No.088

News 95-4(通巻88号)

News

1995年04月15日発行
紀尾井ホールの内観

紀尾井ホールのオープンいざ、桜の園へ

 桜花らんまんの季節、四ッ谷駅からホテルニューオータニに向かう江戸城外堀の土手にも桜が咲き誇る。この桜並木がコンサートの始まるプロローグであるかのように紀尾井ホールに導き、期待と緊張が入り混じる複雑な心境の中でホールへと入っていく。

紀尾井ホールの内観

 紀尾井ホールとこのホールのレジデンスオーケストラである紀尾井シンフォニエッタ東京のデビューコンサートが4月2日に行われ、800席のホールはほぼ満席に近い状態だった。既に新聞や雑誌で音楽評が載せられているので御存じの方も多いと思うが、このオーケストラは尾高忠明氏を首席指揮者に、原田幸一郎氏、澤和樹氏をリーダーとした国内のソリストあるいは既存オーケストラのトップ奏者などにより結成された、紀尾井ホールを本拠地としたレジデンスオーケストラである。年間5プログラム10回のコンサートが予定され、それに伴うリハーサル(1プログラムに対し4~5日間)をすべてホールで行うという条件になっている。筆者はこれまでにコンサートを2回とリハーサルを何度か聴いたが、回を重ねる毎に奏者たちがこの新しいホールの響きの質を捉え、音を美しく響かせていく様子が如実に分かり驚かされた。このオーケストラを聴く限りでは、ホールは低音が重厚で弦が快く響くといった印象だが、誕生したばかりのホールで既にこのレベルの演奏が聴けるということで、今後ホールとオーケストラが一体となって、さらに磨き上げられた演奏を聴かせてもらえることが十分期待できる。

 今現在、定期演奏会の定期会員を募集しているが、いずれこのコンサートの人気が高まりチケットがなかなか手に入らないという状況になることが予想されるので、一度聴いてみたいとお思いの方は今のうちに会員になられることをお勧めする。

 このホールの音響性能として残響時間の測定結果を次ページ図−1に示す。
 もう一つの紀尾井小ホールは、250席の邦楽専用ホールでコンサートホールの上部に位置し上下に重なっている。

 邦楽ホールの良い音響条件については音響設計の立場でも明確に捉えきれておらず、計画段階から著名な邦楽の先生方に直接御会いしたり、また、NHKアートの方々のご協力によりアンケート調査をし、設計の参考にさせていただいた。人間国宝クラスの方々にアンケート回答をしていただくなどという大胆不敵な行為にもかかわらず、有り難いことに皆様懇切丁寧に御意見を記していただき大変参考になった。

図-2 小ホールの残響時間周波数特性
図-1 中ホールの残響時間周波数特性

 これまでの邦楽のイメージとしては、木造建築の中で生れ育ってきた音楽であるから室内の響きは抑えたほうが良いと考えがちだが、お話を伺うとある程度の長い響きを好まれる方が多く、演奏者に対する音の返り方についても西洋音楽の演奏者以上にかなり細かな要望が出された。また、これまで演奏会を開いたホールで音響的に好ましいホールを挙げていただき、それらのホールの音響特性などを調査したところホールの規模にあまり関わりなく、多くのホールで残響時間が1秒前後であることも分かった。この結果を参考にし、紀尾井小ホールの残響時間は1秒程度に近付けることを目標とした。竣工後の残響時間測定値を図−2に示す。

 小ホールのオープンは5月9日でこれからだが、これまでに数回試奏会がおこなわれた。多くの邦楽の先生方や弟子の方々に演奏していただき、舞台側壁に設けた音響調整用の吸音材の調整であるとか、演者の背後に立てる金屏風の位置、演奏者の位置や高さ、所作台の有り無しなど舞台上の条件を変えては試聴を繰り返した。これらにより演奏者にとってのベストの条件が見出され、また客席で聴く音もいろいろと変わることを確認した。

 5月9日以降にこの小ホールの柿落とし公演がシリーズで行われる。演奏者は計画段階から御意見を頂戴した先生方を含め第一線で活躍されている方ばかりで、かなり充実した内容になっている。ただし、公演によっては完売しているものもあり、人気の程が分かる。

 また、この紀尾井ホールのオープニングに合わせて記念誌「いざ、桜の園へ」(\2,500、ホールホワイエにて販売)が出版された。巻頭に「鳴り響くしじま」と題する大岡信氏の小文が載せられているが、短いながら感動的な文章である。
 全体が3章で構成されていて、第1章“紀尾井ホール誕生”ではホール創りの経緯の説明や、新日鉄コンサートの40年の歴史について富永壮彦氏が解説している。第2章“紀尾井の音”では、このホールの計画に関わった音楽家やオープニングシリーズで演奏される音楽家の方々のインタビューが幼少あるいは若い頃の写真と共に載せられており、それぞれ個性的な内容で興味深い。また、「音楽の恵み」というテーマで中村勘九郎氏や高村薫氏といった著名人が文章を寄せられているが、いずれも心に残る名文である。第3章“紀尾井のかたち”では我々の携わったハードの部分について解説していただいている。

 紀尾井ホールのオープニングシリーズは今年の6月いっぱいまで予定されている。また、9月からは一般の貸し出しも行われ、これからいろいろなコンサートが開催されることになるであろう。是非、四ッ谷まで足を運んで紀尾井の音を聴いていただき、かなり充実した内容で読み応えのあるオープニング記念誌も一読されることをお勧めする。

 紀尾井ホールチケットセンター  03-3237-0061(小野 朗 記)

