ヨーロッパのホール研修ツアー報告(第2陣詳報2)
プラハのスメタナホールとドヴォルジャークホール
5月21日、旧東ベルリンより列車でチェコスロバキアの首都プラハへ向かった。列車の旅というとちょっとロマンチックなようだが、車内の座席は一面砂埃で、ティッシュペーパーで座席を必死に拭きとって座ったが、窓を開けて1時間もするとすぐに体中砂埃だらけになるという状態だった。ドレスデン駅を過ぎたあたりから国境を越えてプラハまでの間、列車はエルベ川沿いを走り、しばらく美しいチェコの田園風景が続いた。
プラハではスメタナの命日である5月12日から翌月6月1日までの間、毎年“プラハの春音楽祭”が行われている。われわれはこの音楽祭が開催されている期間中、5月21日と22日の両日、スメタナホールとドヴォルジャークホールでコンサートを聴いた。
プラハは昔の街並みが今に残る美しい街で、数多くの歴史的建造物が残っており、建築様式の歴史的な流れを辿ることができる。貴重な歴史的建築物に対して保存記念建造物の指定が行われ、優れた建築様式を後世に伝えようと街をあげて努めている。パリのように、ただ街並みを揃えるために壊さないというのとはまた違った保存である。
スメタナホールはプラハの歴史的建造物の中では新しく、20世紀初期に建てられたホールで、アールヌーボーの影響を感じさせる椊物的な曲線の内装で構成される蒲鉾型の空間で、客席天井には楕円形の大きな天窓がある。建物全体は重厚で風格のある雰囲気で、中にいるとカテドラルとはまた違ったある種の緊張を感じる。
この日の演奏は、ウィーン交響楽団でハイドンの交響曲第88番とシューマンの交響曲第3番。ホールの響きは比較的デッドで、重厚でしっかりとした音だったが、ある特定の音が特に良く聞こえたのが印象的だった。蒲鉾型は音が集中するため、一般的に音響条件として好ましくないとされているが、後日、指揮者の尾高忠明氏から、このホールはオーケストラの楽器の音が良く聞こえ、指揮のしやすいホールだということをお聞きした。これは蒲鉾型の影響で楽器の音が指揮者に聞きやすい条件になっているためなのだろうか。
ドヴォルジャークホールは、ネオ・ルネッサンス様式の建物でコの字に配置されたバルコニー席の先端には太い円柱が立ち並んでいる。このホールは昨年、壁に装飾されていた漆喰の“天使”が落下し、それを機会に大掛かりな改修工事が行われた。側壁は以前は石だったそうだが今はボードのクロス張りになっている。古いコンサートホールを改修すると、大概“昔の音は良かった”という話しが出てくる。昔の音を聴いておきたかった。演奏は南西ドイツ室内オーケストラで、バッハのチェンバロ協奏曲1番とメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第2番。前半、1階のステージから数列目の席で聴いた音は、ステージに近いこともあって、生々しくドライな感じで、後半、2階サイドバルコニー席で聴いた音は遠くで演奏しているようであまり良い印象ではなかった。そしてアンコールは2階最後部で聴いたが、ここは側部に比べ全体にバランスの良い手応えのある音だった。このように、聴く場所によって響きの感じが大きく違うホールという印象だったが、たった1回のコンサートの限られた席での印象に過ぎない。やはりこのホールを本拠地としているチェコ・フィルの演奏を聴きたかった。(小野朗 記)
ウィーン・ムジークフェラインザール
5月23日昼、プラハから愛称「スメタナ号」という列車に6時間揺られてウィーン市北部のフランツ・ヨーゼフ駅についた。この駅はウィーンのプラハ方面への窓口で、真新しい駅ビルのすぐ側にはモーツァルトホテルという名のちょっとうらぶれた感じのホテルもあった。初めて訪れたウィーンは、初夏の明るい陽射しが街路樹に眩しく、ゆったりのんびりして優しい町という印象だった。勿論街には音楽が溢れており、オペラ座からシュテファン大聖堂へのケルントナー通りでは街角のいたる所から音楽が聞えてくるし、電灯の下でパンをかじりながら新聞を読んでいるおじさんもBGMに携帯ラジオから流れるブラームスを聴いていたりして、まさに「音楽の都」だった。
