永田音響設計News 99-5号(通巻137号)
発行:1999年5月25日





アミュゼ柏“クリスタルホール”のオープン

外観 (写真:㈱日本設計 福西浩之氏)
 常磐線で上野から約30分、東京のベッドタウンとして人口32万に発展した柏市に、新しい文化施設「アミュゼ柏《が1999年1月末誕生した。柏駅から徒歩約5分という好立地条件で、デパート等ではなやぐ柏駅周辺にふさわしく、打ち放しコンクリートを基本に、建物前面をドットポイントグレージング(DPG)工法のガラス張りにした明るく開放的な建物である。

 アミュゼ柏は、旧公民館の老朽化に伴った建て替えに併せて公民館機能とホール機能を複合させた施設として生まれ変わることになり、コンペで選ばれた㈱日本設計の設計・監理により竣工した。施工は東急建設㈱他JVである。主な施設は、“クリスタルホール”と吊付けられた400席の多目的ホール、“プラザ”と呼ばれるギャラリーや講演会に使用できる平土間スペース、各種練習に使用できるリハーサル室、建物中央3層吹き抜けのアトリウムを挟んで公民館機能としての料理実習室や工芸室、会議室(和室含む)が用意されている。公民館施設の各室は、アトリウム側と外部に面する壁面がガラス張りになっており、室内が明るいのと同時に、外部からもアトリウムからも各室のにぎわう様子がわかるように意図されている。また、建物が敷地一杯に建っているため、3階~5階の屋根を屋上庭園として、緑化を図っている。最上階の会議室からは庭園と空しか見えず、都会の中とは思えないような雰囲気が味わえる。

ホール内観 (写真:㈱日本設計 福西浩之氏)
 クリスタルホールは、「音楽系の市民団体が多い《という柏市の特色を踏まえ、基本的には舞台の可動反射板を設置するとシューボックス形式になる、木の細かいリブ仕上げとシャンデリアが特徴の美しいホールである。多目的使用にも応じられるように、舞台反射板は可動式で舞台幕も用意されている。小さめのホールなので、きつい反射音が客席に返らないように、壁は上規則なリブ仕上げ、天井も曲面形状として拡散を意図した。また、舞台正面のリブの壁は、背後にカーテンを設置することで、演奏楽器や演奏者の好みに合わせた反射音の微調整が可能である。残響時間は、500Hzの満席推定値で反射板設置時1.2秒、舞台幕設置時0.8秒である。

 一方、主に講演会・ギャラリーとして使用されるプラザは、クリスタルホールと上下関係になるため、防振ゴム支持によるコンクリート浮床と石膏ボードの防振遮音構造となっている。遮音性能はホールとの間で85dB(500Hz)が確保されている。また、展示用パネルの移動音がホールで支障とならないように、レールも遮音層と一緒に防振を行った。内装は講演会用途にあわせ響きが長くならないように、壁はパンチングメタル+グラスウール(GW)、天井にもGWを空気層付で配置して吸音した。

 最近、柏ではストリートミュージシャンから有吊になったサムシングエルスというバンドがあるが、こんどはクリスタルホールで良い音楽を聴いて、リハーサル室で練習をしたミュージシャンの誕生!そんなアミュゼ柏からの文化発信を期待したい。(石渡智秋記)





立教女学院聖マーガレット礼拝堂の音響改修

聖マーガレット礼拝堂
 立教女学院は東京杉並区久我山の閑静な住宅街にある。その敷地内にある聖マーガレット礼拝堂は今から約70年前に建てられ、パイプオルガンも設置されている。そのパイプオルガンの老朽化によりアメリカ・バージニア州のテイラー&ブーディ社製のパイプオルガンを新設することになった。このオルガンビルダーの室内の響きに対する要望により、オルガンの音がより響くように音響改修をすることになった。この礼拝堂の残響時間は63Hzが1.4秒、500Hz,1kHzが1.8秒と低音の響きが中音域より短い状態だった。

 改修といっても礼拝堂は歴史的建造物であり、見掛けを全く変えずに音響条件を改善するという前提で効果的な方法を検討した。この施工は海老原工務店海老原信之氏に依頼された。氏は数奇屋造りを得意とし、細かな細工に長けているので、ホールの音響実験に用いる1/10縮尺模型の製作依頼も多い。

