マールボロ音楽祭 ―音響改修―
マールボロ音楽祭は、毎年6月終わりから8月中旬までの約7週間、アメリカの北東部バーモント州(ボストンから西に車で約3時間)の片田舎で、マールボロ・カレッジという学校の施設を夏の期間だけ借りて開催される音楽教育フェスティバルである。1951年にピアノの巨匠ルドルフ・ゼルキン氏らによって始められ、今年で55年目を迎えた。1991年にゼルキン氏が他界した後は、複数の芸術監督が招かれ、2000年以降はピアニストの内田光子さんとリチャード・グード氏が芸術監督を務めて現在に至っている。
音楽祭では、オーディションを通して集まってくる20-30歳代の約50名の若者達とシニアと呼ばれる20名前後の著名音楽家によって、色々な編成の室内楽アンサンブルが組織され、そのリハーサルとコンサートを通じてお互いに切磋琢磨する。若者の在籍は最長3年と定められており、約1/3のメンバーが毎年入れ替わっていく。7週間もの長丁場であるが、その期間中はシニアを含めて全員が合宿状態で文字通り寝食を共にする。平日は終日リハーサルが行われ、毎週末にその成果を発表する形でコンサートが行われる。片田舎でのコンサートであるが、一体どこから人が集まってくるのかと思うほど、約500席のホールが毎回、ほぼ満席となる盛況である。大した宣伝も行われていないし、コンサートのプログラムも1週間前になって発表されるだけである。ほとんどの聴衆はプログラムも知らないでチケットを購入しているのである。集まって来る人の多さが、この音楽祭の歴史の長さとコンサートの充実した内容を証明している。
音楽祭の事務局からホール(平土間形式、約500席)の音響を改修したいとの依頼があり、永田音響設計のUS事務所でこれを担当した。改修における着目点を以下に示す。
- ステージ上の各楽器の音響的なバランスが悪い。特にピアノを含む室内楽の時。
- 満席時と空席時の差が大き過ぎる。
検討の結果、改修はステージ周りを中心に行うことにした。音楽ホールとしての利用が夏の間だけに限られ、その他の期間はカレッジの体育施設として使用されることから、ホール全体に関わる改修は現実的ではなかった。もちろん、改修予算との兼ね合いもあった。具体的には、(1)ステージ上に架けられた巨大な音響反射板を撤去してホール全体の空間を音響的にもっと上手く利用するようにしたこと、(2)ステージ背後の壁面に浅い庇状の反射板を新たに設けて演奏者への反射音のはね返りを確保したこと、の2点である(改修前後の写真参照)。(豊田泰久記)
Acoustic Renovation around Stage
内田光子さん(芸術監督)に聞く
マールボロ音楽祭について、そして今回の音響改修について、芸術監督の内田光子さんに電話インタビューにて語っていただいた。
マールボロ音楽祭との関わりについて
この音楽祭が始まって以来、伝統的にずっと続いている大きな特徴は、室内楽を通じた音楽教育ということです。私自身、若い頃に初めて参加した時は、自分の中に室内楽という環境が無かったですので、正直なところ面食らいました。ずっと後になってからですが、音楽祭の理事会から指導者としての参加を要請されて、今度はシニアとして、そして芸術監督として参加するようになりました。ゼルキンさん達によって創設されたマールボロというユニークな音楽祭は、室内楽を通してそして毎日とことんまでやるリハーサルを通じて、音楽というものを突き詰めることのできる場です。今の私の立場でも、毎年、学ぶことはたくさんあります。
今回の音響改修結果について
ステージ上で聞いた印象としては、以前に比べて音に空間的な拡がりを感じます。音が自由に空間を動ける感じといえばいいでしょうか。今までは、音が目の前だけで詰まって聞こえる印象でした。客席では、各楽器のバランスが本当に良くなりました。以前は、例えばピアノだけが大きく聞こえて、弦楽器、特にヴィオラなどがまるで聞こえないということが起こっていましたが、今は各楽器がバランス良く聞こえます。