ロンドンのコンサートから

 前号で報告したグラインドボーンの新オペラハウスのオープンを契機とした室内音響のシンポジウム終了後、ロンドンで二つのコンサートを聴くことができた。ロンドンは東京と同様、毎日数多くのコンサートやオペラの公演が行われており、どれを選択するか迷うほどである。聴いたコンサートは、ロイヤル・フェスティバルホールのフィルハーモニア管弦楽団によるコンサート(ベートーヴェン / ピアノ協奏曲No.1+ ショスタコーヴィチ / 交響曲No.15、指揮:クルト・ザンデルリンク、ピアノ:内田光子)とウィグモアホールのオーストラリア弦楽四重奏団によるコンサート(ハイドン / 弦楽四重奏曲No.3+ラヴェル / 弦楽四重奏曲+ベートーヴェン / 弦楽四重奏曲No.2)である。

 ロイヤル・フェスティバルホールは15年程前に聴いて以来であったが、音響的な印象は以前とあまり変わらなかった。すなわち、比較的ドライでホールが“響く”あるいは“鳴る”という印象に乏しく、ステージの音が遠くに感じた。特にわが国の最近のコンサート専用ホールに慣れた耳には以前にも増してその傾向が強く感じられた。その代わり音のきれいさは抜群であり、透明で美しい音が大変印象的であった。もっともこれはオーケストラのアンサンブルの良さによるものであったかもしれない。このホールは、1951年のオープン時に低音域の残響が不足していることが明らかになり、電気音響的な残響音付加装置(Assisted Resonance System)の導入が内密に進められ、その成果がある程度確認された後で公表されたことで有名である。もともとの残響は短いが電気的に付加された響きも比較的ひかえめであることから聴いていて不自然な感じは全くない。この装置の存在を知らない人は全く気が付かないであろう。ところで、この装置も稼働し始めてからすでに30年以上も経って老朽化していることから、ホールでは現在、新しい装置に取り替えることが検討されているそうである。

 二日目はウィグモアホールという室内楽用ホールでのコンサートを聴いた。地下鉄のボンドストリート駅に近いダウンタウンにあるこじんまりとした小ホール(約500席)で、ロンドンではソリストや室内楽の登竜門として著名なホールである。何人かの音楽関係者や演奏者からこのホールの音響の良さを聞いており、いつかは訪れてみたいと思っていたホールである。比較的古い、歴史を感じさせる内装で、天井や壁は基本的には(少なくとも見た目には)石が用いられている。写真でみられるように天井は凹面形状で、音響的には焦点を結ぶため良くないとされているものである。これらの欠点を補うためかどうか、床は全面カーペット敷で、客席椅子も全面をクロスでくるんだ吸音性の高いタイプのものであった。実際のコンサートでは音響的な問題は全く感じられず、むしろ室内楽ホールとして素晴らしい響きというのが強く印象に残っている。やや長めの豊かな響きを有しており、しかもその響きが大変柔らかい。ロンドンのホールはこれまで音響の良さの点で今一つのイメージがあったが、このホールに関する限りはこのことは全く当てはまらない。オーストラリア弦楽四重奏団というのはあまり馴染みのない団体であるが、そのアンサンブルのレベルは大変高いもので素晴らしいコンサートであった。知名度の低さのためか当日の雨天のためか、客の入りが悪かったのが大変残念であった。古いホールということもあろうが、地下鉄の音と雨の音がわずかではあるが聞こえたのはちょっと気になった。

ウィグモアホール

 コンサートのチケットの値段は、ロイヤル・フェスティバルホールでは22ポンド(約\3500 2階正面バルコニー下手側最前列)、ウィグモアホールでは 9ポンド(約\1500 中央よりやや後ろ寄り)であった。東京での海外オーケストラ公演の場合と単純には比較できないが、東京のオーケストラの東京での公演と比較してもわが国のコンサートチケットの値段よりは安いように思われる。(豊田泰久 記)

本の紹介

『ザ・オーケストラ』 芸団協オーケストラプロジェクト著 芸団協出版部  定価2800円

 オーケストラはコンサートホールの主役であり、その評判や活動の実態は今後のホールの行方と密接な関係にある。本著は芸団協オーケストラプロジェクトが、わが国の22のプロオーケストラ団体を対象に、その活動状況、聴衆、運営と経営問題、指揮者との関係、楽団員の生活実態、各種の資金援助体勢などについての調査結果をまとめたものである。

 本書によれば、日本人の好きな音楽の中で、オーケトラ曲は15位(第1位はいうまでもなく歌謡曲)にある。活動状況については自主公演割合と音楽教室割合という二つの軸で各楽団の特色が整理されている。また、戦後の演奏曲目の変遷なども紹介されている。興味があるのが財政面の資料であるが、年間総経費(91年度調べ)で15億以上が3楽団、8 ~10億が9楽団、それ以下が10楽団という状況である。また、総経費に占める事業収入の割合は平均で57%、あとの43%を助成金や補助金収入で賄っているという現状である。支出面では人件費の割合が56%と企業的にみれば健全ではない運営を強いられている事が分かる。さらに、N響で約1700万円、大阪フィルで800万という公演一回あたりのコストからも、チケット収入だけではやってゆけないオーケストラの体質がよく理解できる。話題になっている公的な補助金、助成金の内容、企業財団の活動状況の紹介なども興味深い。

 最近、ホールの計画段階において、オーケストラを抱えることの話題がちらつく事がある。また一方で、オーケストラの懐事情の苦しさについても耳にすることがしばしばである。本書はわが国のオーケストラの白書というべき性格の内容であり、その活動および運営の全貌が分析されている。ホール関係者にとってはウィーンやベルリンのように、わが国においてもホールとともにすばらしいオーケストラが育ってゆくことが一つの夢ではあるが、わが国ではこれからホールとオーケストラとの関係についてどのような発展への道が開かれるのであろうか、というのが本書を読み終わったときの想いであった。(N)