前々号にも書いたように、ムジークフェラインザールでは三夜連続でコンサートを聴く機会を持った。その中でもやはりウィーン・フィルの演奏が圧巻で、弦楽器の柔らかな響きや管楽器の力強いけれども弦楽器と絶妙にバランスのとれた響きに、なるほどと納得させられた。しかし、第1夜のフィラデルフィアフィル管弦楽団や第2夜のオルフェウス室内管弦楽団のコンサートでは、実をいうとそれほどの感動はなかった。フィラデルフィア管のコンサートでは髪もなびくかと思うほどの音量の嵐に圧倒され、やはりこの容積では大編成のオーケストラ曲は無理なのかなという印象だった。次の夜、オルフェウスを聴いてもやはり20~30人位の編成がぴったりではないかという感じだった。それも弦の響きは多少硬質で、聴く前に抱いていた印象とかなり違っていた。しかし、第3夜のウィーン・フィルのコンサートでは前夜、前々夜の響きとまったく異なるのにびっくりした次第である。ムジークフェラインザールはシューボックス形状を代表するホールで、側方反射音の重要性を説明するときに必ず引き合いに出されるホールである。しかし、メインフロアーサイドの手摺にはタペストリーが掛けられていて、その重要な反射音が減じられているようにも思えた。このようなシューボックス形状ではどうしてもバルコニー席から舞台が見えにくくなりがちである。やはりこのホールでもまったく見えない座席がいたるところにある。たとえばサイドバルコニーはフラットな床に座席が3列配列されていて、2列目、3列目からは舞台はまったく見えないし、最前列でも手摺にもたれないと十分には見えない。また、フィラデルフィア管やウィーン・フィルのコンサートでは、パイプオルガンの両脇の窪んだ所までぎっしり座っていた。だから、演奏が終わるとバルコニー席の人達は皆立上がるし、メインフロアーでも客席がフラットなために前列の人が立上がると序々に後ろの人達も立ち上がり、最後には舞台に近い座席の人達だけが座っているという状態になっていた。これが舞台と客席が一体になった感じでとても良い雰囲気だった。それに大袈裟なブラボーもなく、盛んな拍手がコンサートに暖かさを加えていたように思う。
ムジークフェラインザールに空調設備はない。側壁上方の窓が演奏の前後と休憩時間に開放される。私たちが聴いた日には演奏中にも下手側の窓が開いていた。外部からの音がわずかに聞えていたが、まったく気にならなかった。しかし暑さには辟易した。休憩ではほとんど全員がホワイエへ涼みに出ており、広くないホワイエはまさに社交の場という感じで、そのざわめきもコンサートの雰囲気を盛上げていたように思う。
今回の研修旅行では、新しい音響理論に基づいて設計されたバーミンガム、ベルリンのホールとプラハ、ウィーンの歴史的なホールでコンサートを聴くことができた。バーミンガムの懐の広いよくコントロールされた響き、ベルリンの重厚でどっしりした響き、プラハの落ち着いた響き、ウィーンの緻密で豊かな響きというように、いずれも印象的なホールだった。これからも建築面、音響面で参考にされ続けるホールだと思う。(福地智子 記)
本の紹介
『文章読本』『傑作の条件』 向井敏(さとし)著 文春文庫
文章といえば、技術報告書の類しか手掛けることのないわれわれ技術屋にとって、建築論などまったく歯がたたない文章に出くわすことがある。頭の構造が違うんだ、などと思って過ごしてきたが、この向井さんの文章論を読んだとき、いわゆる目から鱗が落ちたとはこんな体験のことなのだ、とすがすがしい気持ちになったことを思いだす。最近、近くの本屋を覗いたら、この二書が文庫本でならんでいたので、読みなおし、感動を新たにしたのでこの機会に紹介したい。