改修の対象とした箇所: 本礼拝堂は小屋組と床組が木造で、また祭壇周辺壁は木製パネルで構成されており、これらの板振動により低音が吸収されていることを音響調査にて確認した。パイプオルガンは祭壇脇のオルガン室に収められているため、祭壇周辺の壁および床を補強することが効果的であると判断した。

(祭壇周辺壁の補強) 壁を解体してみると、パネルは幅約40cm厚さ約4cmの無垢のオーク材で、それぞれが支柱に支えられており上部を細かな彫刻の施された笠木で固定されていた。躯体とパネルとの間には空間があり、そこに重量のあるものを充填することにより板振動を抑えられると判断し、パネルの裏側と躯体側にそれぞれ石膏ボードを何層か貼り、それらの少しの隙間に石膏系の接着剤を充填することとした。

(床の補強) 床は木軸組で400mm間隔の根太の上にオーク材が貼られている。床の補強方法としては根太の間に見える床板の裏側に強化石膏ボード8mmを接着剤とビスで4~8枚貼り上げ、さらに大引きと束を立て床全体を支持する構造とした。祭壇の床だけで1枚15kgのボードを600枚貼ったことになる。床下への出入り、材料の搬入はすべて外の床下換気口(60cm×40cm)から行われた。また工事は夏休み中に行われたので、床下の暑さと蚊と戦いながら中腰で上に貼り上げる作業はかなりきつかったと思うが、出来上がりは実に綺麗でしっかりと貼られ、歩行感もこれまでと違いコンクリートの上を歩いているような強固なものとなった。

新しいパイプオルガン設置のための準備: 内装の音響改修に続いて旧オルガンの解体撤去、床の構造補強、説教壇の移設、ブロア室の間仕切りといった受け入れ準備作業に入った。

当社はバージニアのオルガンビルダーから送られてくる図面やオルガン周辺の音響条件に対する要望を具体的に海老原氏に伝える役割を担当した。

(パイプオルガンの解体) 旧オルガンの表面の格子には多くの透かし彫りがはめ込まれており、ビルダーがこの彫刻を新しいオルガンの装飾にとり入れることを要望されたため、丁寧に取り外しバージニアへ送られた。また、パイプも使えるものは再利用された。

(説教壇の移設) オルガンの設置に伴い説教壇の移設が行われた。説教壇は細かな彫刻が全体を覆っており重さは約230kgある。これを丁寧に解体し左右を反転し組上げられたが、説教壇の扉については造りかえる必要があった。この扉にも細かな彫刻が施されており、同じように彫刻しなければならない。海老原氏はこの彫刻と同じ彫刻を施すことの出来る彫刻師を探された。人伝にやっと巡り会えた彫刻師が、大野勘三郎氏83才(当時)である。大野氏は国会議事堂の彫刻工事に携わった彫刻師の最後の一人で、今なお現役の彫刻師として活躍されている。実際の彫刻を見るために礼拝堂を訪れ、かっての日本の彫刻師達が彫った珍しい洋物の彫刻を見て、しきりと撫で回し感激されていたそうである。そして新しい扉に施された大野氏の彫刻は、新たに作られたものとは全く思えない出来である。

残響時間の比較: この改修補強工事の前後で残響時間が最も大きく変わった周波数帯は63Hzで、工事前に1.4秒だったのに対し工事後(オルガン撤去後)で2.5秒、新オルガン設置後は1.9秒となった。125Hzより高い周波数ではほとんど変わりはなかった。

工事の記録: このような歴史的建造物は何れどこかを改修することになる。今回の改修では壁や床について裏側でかなり強固な留め方をしている。何れ改修する場合に参考になるようにと、海老原氏は今回の改修内容の詳細をレポートにまとめ学院に提出されている。

完成披露演奏会: 1996年夏の音響改修工事から2年弱、1998年4月オルガンは完成した。それから1年、学院の毎日の礼拝に使われていたが、1年間掛けて十分調整し、礼拝堂の空気に馴染んでから一般公開したいというオルガンビルダーの要望により、完成より1年後の1999年4月3日、ハラルド・フォーゲル氏演奏による披露演奏会が開かれた。新しいオルガンの奏でる音楽が朗々と礼拝堂に響きわたった。(小野朗記)





