フィリアホール(横浜市緑区民文化センター)のオープン
4月30日に横浜市緑区、東急田園都市線青葉台駅前にフィリアホールがオープンした。ストラディヴァリ・クァルテットを初日として、今月一杯オープニングコンサートが行われている。設計の内容及びコンサートの模様などを報告する。
ホールは青葉台東急百貨店の上部5~7階に設けられ、クラシックコンサートを主目的とした500席の小ホールである。ホールの計画は、青葉台駅前の東急百貨店出店計画、横浜市の1区1ホールの方針、および緑区住民の音楽ホール建設に対する要望がドッキングしたもので、東急電鉄が建設し(設計総括:東急設計コンサルタント、施工:東急建設)、東急百貨店が管理運営を行っている。また、横浜市はホール建設資金の一部融資および運営費用の一部助成という形で関わり、運営についてはホール年間使用日数の1/2を区民ホールとして使用することが出来ることになっている。
永田事務所の業務は1987年、百貨店の上部に建設するホールの基本計画、性格設定についての音響設計コンサルタントから始まった。その形態を劇場、多目的ホール、コンサートホールの3タイプに分けて総合的に比較検討し、最終的にはコンサートホールとすることを提案し、これが承認された。基本設計直前に音響設計と共に建築設計の依頼を受け、永田事務所としては初めてコンサートホールを音響と建築の両面から設計することになった。音響、舞台設備設計を浪花、小野、建築意匠設計及び総括を山本が担当した。
建築全体は地下1階から4階までを百貨店として、5階から上部をホールとして使用している。設計条件としては5階面積約4,000m2のうち、柱割り、階段、エレベーター、設備シャフト等が店舗階との関連により優先的に決定され、残り部分にホール、ホワイエ、楽屋、練習室、事務室などを配置し、客席数500席のコンサートホールとすること以外は、ホール床面積を建築法規上から500m2以下とすることであった。
設計は音響設計の方針を取り入れて建築設計を進め、スタディ模型等により音響、意匠のチェックを行うといった方法をとった。設計のポイントは次の通りである。
音響設計
室内音響設計の特徴としては、
- 室形としてシューボックス型を採用した。
- 余裕のある響きをうるために14mの天井高を確保した。その結果、一人あたり12m3という室容積となった。
- 繊細な響きを得る為に壁、天井全面に拡散形状を採用した。
- 多様な演奏、催し物を考慮し、側壁にカーテンによる残響可変装置を導入した。
その他、NC-15を目標とした空調騒音低減対策、階下のフロアーに対しての防振遮音構造の採用(ホール床、練習室)、高グレードの録音設備の導入などを行った。
建築設計
U字型のバルコニーと段床により舞台と客席に親密感を持たせると共に、リズム、メロディー、ハーモニーのイメージを建築意匠に取り入れて壁、天井をデザインした。ホール内部はシンプルな形状と柔らかな色調で統一し、照明をアクセントに配置した。簡素ではあるが暖かく華やかな雰囲気によって、演奏家にも聴衆にも快適な音楽空間を目指した。その他舞台、楽屋、練習室、ホール事務室などの在り方についても配慮した。
音響特性と評価
竣工時の測定結果は、空調騒音:NC-13、残響時間:1.8秒(カーテン収納)、1.5秒(カーテン使用)/500Hz、空席時である。満席時の残響時間の測定結果を下図に示す。
竣工後、ホールオープン前に、弦楽器、ピアノ、声楽によるテスト演奏が行われた。演奏者、ホール関係者の評価及び個人的な感想を紹介する。
[響きの質]
- 響きが自然で癖がない。
- 高音がクリアー、低音は伸びやかである。
[演奏のしやすさ]
- 自分の楽器の音、声が聴き取りやすい。
- 演奏が聴衆に伝わっていることが感じ取れる。
- 自分のイメージする音づくりが出来る。
[客席での音]
- 豊かな響きと共に微細な音も明瞭に聞こえる。
