No.312

News 13-12(通巻312号)

News

2013年12月25日発行
那須野が原ハーモニーホール

那須野が原ハーモニーホールのパイプオルガンが完成

那須野が原ハーモニーホールは1994年、大田原市と旧西那須野町の共同施設として建設された。本ニュース(85号1995年1月208号2005年4月)でも、竣工時と10年後の丹羽正明館長(当時)らのご活躍について紹介している。この大ホールに今年11月、パイプオルガンが完成し、12月8日に竣工式典と披露演奏会が行われた。

オルガン設置計画

 大ホールにパイプオルガンを設置することは、施設の計画段階から想定されており、その音響上の準備として、舞台正面に低音を十分に反射させるためのコンクリート壁を設け、遮音を考慮した送風機用の空間を用意していた。

1999年にパイプオルガン準備委員会が設置され、オルガンビルダーの選定作業に移ったが、その後東日本大震災などがありその設置も危ぶまれた。しかし、小林正博館長のオルガン設置に対する揺るぎない強い意志により、粛々と設置計画は進められていった。オルガンビルダー7社によるコンペが実施され、最終的にオーストリアのリーガー社に決まった。リーガー社は、日本では、東京のサントリーホールや所沢市民文化センター「ミューズ」のオルガンの製作を行っているヨーロッパでは150年以上の歴史のあるオルガンビルダーである。

那須野が原ハーモニーホール
那須野が原ハーモニーホール

パイプオルガンの特徴

 オルガンの仕様決定のアドバイザーとして、ベルギー出身のオルガニスト、ジャン=フィリップ・メルカールト氏が選任された。氏は札幌コンサートホールや所沢「ミューズ」の専属オルガニストを経験され、演奏活動も精力的に行っている。このオルガンの特徴についてメルカールト氏に伺ったところ、「フレンチシンフォニックスタイル」というコンセプトで、小さな音から力強い大音量まで奏でることができ、オーケストラ曲をオルガン用にアレンジして1台で演奏することを考えているとのことであった。今後、ピアノとオルガンとでピアノ協奏曲を演奏することも模索中とのことである。披露演奏会ではメルカールト氏により、このオルガンの魅力を引き出せるというサンサーンスやメシアンなどフランスロマン派、近代の作曲家の作品が演奏された。

大ホールに設置されたパイプオルガン
大ホールに設置されたパイプオルガン

パイプオルガン設置基金

 パイプオルガンの費用は約134,000,000円であったが、大田原市と那須塩原市で1996年に基金を設置し、積立準備をしてきた。特筆すべきは、その基金に対し一般市民から1800万円という多額の寄付が寄せられたということである。

施設が竣工して5年ほど経ったとき、「週刊新潮」にジャーナリストの櫻井よしこ氏による「もういらない、地方自治体「箱物建設」浪費の実態」という記事が載せられ本施設を、多額の赤字を出す無駄な施設と批判されたことがある。当時の箱物行政批判の的にされたものだが、市民の多くがこの施設を批判的に見ていたならば、パイプオルガンなどその無駄の象徴に捉えられ、市民からの多額の寄付などが集まることもなかったであろう。パイルオルガンは一般的にはあまり馴染みのない楽器のように思えるが、これまで20年に亘る丹羽前館長や小林現館長らの努力によってその存在意義が理解され、完成に至った。

音響特性の確認

 一般的に、パイプオルガンは大きな吸音体となるため、その設置により残響時間や反射音の性状が変わる可能性がある。パイプオルガンの竣工後、音響特性がどのように変わったかを確認するために音響測定を行った。パイプオルガンは舞台正面にあった座席の位置に設置されたため、座席の吸音が減り、オルガンの吸音が加わることになった。結果的に残響時間は若干長くなり、空席で2.1秒/500Hzが2.2秒程度となった。

これからは、メルカールト氏が主体となってパイプオルガンのための企画がなされていくことだろう。パイプオルガンを市民の方々に触れて頂くための教室なども行われていくという。今後の運営に期待したい。(小野 朗記)

那須野が原ハーモニーホール公式ウェブサイト

客席可変の今と昔

最近の市民会館等の基本構想・計画に600~1300席程度の規模をよくみる。それでも、構想・計画の中に、「少ない集客数時にも使いやすい空間のあり方を検討する」、「市民の鑑賞の場としての大規模利用と市民の発表の場としての中規模利用を両立させる」、「客席を効果的に配分し、中規模の集客にも違和感のないものとする」等の文言がみられる。

ホールの客席規模?

