No.147

News 00-03(通巻147号)

News

2000年03月25日発行
大社文化プレイスの外観

大社文化プレイスの誕生

 出雲大社で有名な、古くからの歴史を持つ島根県の大社町に、“大社文化プレイス”が昨年10月23日誕生した。このプロジェクトは、’93年に指名コンペで伊東豊雄建築設計事務所が選出されスタートした。ホールの上に円形の屋外劇場を載せたコンペ当選案をご覧になった方も多いと思う。阿国歌舞伎発祥の地ということもあり、コンペ時のホールは歌舞伎が催される劇場として計画され、バルコニーには桟敷席まで設けられていた。その後プロジェクトは新町長への引継と内容の再検討により一時中断、’95年にホールはもっと一般的で町民みんなが使用できる多目的ホールに内容を変え、小ホール・図書館を併設という新たなプログラムで再出発した。コンペ当初からは7年を待っての竣工となった。 施設には、“だんだんホール”(「だんだん」は地元でありがとうを意味する)と“ごえんホール”の2つのホール、“でんでんむし”と名付けられた図書館がある。これらは共通ロビーを介して同じ棟内に、大きなひとつの曲面屋根の中に納められて平置きに配置されている。共通ロビーとそれにつながる“ラウンジうらうら”、“だんだんホール”に平行して配置された“だんだんテラス”、そして“だんだんホール”の床は、すべて同じデッキ材のフローリングが繋がっており、広々とした空間を演出している。また、フライタワーを持つ多目的ホールの床レベルを地下に設定し、地表上に表れる高さを低く抑えてあるため、周囲に圧迫感を与えない穏やかな印象の建物となっている。

大社文化プレイスの外観
だんだんホール

“だんだんホール”は音響反射板を備えたワンスロープ形式の多目的ホールで、600席仕様と438席仕様【プロセニアム開口部分を天井音響反射板で閉鎖し前舞台を使用する(劇場コンサルタントの日本大学本杉教授の提案)】が選択できる。このホールでは、設計側からホールが閉ざされた空間とならないように、ホール側面にガラスを使用して外光を取り入れたいという提案があった。遮音や遮光の問題、室内音響上の音の反射特性や演奏者の感じるイメージ等、様々な要件を検討の上、最終的には大きなガラス面を設けることは避け、屏風状に折れ曲がった側壁のうち、舞台から見えない面にガラスを使用した。ガラスは厚さの異なる8mm厚と10mm厚の2重仕様、ガラス間の空気層は300mm以上確保し、内部の枠には吸音を施した。このガラス部分においても、一般的なコンクリート壁1枚程度と同等の遮音性能を確保することができた。また、このホールの後壁には音響調整用のカーテンを設けた。残響時間はいずれも500Hzの満席推定値で、600席仕様(室容積6,400m3)反射板設置時:1.6秒(カーテン収納)、舞台幕設置時:1.1秒(カーテン設置)、438席仕様(室容積5,400m3)1.5秒(カーテン収納)である。ゆったりとした容積を確保したことから、客席数の割にはある程度大きな編成のオーケストラ演奏等にも、余裕を持って対応できる音響状態となっている。

 平土間の“ごえんホール”は、音楽や演劇の練習・公演、結婚披露宴等の宴会から親子体操教室まで、いろいろな用途に使用される小空間である。ホール形式時には200席程度の移動椅子が設置できる。このホールは設計当初、平面形状が円形であり、今でも外壁に円形がそのまま残されている。円形は音の反射において焦点ができることから不自然な響きとなり、練習や公演で音響的な障害が生じることもあるので、音響上は避けたい形状である(本ニュースに特集を組む予定である)。そこでコンピュータシミュレーションを用い、いくつものスタディを重ね、障害が起きないような対策を設計側と相談しながら進めた。最終的には、室の前後にあたる部分に大きなフラットな壁を建て、さらに後壁にあたる壁は上に向かって外倒れの傾斜をつけた。また、前後の壁の間に残った円形状の側壁部分はパンチングメタルで音響的に透過なものとし、グラスウールを背後に設置した吸音構造を分散配置した。天井にも有孔板+グラスウールの吸音を分散配置した。結果としては、音の集中や不自然な響きを感じることはなく、素直で良好な響きが実現できた。

