No.289

News 12-01(通巻289号)

News

2012年01月25日発行
外観

鳥海山の麓 由利本荘市に文化交流館「カダーレ」オープン

 秋田県南部、鳥海山麓に広がる由利本荘市は日本海に面し、豊かな自然に恵まれた土地である。古くは本荘城の城下町として栄えた歴史や文化の息づく街でもあり、美味しいお米と鳥海山の水により造り酒屋も多い。

 この由利本荘市に昨年末、文化交流館「カダーレ」がオープンした。JR羽後本荘駅から徒歩5分程である。愛称「カダーレ」は全国からの公募で選ばれたもので、秋田の方言で「仲間に入って」という意味の「かだれ」と、「語り合おう」を掛け合わせた名称だそうだ。設計・監理は新居千秋都市建築設計、施工は戸田建設である。

外観
外観
わいわいストリート
わいわいストリート

施設概要

 本施設は大ホール、図書館、公民館の各ゾーンのほか、プラネタリウムや天文台のある自然科学学習ゾーン、わいわいストリート、レストランや物産館などからなる。盛り沢山な機能が詰まった施設だが、どれも以前から由利本荘市にあったものであり、各施設の老朽化に伴いこの文化交流館に集約された。

 わいわいストリートは施設を南北に貫く通路で、各ゾーンを繋いでいる。この通りを歩いていると建物内のであるにも関わらず、街を歩いているのかのような錯覚を感じる愉しさがある。

 館内の壁面はコンクリート打放しで、Pコン(コンクリート打設時の型枠固定用部品)の凹みを利用して照明が埋め込まれている。天井は数種類のパンチングメタルをランダムに配置したデザインである。所々に木製家具が配置され、星のような照明の光とともに館内に温かみのある雰囲気を醸し出している。

平面図
平面図

大ホールの特徴

 大ホールは約1,100席を収容するプロセニアム形式の多目的ホールである。舞台の近さ、見やすさを考慮して視距離をあまり大きくしないという方針のもとで計画され、舞台への親密感のある空間になっている。メインフロアには可変性を持たせるために、固定席ではなく移動観覧席が採用された。移動観覧席というと座り心地や歩行時の揺れが気になるイメージがあるが、本施設では極力揺れを抑えて固定席の使用感に近づけようと、検討・改良が繰り返され、移動席とは思えないしっかりとした造りの段床と椅子が実現された。この移動観覧席は各列が最後列下に積層して収納された後、迫によって床下に収納される仕組みとなっている。更にメインフロア前方のワゴン席を収納して床を舞台と同レベルまで上げると、舞台・客席全体の床がフラットな平土間形式となり、展示会などにも使うことが出来る。また、この施設の大きな特徴に「スーパーボックス」と呼ばれる大空間がある。一直線に配置された大ホール、市民活動室、ギャラリーのそれぞれが可動間仕切り壁で仕切られており、大ホール平土間形式時にそれらの間仕切り壁を全て収納するとこの大空間が出現するのである。規模の大きなイベントに対応出来るため、市内の神社で毎年開催されるお祭りの大名行列を通そうというアイデアもあるようだ。

プラネタリウム
プラネタリウム
大ホール(移動観覧席設置時)
大ホール(移動観覧席設置時)
大ホール(移動観覧席収納時)
大ホール(移動観覧席収納時)

音響計画

 本施設ではこのような複合施設であるがゆえに各室間の遮音性能の確保が課題となった。ホールゾーン周辺に音響的なエキスパンション・ジョイントを設けて固体音の伝搬を遮断した上で、ホールと市民活動室を貫く大開口には、それぞれ遮音タイプの可動間仕切り壁を二重に設置した。さらに、市民活動室、スタジオ、練習室に防振遮音構造を採用することで各室間に高い遮音性能を実現し、同時使用を可能とした。 

 大ホールの室内音響計画では、舞台反射板で構成される舞台と客席空間が出来る限り一体となるような室形状を基本とし、客席空間については主階席とバルコニー席との重なりをなるべく少なく、また、ブロックに分割されたバルコニーの区切り壁ができるだけ有効な反射面となるような形状、段差とした。さらに、舞台から客席へ続く白い立体的な天井を舞台や客席へ豊富に反射音を返す角度の反射面で構成した。側壁他のコンクリート面は前面にランダムリブを設けたり、表面を小叩き仕上げとすることで反射音がきつくなるのを防いだ。側壁上部のリブ背面には客席空間の響きの調整用に可動の吸音カーテンを設置した。大ホールの残響時間は舞台反射板設置時に 1.7秒(500Hz、満席時)である。