ステージ上での多くの経験を積んでいるという点から、若い人達に音楽を教える立場のシニアの人達の意見が重要だと思いますが、昔からずっとこのフェスティバルで教え続けている数人のコアメンバーの意見は特に重要です。私が皆の意見を聞いたところでは、ほとんどのコアメンバーが今回の音響改修結果についてとても肯定的です。若い人達は未だステージ上での演奏経験も少なくて、各楽器のバランスについても色んなことが起こります。これまでは演奏の方が悪いのかそれともホールの音響の方が悪いのか、よく分からなかった。でもこれからは、ホールの音響を信じてバランスを取ることができます。
コンサートホールの音響
一般的なコンサートホールの音響ということで言えば、ホールの音響というのは、その都市その街の音楽というものにとても深く関わっていると思います。例えば、ウィーン・フィルの音というのは、ウィーンのムジーク・フェラインス・ザールというホールがあってこそのものだと思いますし、アムステルダムのコンセルトヘボウの音も、あのホール無くしては語れないと思います。そういう意味で、ホールの音響が音楽家や音楽そのものに与える影響というのは、計り知れないものがあります。
マールボロ音楽祭のホールが今回改善されて、音響的なバランスの良い新しいものになったということは、今後マールボロで育っていく人達にとってその可能性が大きく広がったということです。お互いの音楽を聞き合うことを、そしてその重要さをホールから学べる環境になったと言えると思います。これからがとても楽しみです。(以上、内田光子さんとの電話インタビューを豊田が文章として取りまとめたものです。文責:豊田泰久)
遮音設計シリーズ その1 ―最初が肝心!―
1970年代に起きた「ピアノ殺人事件」は皆さんの記憶にまだあるだろうか。私もその頃の子供の一人だが、子供のピアノレッスンが流行った頃、同時にマンション・アパートという集合住宅も増加してきた。床スラブ一枚を挟んだ下の家から聞こえてくるピアノの音が殺人を招いた悲劇である。外から聞こえてくる道路交通騒音がうるさくて眠れない、隣の教室からの音がうるさくて先生の声が聞こえない、ロックバンドの練習音が隣の室から聞こえてきて会議の妨げになる等々、遮音に関することは誰もが身の周りに体験し、いろいろな状況において“うるさい”、“気にならない”など判断をしている。遮音というのは、たいへん身近な話題なのである。
最近、ホール施設の改修計画が昨今の経済事情からか多くなってきているが、改修内容のひとつとして大・小ホール間や練習室とホール間の遮音性能を向上させたい、といった遮音性能についての改修希望がある。それらはホール開館当時にあまり普及していなかった電気楽器を使用したロックバンド練習の増加や、ホールの活発な利用で大・小ホールの同時使用が頻繁に生じるようになった等、時代による施設の利用状況の変化に伴うところも大きい。しかし、今さらホールと練習室の配置を変えることも、大・小ホールが一体となっている建物の構造を二つに切り離すことも難しく、遮音性能を向上するのは容易ではない。しばしば本紙の施設紹介で高い遮音性能を確保するために採用されている浮構造と呼ばれる防振遮音構造も、現状の室の中に採用した場合、室はひとまわり狭くなり、床も廊下より一段高くなるなど使い勝手が悪くなる。また建物の荷重条件の問題から、例えばコンクリートの浮床が設けられない場合もある。
つまるところ遮音の計画については、“最初が肝心”だと言うことである。内装の裏側にある遮音層は、内装のように目に触れるものではないが、大きな費用がかかるものである。計画当初からの敷地の選定や、室の配置等を考えることによって、この費用を削減できることもある。また、遮音性能の限度を知ることによって、無用なトラブルを生じる運用や建物計画そのものを避けることもできる。遮音を考える場合には、基本的に質量の大きい壁・床で遮音層を構成するのが有利である。鉄筋コンクリート造がふさわしいのか、それとも鉄骨造がふさわしいのか、といった建物の構造を考える上でも、遮音計画も含めたトータルな観点で検討していくことが必要だと考える。音響計画が早期からプロジェクトに参画すればするほど、メリットが大きいのである。