施設の配置図

 2つのホールとも、ホールの区画となる側壁は乾式工法(PC板)で施工された。一つの大きな曲面屋根に対して、PC板の側壁が立ち上がるので、PC板一枚ずつの寸法が異なる等、現場の対応は大変だったようだ。また、PC板同士、PC板と屋根スラブ・床スラブとのジョイント部において、遮音上隙間を埋めるのも手間のかかる作業であった。隙間は、鉛シートとロックウールでの多重貼りや、モルタル詰め、シール等で処理を行った。

 開館記念に行われた広島交響楽団のコンサートでは、大社町出身のバリトン歌手福島明也氏をはじめとして地元出身の声楽家が多数出演された。演奏者の方々の評判も良好であった。また、大社町は学生のブラスバンドや合唱が盛んで、毎年のように全国大会にも出場しているとのこと。それらの練習にもホールを有効に利用していきたいとの話である。

 合唱やブラスバンドの音楽関係をはじめ、阿国歌舞伎等、今まで大社町に根ざしていたものがホール開館を機にさらに発展すれば、携わった者としてうれしい限りである。(石渡智秋記)
(大社文化プレイス:TEL 0853-53-6500 http://www.dandan.gr.jp/~place/index.html)

開館5周年を迎える棚倉町「倉美館」

 棚倉町は福島県南東部に位置する人口16,500人の、山間に田園が広がる緑豊かな町である。その棚倉町に倉美館(くらびかん:棚倉町文化センター)がオープンしたのは5年前の1995年11月(NEWS 通巻96号1995年12月に紹介)、スポーツ体験型のリゾート施設「ルネッサンス棚倉」に隣接して建てられた。設計は棚倉町出身の建築家、古市徹雄氏で、敷地の高低差を上手く利用した建物配置と斬新なデザインが一際目を引く。ホールホワイエからは茨城県との県境にそびえる八溝連峰を遠くに望むことができ、その眺望は素晴らしい。とくに時々刻々と変わっていく夕焼けは見ていて時間を忘れてしまうほどに美しく、遠方から訪れた演奏者にも評判で、夕焼け見たさで再度コンサートに訪れる方もいるという話も聞いている。

 倉美館の中心施設であるホールは、客席数606席、天井高が高くクラシック音楽を志向した多目的ホールである。開館以来、その特性を活かしたクラシックコンサートをはじめ各種催し物が行われており、その企画・運営に町の方々がボランティアとして積極的に参加されているという情報を、設計者の古市氏からいただいた。そこで早速お話を伺いにお邪魔した。棚倉町教育委員会生涯学習課の鈴木課長、同課長補佐の須藤氏(文化センター係長兼務)、運営協会の宗田会長、小河原音楽部会チーフの4名に企画・運営についてお話を伺った。運営協会というのが、ボランティアでホール主催公演の企画・運営を行っている団体名称である。会長の宗田氏は地元の古くからの造り酒屋のご主人、小河原氏はかつて町の有力産業であった林業に関係して代々材木屋さんを営んでいる方である。運営協会は現在63名、町の広報で募集したということで、音楽、演劇、映画、古典芸能の4つの部会から構成されている。活動は、企画、チケット作成、公演当日のホール運営と幅広い。初期の頃はチケットを買ってもらうために訪問販売までも行っていたとのこと、今では電話での購入が定着し、人気の公演は発売当日で売り切れになるということである。運営協会主催の公演回数は年24~25公演で、そのうち映画がほぼ半数を占める。映画は原則として無料であるが、最近始めたロードショーは有料である。それにも関わらず、ロードショーの方が集客はいいということであった。というのも町の映画館が廃館になった後は映画を見るには郡山まで行かなくてはならず、若者ならいざ知らず歳を召された方たちにとっては面倒なことだったからで、倉美館での映画上映によって映画鑑賞の機会が増えたと喜ばれているようである。

