルブルグを選び、そこの音楽院で優秀な指揮者を数多く育てたことで有名なイリヤ・ムーシン (Iliya Musin)の元で最後の弟子として学んだという経歴を持つ。Permからの招聘があった2011年当時、Currentzisはノボシビルスク(Novosibirsk)のオペラハウスの首席指揮者を勤めており、そこで自分の音楽、考え方に同調する若い優秀な演奏者のみを集めて自分のアンサンブルを組織していたのである(Musica Aeterna Ensemble)。

 Permからの招聘を受けたCurrentzisは、芸術監督を引き受ける条件として自分が組織して育てつつあったMusica Aeterna全体を引き連れてPermに引っ越しすること、さらにPermにおいてそのアンサンブルをフルサイズのオーケストラまで大きくすることを提案し、Perm側はそれを受け入れたのである。かくして、Currentzisのみならず、アンサンブルの全メンバーがPermに移住することになった。Perm Operaはもちろん独自のオーケストラを抱えた劇場であったが、その指揮者を含むオーケストラ全体はそのまま劇場に残されることになり、すなわち2つのオーケストラがPerm
Operaに併存することになった。一つのオーケストラを組織してそれを維持していくだけでも大変な経費の掛かる大事業であり、世界中のオーケストラがその生き残りのための試行錯誤を繰り返している。既存のオペラ劇場に全く新しいオーケストラを一つ丸ごと抱え込むことになったPerm、そしてそれを決断させたCurrentzisというマエストロは、これまでの常識ではちょっと考えられない。新オーケストラmusicAeternaの多くのメンバーは20-30才台の若い奏者で、通常のリハーサルや公演の他、オフの時でも常に自己練習等を行って高いレベルを維持することが求められている。給与も既存のオーケストラ奏者に比較して破格に高いものが保証されている。若い才能に対して、思う存分に音楽に打ち込める、ある意味でユートピアともいってよい程の理想の環境が提供されたのである。これは、ロシアというクラシック音楽の長い伝統を持った国で、しかもある意味では経済的な発展から取り残されたロシアの地方都市だったからこそ可能になった特異な例といえるかもしれない。と同時に、世界中の音楽メジャーな都市においてはもはや不可能な壮大な実験ともいえよう。このマエストロと新しく組織されたオーケストラの最初のレコーディングである「フィガロの結婚」のCDを聞くと、今Permで起こっている「凄い」出来事が実感できる。これから世界中のあちこちでこのCurrentzis + Perm Operaのことが話題となることであろう。彼らの新しい本拠地となる新Perm Opera and Ballet Theatreというエキサイティングなプロジェクトに関わることになった。今後、どのようなプロジェクトの展開になるのか、機会があれば引き続き報告していきたい。(豊田泰久記)

芸術監督: Teodor Currentzis
「モーツァルト:フィガロの結婚」
CD の表紙 (Sony Classical)
「モーツァルト:フィガロの結婚」
CD の表紙 (Sony Classical)

「サッカー2014」パビリオン

 ワールドカップに沸く毎日であったが、その開催期間中、北青山の駐日ブラジル大使館に2014 FIFA ワールドカップブラジルを記念し、「サッカー2014」パビリオンが設営されていた。

 このパビリオンはワールドカップを機にブラジルと我が国の絆をさらに高めることを意図し計画されたとのことで、ブラジルの建築家ルイ・オオタケ氏の設計した大使館のエントランスの広場に、建築家 坂茂氏の設計により完成したものである。ワールドカップ開催期間の1ヶ月ほどの仮設施設であったが、ワールドカップに関連したイベントとともに、映画、ボサノヴァのライブ、経済セミナーなどブラジルの文化関連の様々な催し物が行われていた。

 被災地などの仮設施設にも使われた紙管構造のパビリオンである。柱と梁には大小の紙管が、屋根はポリカーボネートと、至ってシンプルで、短く切断した紙管が組み上げられ、その短管の所々にサッカーボールがはめ込まれた壁面が正面道路側から覗ける。こうした交流施設のありようとして、手軽で、ソフト先行で望めるだけに、身近なところでの交流の場の設営方法として期待される。

「サッカー2014」パビリオン
「サッカー2014」パビリオン

 ワールドカップ開催前の6月11日、連日の雨で工事も遅れていたようであるが、パビリオンの記念と、坂氏の2014年プリツカー賞受賞をお祝いし、大使ご夫妻主催のカクテル・パーティーがあった。翌日にはアムステルダムでの受賞式にたたれる坂氏を囲み、強い雨の中ではあったが、大勢の方が集い、賑やかな二つの前哨戦となった。(池田 覺記)

佐野正一氏のお別れの会

 安井建築設計事務所 代表取締役相談役の佐野正一氏(93歳)が今年3月20日に亡くなられた。そのお別れの会が6月12日、大阪で行われ、建築関係者をはじめ多くの方が参列され、献花し、故人を偲んだ。安井建築設計事務所の継承と発展に尽力された佐野氏とは、建築家としてのライフワークとも仰るサントリーホールのプロジェクトで弊社もご一緒させて頂いた。すべてが新しい課題であり、大きな努力と決断が必要であったと、振り返っておられたが、赤坂六本木地区のアークヒルズに新しい魅力を持つコンサートホールが誕生したのである。サントリーホールも2016年には30周年を迎える。ベルリンのフィルハーモニーホールも昨年50周年を迎え、記念の展示、出版書籍にはその流れを汲むコンサートホールとして、サントリーホールが設計者とともに紹介されている。(池田 覺記)