そこで、本号より数回にわけて『遮音設計シリーズ』というテーマで、遮音設計に係わる基本的な内容を紹介していきたい。まず本号では、シリーズを始めるにあたり遮音の話題でよく出てくる事柄について若干述べてみたい。
遮音と吸音
遮音性能を向上させる場合、遮音と吸音をバランス良く行うことが必要であるが、遮音と吸音は異なるものであり混同してはならない。基本的に遮音は音をはね返すことでその場の音エネルギーを他へ逃がさないことであり、一方で吸音は音を熱エネルギーに変換したり他へ逃がしたりすることによって、その場の音エネルギーを減少させることである。音響材料として頻繁に登場するグラスウールは吸音材としては優秀であるが、通気性が大きく質量も軽いため遮音材料としての効果は少ない。コンクリートや石膏ボードは、反射性材料であり吸音性能は見込めないが、遮音材料としてはよく使われる。基本的に遮音性能を確保する場合には、質量のある反射性材料を使用することが必要である。ただし遮音材料で作られた壁を設置した上で、さらに透過してきた音エネルギーを減少させるために受音室を吸音処理することは有効であり、また空調機械室等の騒音源が設置される室を吸音処理することによって機械室内の音圧レベルを下げることは、結果として透過してくる音圧レベルが下がることに繋がるので騒音防止の観点から重要である。“防音”もよく耳にする言葉であるが、これは遮音・吸音・防振などを複合的に用いて文字どおり音を防ぐ意味で使われる。
数字が大きいほど遮音性能は良い
“練習室とホール間の遮音性能は70dB”等の表現が、本紙の施設紹介でしばしば出てくる。遮音性能は音源を設置した「音源室の音圧レベルA(dB)」と、その音が透過してきている「受音室での音圧レベルB(dB) 」の差A-B(dB)で表される。この場合には壁など部材単体の性能を示しているのではなく、床や天井からの伝搬や室の吸音の状態等も含んだ総合的な室間の遮音性能を示している。数字が大きいほど遮音性能は良い。遮音性能は相対値なので、例えば練習室とホール間の遮音性能が70dBという場合、練習室での発生音圧レベルが100dBであればホールに透過してくる音圧レベルは100-70で30dBであるが、発生音が120dBに大きくなれば透過してくる音圧レベルも大きくなって50dBになる。受音室に透過する音の大きさは、音源室で発生する音の大きさによって相対的に変わる。
壁厚2倊で遮音性能は約5dBのアップ
基本的に遮音材料の性能は面密度(単位面積あたりの重量)で決まる。面密度が大きい(重たい)材料ほど遮音性能は高い。これを質量則(mass law)と呼ぶ。遮音を考える上では重さがまず勝負なのである。面密度増加による遮音性能向上の割合は、面密度が倊になるに従い約5dBアップする。一般的なコンクリート150mmの遮音性能は約50dB(中音域)であるが、その厚さが2倊の300mmになると遮音性能は約5dBアップする。しかしコンクリート300mmの遮音性能をさらに5dB向上させるには、厚さをさらに2倊の600mmにする必要があるわけで、求められる遮音性能が高くなると面密度を増すだけで、その性能を実現するのは非現実的となる。そこで廊下を挟んで壁を2重に設けたり、浮構造とかBox in Boxと呼ばれる特別な防振遮音構造を採用したりすることになる。
さて“シリーズその1”はこのあたりで終わりとなるが、望ましい音環境を得るために、これからの遮音設計シリーズがその一助となればうれしい。(石渡智秋記)
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