 ホールではホール主催の自主事業の他に、町内の小中学校生を対象に教育委員会主催事業や県立高校の芸術鑑賞教室も開催されている。隣接するルネッサンス棚倉は450名の宿泊が可能なために、春にはオリエンテーションに訪れる高校や大学が多いのだが、その鑑賞教室や集会が倉美館で催されるため4月はほぼ毎日予定が入っている状態だ。これらを併せて1年間の公演数は160公演、稼働率は54~55%である。

 オリエンテーションに見られるように、ルネッサンス棚倉との連携は倉美館にとって他のホールには見られない大きな特徴である。宿泊施設が近いというのはもちろんだが、さらに本格的なクアハウスが完備されているのも魅力である。高速道路を使えば都心からは3時間あまり、団体の移動も容易なため、倉美館のコンサート会場としての利点を活かした音楽合宿には最適な場所である。館の方たちも是非にと話されていた。

 町からの補助金は年間1,500万円(初年度と4年目はメセナ事業費として+1,000万円)で、総事業費としてはチケット収入と併せて4,000万円を計上している。この予算の中で年間24~25本の公演を行っている訳である。メセナ事業との提携であれば大型の公演も比較的安価で行えるため、より多くの公演が可能となる。このような特典の多い公演、町の方々が望む公演など、運営協会の方々は毎年楽しみながら企画されているように見受けられた。年間のホールの経費は、維持管理費、人件費(職員は5名)、自主事業費等合計で1億円、これは町の予算の中では結構大きな金額である。しかし、自分たちのホールを活かしていこうという意気込みと、5年間の実績に基づいた自信が、お話を伺っていて伝わってきた。今後も陰ながら活動を見守っていきたい。(福地智子記)
(倉美館・棚倉町文化センター:TEL 0247-33-0111 FAX 0247-33-9611)

「日本舞台音響家協会」が発足

 ホールや劇場、あるいはツアーコンサートなどの現場で活躍する音響オペレータを中心とした組織は「日本演劇音響効果家協会」と「日本PA技術者協議会」がすでに20年以上にわたり着実な活動をしてきた。当時は職分を明確にするという意図で別個に発足したようだが、舞台音響に関わる業務という点は共通しており、事実、両組織は発足後、協力関係を深め今日に至っている。このような状況のなかで統合に向けての関係者の努力が実り、新たなる出発にふさわしい2000年1月1日に「日本舞台音響家協会」が設立され、13日にそのお披露目があった。新しい組織でさらなる発展を期待したい。(中村秀夫記)

高根一康氏の急逝を悼む

 3月3日、イーブイアイオーディオジャパン代表取締役社長 高根一康氏が出張先の米国で急病のため亡くなられた。一ヶ月ほど前にいつものようにお元気な高根さんにお会いしたばかりで今も信じられない思いである。高根さんは20年ほど前に新たに設立された㈱エレクトロボイスジャパンの代表取締役に就任され、その後マークフォーオーディオジャパン、イーブイアイオーディオジャパンと社名が変わったが、一貫してエレクトロボイス、アルテックの両スピーカブランドを中心とした海外の業務用音響機器の輸入、販売を手がけられ、この世界で確固たる地位を築かれた。長身で英語を流暢に話され、また、温厚なお人柄から国内外に多くの友人をお持ちだった。57年の人生を、ご家族から遠く離れた地で、このようなかたちで終わることになった高根さんの無念を思うと言葉もない。ご冥福を祈るとともに、ご家族のこれからの幸せと、高根さんが命をかけて育てられた会社がこの悲しみを乗り越えてさらに発展されることを願うばかりである。(中村秀夫記)

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