- ピアノの強音部が潰れない。
- カーテンによる差は、カーテン収納時には残響感が豊かで空間の拡がりを感じ、カーテンを下ろすと音像が小さくなるが、編成の内容や演奏者の好み、リハーサルと本番などに応じて使い分けが出来そうである。
次にコンサート後の演奏者の評価と演奏を聞いた個人的な感想を報告する。4月末から5月2日迄はストラディヴァリ・クァルテットの演奏が行われたが、演奏位置は舞台先端で、ホールの響きは残響の少ないほうを好んだようであり、客席で聞いた音も比較的明瞭であった。最終日はカーテンを中間まで下ろしていたが、アンコールのピチカートによる曲のみ、カーテンを収納したライブな状態で演奏した。ホールの響きについては直接音と反射音のバランスが良く、ストラディヴァリウスによく合うと評価された。また演奏後は聴衆に楽器を披露する一幕もあった。一方、5月7日、9日のコンセルトヘボウのメンバーによる室内楽は舞台上の最も良く響くポイントを探し、ほぼ舞台中央で演奏した。リハーサルからカーテンを収納した状態で行い、ホールの響きと楽器の音を織り混ぜるような演奏で、消え入るように微細で柔らかな音色と息の合ったアンサンブルが印象的であった。響きのあるホールは慣れているので演奏しやすいとのことであった。5月3日はN響(40名)によるモーツアルトの三大交響曲の演奏であったがトゥッティでも音が飽和せず、設計目標の一つである「余裕」が感じられた。また、各パートのバランスも崩れず演奏者間の聞き取りも良かったそうである。5月5日の中村紘子のピアノ演奏は、カーテンを収納したライブな状態であったが、バルコニー席ではダイナミックな音と共に細かなニュアンスも聞き取ることが出来た。
ホール建築については、演奏者からはシンプルで美しい、快適だ、演奏の邪魔にならないなどの感想の他、ステージから見た内装にもう少し装飾があったほうが落ち着くという声もあった。建築計画についてはオープン後約10日間の観察の結果であるが、ホール聴衆、演奏者、練習室の使用範囲を明確にしたこと、事務室を管理動線上のポイントに配置したことがうまく機能しているようである。また、ホワイエの天井を高く十分な面積を確保したことは休憩時間の混雑にも十分に対応でき、トップライトのある楽屋ロビーは解放感があり良いと好評である。比較的広くとった舞台袖も有効に使用されている。練習室まわりについては今後の区民団体の利用状況を調査する予定である。
こうして設計開始から5年が経過しホールが完成した。幸い音響効果については今までのところは演奏者、聴衆の立場から共に良い評価を受けている。また、建築的にも概ね満足できる結果が得られ、ひとまず設計監理担当者としては一息ついているところである。
オープニングコンサートは13日からは緑区民出演によるコンサートも加わり5月30日のオペラガラコンサートで締めくくられる。チケット入手可能な演奏もあるので、まだお聞きでない方はぜひ一度足をお運びになることをお勧めする。なお、6月は休館し、7月からは一般貸し出しと、毎月のシリーズ演奏が始まる。現在貸し出しの受付とシリーズチケットの発売も行われている。
なお特記すべきは本ホールの使用料金である。これだけのグレードとゆったりとしたスペースのホールでありながら横浜市貸し出し分については平日1日の料金は6万5千円、東急貸し出し分は案内スタッフのサービス付きで18万円である。(入場料徴収時・基本料金、ピアノ使用料等別)都心著名ホールの1/2~1/6の料金でコンサートが開催出来るわけで、リハーサル室(1室・定員約50人)を利用したミニコンサートや小練習室(3室・各々定員約5人)での日常練習と合わせて活用されることが予想される。
最後にホール運営側に一言。ホールの価値・グレードは良い企画と良いサービスにより評価される。音楽文化をリードする優れたプログラムを提供すると共に、利用者に親切なサービスをお願いしたい。 (山本剛史 記)