「文章読本」には“望ましい文章のあり方”のエッセンスが紹介されているが、第一級の悪文として、野間宏の「新しい時代の文学」の一節、困った文章の例として大江健三郎の文章など、文筆家の文章が槍玉に上がっていることも驚きであった。このような文学界のことはさておき、私が感動したのは、海老沢泰久氏の広岡監督をモデルとしたという野球読み物「監督」と、自動車レースを題材とした「F1 走る魂」といった読み物の紹介である。平易で分かり易く状況の説明が適切で、しかもリズムがあってわくわくさせる文章の例として絶賛している。傑作の条件では、本誌でも紹介した中村絃子の「チャイコフスキーコンクール」がとりあげられている。一読をお薦めする。
NEWSアラカルト
團野(阪田)美枝さんの『日本の紙漉き唄』の出版
團野(阪田)さんは長年同志社女子大の音楽科の教室でお母さんとして皆に慕われてこられた存在感の大きな方で、私の同志社とのご縁も團野さんによるものである。團野さんが暇を見付けては、自慢の息子の運転で全国の紙漉きの里を訪ね、紙漉き唄を収録されていることは聞いていた。この度、東北から沖縄まで200本を越えるカセットに収録された86曲が4枚のCDに編集され、解説、採譜、和紙のサンプルまで添えられて、「日本の紙漉き唄」として竹尾研究所から発売となった。
和紙作りは現在、お年寄りの手仕事の中で継承されており、紙漉き唄は労働の唄である。書家である團野さんは、多分、和紙の美しさ、魅力にひかれて紙漉きの里を訪ねられ、そこで、紙漉き唄との出会が生まれたものであろう。
6月15日の夕べ、京都ホテルにおいて、團野美枝さんの「日本の紙漉き唄」出版を祝う集いが盛大に行われた。音楽、宗教、教育各界の名士とともに、全国から紙漉きの職人さん、同志社の教え子たち合いまじって、始めから最後まで会場は沸いていた。相変わらず、大声で指図しながら飛び回っている和朊姿の團野さんが一段とあでやかであった。
『日本の紙漉き唄』 定価 38,000円の申し込みは下記まで
しこうしゃ図書販売 Tel:075-525-2445 Fax:075-541-0209
〒605 京都市(東山局区内)東山区古門前通大和大路東入元町367
ミニ・フォーラム“室内楽の時代がきた”
6月16日、お茶の水スクエア内のヴォーリズホールにおいて、カザルスホールの5周年記念のプレス発表とミニ・フォーラムが行われた。第一部のプレス発表の内容はホールの手摺などの手直しの件、オルガンのこと、および5周年記念の演奏会プログラムの紹介であった。第二部が表記の“室内楽の時代がきた”─われら東京遊撃隊─という萩元調のフォーラムで、パネリストはカザルスホールの萩元晴彦氏、浜離宮朝日ホールの雑喉潤氏、それに津田ホールの向坂正久氏という各ホールのプロデューサー、ご存知のようにこのご三方は音楽界きっての論客である。常々、学会のうんざりするようなシンポジゥムしか経験していない私には、こんなに面白く内容のあるフォーラムは初めての体験であった。
フォーラムは、萩元さんから5年間のカザルスホールの活動をとおして、「室内楽の時代がきた」ことの手応えを確実に感じている、という序奏からはじまった。各ホールの企画の裏話、予算のこと、ホールサイドから見たよい聴衆とは何か、スポンサーの話し、最後にはホール経営とプロデューサーの役割など、問題点をバサッ、バサッと切って行く痛快さは実に心地よかった。フォーラムの内容はカザルスホールの機関紙“FRIENDS”44号に紹介されているので一読をお薦めする。
営業的にハンディを背負っている室内楽ホールではあるが、自主公演でホールの性格を作りあげてゆく楽しみは大ホールでは味わえないことであろう。カザルス、津田の二ホールとも、新しい演奏家を発掘して新鮮な演奏を提供していることは音楽ファンの一人としてうれしい限りである。今年の秋、また二つの室内楽ホールが誕生する。遊撃隊の皆様の闊達な活動を期待している。