スーパーボックス
スーパーボックス
コンサート
コンサート

 大ホールでは、昨年12月23日に仙台フィル+市民合唱団による第九の開館特別演奏会が開催された。この演奏会のために結成された合唱団は小学生からシニア世代まで約170名で構成され、その大半にとって初めての第九であったそうだが、半年間の練習の成果で熱演が繰り広げられた。ホールは明瞭で音量感のある音で満たされ、満席の客席からの大きな拍手に包まれて演奏会が終了した。(箱崎文子記)

シリーズ 古きホール、音響技術を尋ねて

 筆者が日本放送協会、今日のNHKの技術研究所に採用になり、音響の業務に携わったのは1949年の10月である。当時、音響技術はラジオ放送技術の1部門として研究開発が行われていた。 新橋の田村町の一角にJOAK東京放送会館が竣工したのは1931年であり、筆者は当時のスタジオの残響時間計算書を目にしたことがある。 当時のNHKの技術部門では戦前から、また、戦中においてはアジア諸国のスタジオ建設をとおして、ラジオスタジオ建設に関わる経験的な音響技術の資料を集積していた。しかし、終戦から4年たった当時でも、東京大空襲がもたらした惨状、敗戦の衝撃は大きく、復興の兆しがやっと見え始めた状況であった。筆者が音響関係のグループに配属になったのは、NHKとして全国ラジオ放送網の整備を急ピッチで進めていたからであった。

 入所したばかりの筆者には知る由もなかったが、当時、NHKでは次世代の放送メディアとしてのテレビジョンを目指して、全組織をあげての対応が検討されていた。1951年6月には、放送技術研究所にも大改革が行われ、テレビジョン、電子管、無線、音響の4研究部と試作部の5部門が組織された。音響研究部には音響機器、録音、低周波回路、建築音響、音響効果、音響材料という6研究室が設置され、わが国で初めて、放送音響技術を網羅する研究体勢が整備された。

 テレビジョンの本放送が開始されたのは2年後の1953年2月である。テレビジョンの登場はこれまで音声が主役であつた放送界に映像という新しいメディアの誕生を告げる革新的な出来事であった。白黒の映像で誕生したばかりのテレビの画質はひどい状態であったが、その後の半世紀にわたる技術革新により、画質は飛躍的な向上を続けている。

 翻って音響界をみると、音盤レコードはSPからLPへ、磁気テープ、さらにCD、メモリーチップ、カードと変革を繰り返しながら今日に至っている。その原動力はデジタル信号処理といえるであろう。音声信号の記録はマッチ棒の先よりも小さいチップで可能となった。デジタル技術が音響界にもたらしたのは小型可、軽量化であった。しかし、音の入口、出口にあたるマイクロホン、スピーカは依然として、誕生時の面影をとどめている。

 デジタル技術全盛の中で失われた部門もある。LP時代に最盛期といわれたオーデイオ文化、レコード文化は片隅に追いやられた感じである。人の声の質への関心は薄れ、情報としてでしか捉えられなくなった。最先端の技術の集積である携帯電話の音声からは、話し手を特定することすらできなくなった。

 地上デジタル放送の登場で、テレビの画質は格段と向上し、さらに、高細精度を指向した開発が進められている。たしかに、映像からの情報は音声に比べると遙かに大きく、インパクトも大きい。音への関心は音声情報として関心が主流となり、NHKでも再生音についての関心は多チャンネルによるヴァーチャル空間の再生であり、音の美しさ、深さなどとは異なる方向へ向かっている。

 ところが、音の美しさ、心地良さが何よりの条件として求められる世界がある、それはホールの音響効果である。音響効果に関連する室内音場の仕組みの概要が明らかとなり、研究成果がホールの音響設計に導入されるようになったのは1970年代の後半である。

