永田音響設計News 96-1号(通巻97号)
発行:1996年1月15日





オーケストラと練習室とコンサートホール(その1)

 本ニュースの95年10月号で札幌の芸術の森に札幌交響楽団練習用の大リハーサル室が完成、オープンしたことをお伝えした。11月号で新しいコンサートホールの完成を紹介した京都においても京都市交響楽団用の専用練習所が6 年前にすでに完成している。東京のプロオーケストラの中には未だに特定の練習所を持つことができずにいろいろな場所を転々としているオーケストラがあることを考えると、札幌と京都のオーケストラは恵まれた環境にあるといえよう。しかしながら一方で、オーケストラにとっての練習環境条件ということを考えると、少なくとも音響面からは必ずしも専用練習所が理想とはいえない。
オーケストラの練習風景(札幌芸術の森大リハーサル室)
 東京にサントリーホールがオープンした時、そのステージ上の音響条件というのは東京のオーケストラにとって必ずしも快適なものではなく、演奏しにくいという上満があちこちで聞かれた。事実、実際のコンサートにおいてもかなりラフなアンサンブルの演奏がよく聞かれた。ステージ上で自分の音やお互いの音が聞きにくければ、アンサンブルが汚くなるのもやむを得ないことであろう。ところが、海外からのオーケストラからの反応は必ずしもそうでなく、指揮者や奏者からの意見も肯定的なものが多かった。結果として実際にアンサンブルの綺麗な素晴らしい演奏が多かった。サントリーホールにおいて東京のオーケストラのアンサンブルが良くなってきたのは、その後数年経ってからのことである。オーケストラの奏者の意見を聴いてみると、最初はホールの音の響き方、鳴り方が分からず戸惑ったが次第に慣れてきて自分の音やお互いの音が聞き取れるようになってきた、とのことである。
 東京文化会館は長い間、東京のオーケストラが定期公演会場としてきたホールであるが、それと新しくできたサントリーホールとのステージまわりの構造を比べてみると音響条件の違いがよく分かる。音響的には両者の天井の高さが決定的に違う。わが国で最近コンサートホールが建設されるようになる以前はほとんどがいわゆる多目的ホールであり、最近のコンサートホールに比べるとステージ上の天井の高さが絶対的に低いのが大きな特徴である。東京文化会館に限らずほとんどのホールがこのような条件下にあったといえよう。それに対して海外のコンサートホールではステージ上の天井高が高く、海外の多くのオーケストラがそのようなステージ音響のもとで演奏することに慣れており、サントリーホールのステージに大きな違和感を持たなかったと考えられる。海外のオーケストラと東京のオーケストラの違いのすべてをこの天井の高いコンサートホールのステージにおける“慣れ”の問題だけで片づけることはできないが、最近の東京のオーケストラのアンサンブルの綺麗さ、好調さを聴くと、これらの要因の大きさを考えないわけにはいかない。
 ステージ上の音響条件については、一般に“絶対的に良い条件” がある、と考えられがちである。しかしながら、相当に“慣れ” の要因が大きいことは、東京文化会館とサントリーホールの例からも容易に想像できる。ベルリン・フィルのコンサートマスターの安永徹氏とウィーン・フィルのコンサートマスターのウェルナー・ヒンク氏に各々別にステージ上の音響についての話をお聞きしたことがある。ステージ上における演奏のしやすさについてはもちろん、自分達のホールが最高で、お互いに相手のホールでの演奏がやりにくいことを指摘しておられた。ウィーンとベルリンといえば共に素晴らしいオーケストラとホールをもった両雄とされている。しかし、両者がそのホールを取り替えた場合は必ずしも良いとは限らないというところが、両者の関係の複雑さと面白さを物語っている。特に安永氏がウィーンのステージのヒナ段構造がベルリン・フィルにとっては非常にやりにくいとコメントされていたのが印象に残っている。この場合は、ステージ天井高ではなくステージヒナ段構造の違いの問題であるが、いずれにしてもステージ上での“慣れ” の要因がいかに重要かということである。だからといってステージ上の音響条件の問題がすべて“慣れ” の問題で片づけられるという意味ではない。ある程度慣れる事が可能な範囲の音響条件が実現されていることが必要であることはいうまでもない。しかしながら、少なくともステージ音響については物理的に最高の音響条件というのはありえないのであって、“慣れ”の要因を考慮に入れないでステージ音響を語ることは無意味であるということはいえよう。
 このようなステージ上の音響を考えると、普段の練習室における音響がいかに重要であるかが容易に想像できる。時間的には本公演のホールステージより練習室における演奏の方が圧倒的に長く、音作りはほとんど練習室で行われるからである。この空間は一般的にはコンサートホールなどに比べて天井も低く、音響的にとてもホールに類似した空間を実現できる条件にはない。天井を高くして音響的に望ましい空間を確保していくと、それはもはや練習室ではなくホールと呼べる空間になってしまう。音響条件の異なった練習室でリハーサルを行っても最終的な音のバランスまではとりきれず、最後の調整はどうしても本公演当日のホールにおけるリハーサル(ゲネプロ)でということになってしまう。
 このようなオーケストラのリハーサルの環境についていえば、欧米諸国のオーケストラの場合の実状は日本のそれと全く異なっている。京都、札幌以外にもN響、読響、東響、群響、大阪フィル、大阪センチュリー、九州響、………等々、専用あるいはそれに近い練習所を持っているオーケストラはあるが、これらの恵まれたケースといえども、これは日本独特の事情からの評価といえよう。欧米では常日頃のリハーサルも定期公演会場のコンサートホールで行うのが当たり前なのだから。オーケストラにとっての本当の意味でのフランチャイズホールというのは、このようにリハーサルもコンサートも含めてそこで行えるホールのことをいうのであって、その意味ではわが国にはフランチャイズホールを持ったオーケストラはないといってよい。これは日本のオーケストラにとっては大変なハンディである。(以下次号に続く。豊田泰久 記)