 たくさんのお客さんに来て頂きたい一方で、集客数が多くないときの催し物にも違和感なく、親近感、満席感のある雰囲気が欲しい。ホールの建設計画において、ホールの性格、用途の設定と同様、難しい課題なのが客席規模の設定ではなかろうか。100席、300席位の小さなホールと対極に大きなホールではその設定に、立地条件、使命、役割から迷いは少なかろうが、中庸な規模が悩ましい。ホールの規模は公共と商業ホールで、また、公共のホールでも舞台芸術の創造活動が主軸か、鑑賞の場としてか、どちらに重きを置くかにもよるだろう。ホールの規模を考える場合、地域住民に対するサービスからの収容能力、舞台でのパフォーマンスに対しての適正、そして採算性などが一般的な軸となろう。また、財政難の昨今にあっては、大が小を兼ねるとばかりの安易な妥協も許されない。身の丈あった規模設定が求められるが、その身の丈が難しい。

バルコニー席の分割方式例
(a)天井傾斜による分割方式
(a)天井傾斜による分割方式
(b)天井昇降による分割方式
(b)天井昇降による分割方式
(c)間仕切り壁等の引き割による分割方式
(c)間仕切り壁等の引き割による分割方式

1970年代のホール

 各地に文化施設建設の時代、多額の予算をかけて大ホールを中規模ホールに分割可変する機構が導入され、大・中ホールの両立性を意図した多目的ホールが誕生している。客席を区画し、客席数を1/2~2/3程度に分割縮小している。また、前舞台、オーケストラピット等の客席利用も催し物によって客席数の増減が生じるが、逆に舞台部まで客席を拡張し、客席数増をはかった客席可変もある。ワンスロープ型の中規模ホールでは、客席を中通路等で可動間仕切り壁により前後や左右に分け、小ホールとして利用する方式が採用されている。大規模な多層型のホールでは、バルコニー席部の天井を傾斜、昇降させる機構や、可動間仕切り壁、シャッター、ルーバー、カーテンなどを昇降、左右に引き割る機構を設け、バルコニー席を区画し、中規模ホールとする方式などである。なかには区画したスペースも利用できるように計画されたものもある。

客席可変の技術的課題

 このような建築、機構的に、大規模に分割する客席可変の導入では、室容積、可変部位の変化による響きへの影響を音響条件から検討しなければならないが、空調、照明設備も機能、性能確保の点で課題もある。空調設備では空調効率から客席前部、後部系統とゾーニングされてはいるが、客席分割に対応した切り替えが、省エネの観点からも要求される。客席照明も同じである。舞台照明設備に関しては客席後部に位置するピンスポットの投光、調整室での調光操作等へ、支障のないような付属室の配置と分割方式が求められる。音響操作も同様の配慮が必要となるが、舞台音響設備についてはプロセニアムスピーカ等のメインスピーカの配置とその指向性制御が問題となる。カバーエリアの分割対応、可変部位からのエコー障害回避のためである。

室内音響計画では大ホールから中・小ホールに分割可変することによって、分割縮小された規模での催し物に適した響きの確保が、また、可変部位によって生じる大きな反射面によるエコー障害の防止が形状、内装条件の検討においての課題となる。客席可変は客席に大きな可動天井、壁を出現させることになるが、その存在の舞台側からの視覚的な違和感を助長しないようにする工夫と、その面の音響処理仕上げは意匠的にも容易ではない。さらに、分割区画されたスペースの有効利用からの同時使用となると、遮音対策も必要となるが、可変と遮音、相容れない難しい問題となる。