 建築に関係する音響部門として、室内音響のほかに、騒音防止と電気音響がある。音響研究部では設立当初より、心地よい音環境の実現を目指して、建築設計、施工の流れの中での音響設計手法の浸透を検討してきた。これが確立したのが1961年、東京上野に竣工した東京文化会館の音響設計である。この会館のオープンを契機として、わが国はバブル経済の追い風もあって、各地で文化施設の建設ブームが始まる。 しかし、NHK技術研究所音響研究部は1970年6月、20年にわたる活動の幕を閉じた。

 筆者が関係した建築音響という分野は音響の一部門でしかない。しかし、その目指すとところは、’静けさ、よい音、よい響き’という音環境の理想であり、感性に関わる部門である。これは人間生活の課題であり、永遠の研究課題である。

 3年ほど前、旧音響研究部有志で20年間にわたる音響研究部の研究論文、技術資料を整理し印刷物として取りまとめた。今回このシリーズを思い立ったのは、約半世紀に及んだ音と響きとの付き合いのなかで、消えてしまったホール、忘れられてしまった音響技術を掘り起こしてみたかったからである。音響設計部門の中のコンサートホールの設計手法の検討は一段落した感がある。しかし、今後のクラシック音楽の行方、舞台芸術の将来を考えると音と建築との関係は単純ではない。今後の新分野の開拓にあたって、先人等らの知恵と汗が何らかの参考になればという思いでこのシリーズに取り組んだ次第である。次号では、戦後まもなく東京銀座に誕生した山葉ホールを紹介したい。(永田穂記)

JATET FORUM 2011:東日本大震災による劇場・ホール被災調査報告

 2011年12月15日(木)に池袋の”あうるすぽっと”で280名の参加者を得てJATET FORUM 2011を開催した。このフォーラムは、(公社)劇場演出空間技術協会とあうるすぽっと、豊島区の主催で、(社)全国公立文化施設協会との共催である。被災した劇場・ホールと舞台設備の調査結果、運営管理者の体験などをとりまとめ、今後の防災と安全確保に資することを主眼とした。実行委員長は日本大学の本杉省三教授、300頁にもなる報告資料集の編集主幹は東京都市大学の勝又英明教授が務められた。筆者は震災直前にSCアライアンスの八幡泰彦氏から音響部会長を引き継いだばかりだったが、所属する各社と舞台音響設備の被害状況をとりまとめ、調査結果を第二部で報告した。

 JATET Forum 2011
JATET Forum 2011

 第一部では、建築的な被害の調査結果とホール管理者による震災時の対応、その後の復旧状況などホール災害の実態について報告があった。卒業式の最中に地震が起き、2,000人近い参加者が屋外に避難した直後に天井が落下した仙台サンプラザホールは、管理運営者の的確な判断が功を奏した例である。同ホールは復旧工事を迅速に進め、7月には運用が再開されている。しかし、宮城県内の44館の内いまだ15%のホールが再開未定であるそうだ。また、被災地の公共ホール855館に対してアンケート調査が実施され、関東の一部のホールと津波による被害を除けば、人的被害がなかったことが明らかとなっている。

 第二部ではJATET技術委員会の機構、照明、音響の三部会から舞台設備の調査結果を報告した。被害が認められた施設数/調査施設数は舞台機構設備が227/758件、舞台照明設備が77/940件、舞台音響設備が67/552件となっている。やはり、カウンターウェイトや迫り機構などの重量物を含む舞台機構設備の被害率が比較的高い。音響設備の被害で多かったのはスピーカ類、次に三点吊りマイクロホン関係、移動型機材という順になっている。ホールのスピーカは天井材に接触させず、吊り下地の金具も躯体から取り独立性を保ち、そのほとんどが鋼製ワイヤーで吊られている。振れ止めのワイヤーも必ず付けるのであるが、これは細めでもあり切れたり外れたりしている例が多かった。今回、ホールでは落下したスピーカはないと聞いている。

 第三部では被災から修復・復興へと題して本杉先生を中心に自治体の文化施設担当者、現場の管理運営者らによる総括的な討議が行われた。報告資料集にはこれらの詳細に加えて、多くの劇場・ホール関係者、関連企業から寄せられた報告、個人的な体験談まで豊富に収録されているので、ぜひご覧になっていただきたい。(稲生 眞記)

公益社団法人 劇場演出空間技術協会(JATET):http://www.jatet.or.jp/