三大テノール・コンサート

 少し前のことになるが、三大テノールのコンサートを東京ドームで聴く機会を得た (99年1月9日)。この話題のコンサートは3年前にも日本(代々木体育館)で開かれており、話として聞いてはいたが実際のコンサートを聴くのは今回が初めてであった。

 内野側の一角に仮設ステージが設営され、パイプ椅子を並べたグラウンドと外野席を合わせて4万人以上の聴衆が集められた。筆者が聴いた席はグラウンドのほぼ中央付近。照明や音響の仮設操作ブースの近くで、これ以上文句はいえない良い場所であった。しかし、そこから見たステージは遥か彼方にあり、振り返って見た外野席はさらに遠くに見えた。性能の良い双眼鏡を持って行ったが、それでもステージ上の歌手は豆粒のようで、両脇に設置された巨大プロジェクターを双眼鏡で見て、やっと迫力のある大きさに見えた。

 コンサートが始まり、ドミンゴ、カレーラス、パヴァロッティの三大テノールが、代わるがわるにオペラのアリアやイタリア民謡を歌っていった。バックのオーケストラは、レヴァイン指揮のメトロポリタン歌劇場管弦楽団。しかしながら、当夜会場に提供された音は、とてもこの種の演目を楽しめるようなレベルのものではなかった。これなら家のテレビで、ビデオやレーザーディスクでも見ていた方がずっと良い。グラウンド中央部付近の席でその程度であったのだから、外野席での見えや音は想像に難くない。暖かい拍手は送られていたものの、当夜の聴衆は本当に満足して聴いていたのであろうか。

 やはりこれだけのメンバーを一堂に集めると経費も相当かかるであろうことは容易に想像できる。このコンサートを普通のホールで開催したらチケットの値段は目玉が飛び出る程になるであろう。だから、東京ドームに聴衆を4万人以上も集めてチケットの値段は数千円どまり、というのなら話は分かる。コンサートというより、ある種の祭りでありイベントとして割り切ることもできよう。しかし、当夜の最も高いチケットは何と8万5千円なのである。何万円ものチケット代を払って、プロジェクターの絵を見せられ、拡声器からのお世辞にも良いとは言えない音を聴かされたのでは、ちょっとひど過ぎる。きちんとした正装に近い朊装で、長時間移動パイプ椅子に座らされていた聴衆もかなり多かった。

 当夜の音響や照明のデザイナー、技術者達には大きな責任はない。あのような場所でクラシック系のコンサートをすることそのものに無理があるのは明白である。興行主にはある程度の責任はあろうが、実際にチケットを買っていく大勢の聴衆がいて、ビジネスとして成り立っているのである。周りからとやかく言われる筋合いはないのかもしれない。少なくともコンサート芸術としてではなく、コンサートビジネスとしては。

 筆者の個人的な意見であるが、当夜のコンサートは、やはりバックのオーケストラや指揮者も含めた出演者達に第一に責任があるといってよいであろう。3人が交代で歌っていることでもあり、当人達はリハーサルなどを通じて聴衆にどのような絵と音が提供されているのかを十分確認できるのである。そしてもちろん、チケットの値段がいくらで販売されているかも。売れれば良いというのは、あくまでもビジネスの世界での話であり、彼らにはやはり自分達のコンサートのクォリティに対する責任があるはずである。

 当夜、普段はコンサートにはあまり出かけないけれど話題につられて来たという観客も大勢いたと思われる。そして、そういう人達の中にはクラシック音楽界の未来の聴衆もかなりいたはずである。その人達が当夜のコンサートを見聞きして、逆に興味を失ってコンサート離れしていくことにならなければよいがと願うばかりである。(豊田泰久記)





ヘルシンキ音楽センター建築設計コンペのお知らせ

 フィンランドの首都ヘルシンキに新しいコンサートホール(約1500席)が計画されています。その建築設計案は国際コンペによって公募されることになり、この度その募集要項が発表されました。同ホールは、著吊な建築家 Alvar Aaltoによるフィンランディア・ホールの隣接地に建設され、完成後はフィンランド放送交響楽団とヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地として使用されることが予定されています。コンペ要項は次のインターネットのアドレスにて入手可能です。

http://www.minedu.fi/helsinkimusiccentercompetition/

なお、当事務所は本プロジェクトの音響コンサルタントとして指吊されています。




永田音響設計News 99-5号(通巻137号)発行:1999年4月25日

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