最近のホール

 可変機構までは設けないまでも集客数の少ないときにも違和感のない最適なスケール感と親近感を如何にして構築するか。最近のホールでは市民参加型の施設ということからか、さほど大きくない規模であることもあるが、客席配置による空間構成と照明計画によって対応している。ワンスロープの中ホール規模を主階席にし、その1/2程度の客席数をバルコニー席に配分、主階席のみの利用時にはバルコニー席部の客席照明を消しクローズするような運用である。確かに音響的な条件からの高い側壁に囲われた主階席ではバルコニー席は見難く、中規模ホールのような雰囲気になる。客席可変機構は技術的には可能であってもコストバランスの中で、その機構を設ける費用があるならば、それを舞台設備等にかけるべきだとの考え方からでもある。しかし、これでは舞台から見た客席の雰囲気を盛り上げるとまではいかない。この簡易的な解決方法として採用されたのが、ブロッキングフェンス。写真のように舞台からのバルコニーの座席への視線を遮るような高さまで、バルコニー席にフェンスを設けるというものである。このフェンス、響き、エコー等の配慮から音響的に透過になるようにリブで作られており、人力で移動式に設置するもの、バルコニー席中通路の手すり壁が伸張するようなイメージでできているものなどが考えられている。

ブロッキングフェンス
ブロッキングフェンス

ホールの規模の話ではコンサートや商業演劇等の興行、合唱、吹奏楽等の全国大会誘致の想定から大型化したいが、市民の自主的な活動による利用では満席にするのが難しい、大きくなれば当然、施設利用料金も高額になり、使い難くなるなどの意見が戦わされる。そこまでの大きな規模でなくても、充実した舞台の有効活用という点では客席可変という考え方もあろうが、大きくなればそれを補う可変の導入に、維持費も含めコストが嵩む、また、その可変を活かすための利用料金設定等の規定も絡んでくる。身の丈あった施設づくり、ある程度の犠牲と妥協も必要かもしれないが、人づくりの施設が活かされるための根本的な課題に机上の空論とならない知恵、工夫を働かせたいものである。(池田 覚記)

海老原信之氏を囲んで

去る11月22日、音響実験用模型製作の回想記事を本ニュースに幾度か※1ご執筆いただいた海老原信之氏を囲んで、日本の住宅建築についての話を伺う機会があった。細工の必要な音響用縮尺模型の製作でお世話になってきたが、氏の本職は数寄屋大工である。日本古来の住宅建築に対する深い造詣からか、内容は「持仏堂」から発生した「仏間」の成立ちに始まり、間仕切壁の無い寝殿造りの時代から「寝室」が生まれるまでの話、また精神的空間としての「(いおり)」といった大きく3つの題についての話であった。中でも「庵」についてのお話は非常に興味深かった。

「庵」というと簡潔には隠者などが住まう、小さく粗末な小屋とされる。氏は、鴨長明が晩年を過ごした方丈の庵(図1)と、足利義政の東求堂同仁斎という二の庵に焦点を当て、お話を進められた。まず、方丈(四畳半)の空間に込められた精神的な意味※2と、「茶禅一味」の精神の下に茶室を四畳半にまで縮小した村田珠光(むらたじゅこう)(珠光真の四畳半:図2)を模範として昇華したものが同仁斎であるということ。このことから、四畳半の源流は珠光にあるということを語っておられた。庵という空間に込められた哲学に触れる思いであった。また、今日「数寄屋」と呼ばれる建築は、珠光の茶室よりさらに規模を縮小した武野紹鴎(たけのじょうおう)の茶室が始まりとみるべきではないかとも話された。「数寄屋」というと千利休やモダニズム建築との関りに関心が行く筆者にとっては新鮮な内容であった。

鴨長明 方丈の庵
図1 鴨長明 方丈の庵(イメージ)
海老原氏のスケッチによる
珠光真の四畳半
図2 珠光真の四畳半

今日語られる日本建築の歴史については、戦後の建築史界をリードしてきた太田博太郎や伊東忠太などの建築史家による重要な研究がある。いずれも過去を生きた人間の好みや生活・文化とともに建築の形態がどのように変容してきたのかを知る上で非常に重要なものである。建築の成立ちとともに、空間の構成に込められた哲学について深く突き詰めてくださった海老原氏のお話を聞いて、その成立ちとともに空間に込められた精神的な意味を学ぶことの重要さを再確認した。(和田竜一記)

※1:本ニュース287号2011年11月290号2012年2月292号2012年4月294号2012年6月

※2維摩ユイマ(釈迦の弟子)が法を説くため、3万超の仏を方丈の間に呼んだが、全員座しても空間に余りが出たという逸話。これに基づき、仏教の考えでは方丈に宇宙が内在すると考えられ、神聖不可侵であるとされている。