問い合わせはフィリアホール迄 tel:045-982-9999
[山本剛史氏 略歴:東京芸大建築科大学院修了1978年より13年間(株)永田穂建築音響設計事務所勤務・第三設計室長1991年(有)エイ・アンド・エイ・デザイン一級建築士事務所開設・代表取締役。独立後もフィリアホールの現場監理を担当。永田事務所での経験を生かし、ホール、音楽練習室、オーディオルーム、住宅など音楽関連建築を中心に設計監理を行っている。tel:03-3234-3767]
本の紹介
『新ひたち風土記 音楽市民 まちをつくる』 佐藤克明 著
発行所:日立市科学文化情報財団、芸団協出版部
発売所:丸善 定価1,500円
本書は1990年にオープンした日立シビックセンターで大きく開花した日立市民の文化活動の歴史的、地域的な展開を綴った文化活動の記録である。
著者の佐藤克明さんには、1992年、仙台で行われた音楽祭サミットのときにお会いし、その後もこの種の会合でお話しする位のご縁しかなかった。芸術論、文化論をふりまわされるような方ではなくむしろ木目の細かい気配りの中で、じっくりと問題点を掘り起こし、訥々とした語りの中から人と人との撚りをほぐしてゆかれるようなタイプの方である。この本にも佐藤さんはご自身のことは、音楽アドヴァイザーを依頼された、程度のことしか語られていない。まさに影武者である。
日立製作所で代表される日立市。私なども、この本を読むまでは日立市にこのような文化活動の歴史と官民の熱意があることは知らなかった。佐藤さんはまず、日立市との出会いを詩的なプロローグで語られる。ついで、常陸国風土記の紹介がある。明治38年の日立鉱山、大正元年の日立製作所の創業からしばらくしてブラスバンドが結成され、その後の軍事景気、軍縮不況、戦災、戦後の好景気、不況など、いくつかの大きな波の中の音楽活動の状況がつぶさに紹介される。市のお役人から財団関係者、経営者、地元の演奏家、市民など実に様々な人々の活動が浮き彫りにされている。音楽活動の源流が1922年に結成された日立鉱山の本山楽団にあったことまで突き止められている。よくここまで調べられたと思われるほど調査がゆきとどいている。佐藤さんならではの業である。そして、日立の音楽活動は新しく誕生した日立シビックセンターを舞台とした「日立の春音楽祭」で大きく開花する。
この本の中で著者が語っているように、この日立市の文化活動は行政指導型でもなく、民間推進型でもない。両者それぞれの立場で常に歩んできたという印象である。「初めての企画だし、市民とシビックセンターとで歩きながら考えるんです。」といった当時のシビックセンターの内村副参事の言葉が紹介されているが、強いていえば、これが日立市の文化活動のキーワードではなかったかと思う。有名人まかせ、音楽事務所まかせ、考えることを放棄した運営があまりにも多くないだろうか。
この不況の中にも文化施設の建設だけは着実に進められている。ホールにとって、開館後の運用が建設よりもいかに大きな課題であるかがやっと真剣に考えられる時代となってきた。開館後、勢いにのっているホール、勢いがなくなっているホール、その違いは明確である。ホール運用についての常道はないが、元気のあるホールには必ずこれはと思う数人の核となる人が活躍しているということであろう。歩きながら考えて、今も歩みをつづけている日立市の人間模様は、多分、同じ思いで悩んでおられる他の街の皆様にも参考になると思ってご紹介した次第である。この本をお読みになって佐藤さんと連絡をとられたい方は芸団協(Tel:03-3567-8748)までお願いしたい。
<目次>
プロローグ 日立のまちとの出会い
第1章 日立の文化風土
第2章 いま、なぜ音楽祭か
第3章 響け、1000人のブラス
第4章 音楽によるまちづくりの特色を語る
エピローグ 文化を測る尺度は