本の紹介

『生命が音になるとき』*上思議なヴァイオリン*  千住真理子 著
                     テクノライフ選書 オーム社 1,500 円

 千住真理子さんは第一線で活躍中のヴァイオリン奏者、今回、彼女が慶應の哲学科卒業の音楽家であることを初めて知った。オーム社のテクノライフ選書からというのは異色であるが、本書は楽器に対して、演奏に対して音楽家の心情を吐露している感動的な内容である。
 内容はストラディヴァリの紹介に始まって、音楽についての考え、演奏の問題、才能と技能の関係、気功にまで及ぶ。楽器を鳴らすこつ、指揮者の役目、言葉と音楽、ホールの話し、ピッチの差、右脳と左脳による演奏、暗譜のこと、レコーディングとコンサートの違い、大きな音を出す方法、気功による治療の体験など興味のある話題が続いているが、全体を貫いているのは、“音楽を通しての魂のふれあい”ではないだろうか。それを平易な言葉で、しかも気品ある形で的確に述べておられるところに、人間としての千住さんの深さを感じることができる。花束に添えてあった「紙の切れ端《に見出した一聴衆の感謝の言葉、身障者の会場で母の伴奏で弾いた「夕焼け小焼け《の聴衆の反応など、音楽を通して生まれた感動的な場面もある。
 暗譜について千住さんは、楽譜を図形として覚え込むという能力をもっておられそうである。2 時間にわたるリサイタルではおよそ 100ページにわたる楽譜を映像として繰ってゆくとのこと、これは素人には想像できない能力である。一方、ホールの響きについても鋭い把握をされている。誕生したばかりのホールはたいてい、音になじみにくい状態であるが、その中でも、「音に調和してゆく兆しのみえるホール《と、「音と分裂したままではないかと思われるホール《が予想できるという。また、「良いホールは使い込んでいくうちにどんどん鳴るようになってくるというのも楽器と同じ《、「ホールもまたそれぞれに主張をしているのだ《、「奏者と楽器と、さらにホールがひとつになれたとき、はじめて聴衆との一体感がうまれ、感動をよび、“音”に艶やかな生命感がみなぎるのだ《といった言葉もある。(永田 穂 記)


Newsアラカルト

◆京都市交響楽団音楽監督 井上道義氏、新しいホール誕生について抱負を語る
 1 月12日の夕、京都ブライトンホテルにおいて、恒例の新春京都音楽文化人の集い(第11回)が開催された。今年はまず、誕生したばかりの京都コンサートホールについての祝いの言葉、京都の音楽活動にたいしての期待と励ましの挨拶で始まった。会の半ば、音楽監督の井上さんが壇上にあがり、「僕はほんとうにうれしい、うれしい《という言葉についで、今後の京響の活動について次にような抱負を語られた。
 ・定期公演回数を倊に増やし、京響定期会員を3 倊にする
 ・世界のトップ20番目のオーケストラを目指す
 ・国際的な公演ツアーを企画する
元気のでる話題で出発できた事、ホール関係者にとってはうれしい一夕であった。
◆第19回音楽之友社賞及びトヨタ音楽賞、新星日本交響楽団が受賞
 1969年、楽員自身が演奏活動と運営に責任を持つ“自主運営”によるオーケストラとして発足。以来今日までユニークで多彩な活動を続けており、その真摯で誠実な姿勢は多くの聴衆を獲得している。
◆平成七年度(第33回)レコード・アカデミー賞

 ■レコード・アカデミー大賞〈交響曲部門〉幻想交響曲(ベルリオーズ)他
  チョン・ミュンフン指揮パリ・バスティーユ管弦楽団(グラモフォンPOCG1901)ポリドール
 ■〈管弦楽曲部門〉交響詩「海《/牧神の午後への前奏曲(ドビュッシー)他
  ジュリーニ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(ソニークラシカルSRCR9882)ソニー
 ■〈協奏曲部門〉ピアノ協奏曲第1番(ショスタコーヴィチ)他
  アルヘリッチ(P)、フェルバー指揮ヴェルテンベルク室内管弦楽団
                          (グラモフォンPOCG1817)ポリドール
 ■〈室内楽曲部門〉ピアノ三重奏曲第1番、第2番(アレンスキー)ボザール・トリオ
                  (フィリップスPHCP5294)マーキュリー・ミュージックエンタテインメント
 ■〈器楽曲部門〉4つのバラード/ピアノ・ソナタ第3番(ブラームス) ソコロフ(P)
                 (Opus111 MOPS30-103)株式会社東京エムプラス
 ■〈オペラ部門〉歌劇「イーゴリ公《全曲(ボロディン)
  ゲルギエフ指揮 キーロフ劇場管弦楽団・合唱団 キット(Br)他
                (フィリップスPHCP5327~9)マーキュリー・ミュージックエンタテインメント
 ■〈声楽曲部門〉ボロディナ/ロシアン・ロマンスの調べ(ロシア五人組歌曲集)
  ボロディナ(Ms) ゲルギエワ(P)
                 (フィリップスPHCP5302)マーキュリー・ミュージックエンタテインメント
 ■〈音楽史部門〉ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集作品5より(コレッリ)
   寺神戸亮(Vn)他              (デンオンCOCO78820)日本コロムビア
 ■〈現代曲部門〉朝の祈り/私は去る、見ることもないままに 他(カンチェリ)
  D.R.デイヴィス指揮 シュトゥットガルト室内管弦楽団 カシュカシアン(Vn)
                          (ECM POCC1024)ポリドール
 ■〈特別部門 / 日本人作品〉21世紀へのメッセージ-2
  木村かをり(P)  岩城宏之指揮 オーケストラ・アンサンブル金沢
                        (グラモフォンPOCG1860)ポリドール
 ■〈特別部門 / 日本人演奏〉三善晃 歌曲集-1  瀬山詠子(S) 三善晃(P)
                      (ビクターVICC171)ビクター・エンターテインメント
 ■〈特別部門 / 全集・選集・企画〉ヴェデルニコフの芸術-1~10 ヴェデルニコフ(P)
                (デンオンCOCO788241~6/78431~4)日本コロムビア
◆永田音響設計News 100号記念の集いのお知らせ
 本Newsは今年の4 月で100号の発行となります。これを記念して6月8日の午後、津田ホールにおいて、講演会とコンサートを計画しております。内容がきまり次第お知らせいたします。(永田 穂 記)


永田音響設計News 96-1号(通巻97号)発行:1996年1月15日

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