メシアンの死
オリヴィエ・メシアンは1908年12月10日生れであるから、もし生きていれば、84歳を迎えることになる。オルガニスト、作曲家、教育者、鳥類学者、カトリック教徒、哲学者、様々な顔を持つメシアンは、音楽のあらゆる面において前衛への道を開いたと同時に、過去を継承する音楽家としてのトータルな偉大性を持ち合わせた今世紀最後の大作曲家であった。1931年以来、パリのサン・トリニテ教会のオルガニストをつとめ、オルガンはカトリック信仰を背景にしたメシアンを最も深いところから伝える楽器ともいえる。
フランスのオルガニスト・作曲家の系譜を遡ると、フランクに行き着く。フランクを源とする《交響楽派》(サンフォニスト)と呼ばれるロマン派の流れは、ヴィエルヌ、ヴィドール、デュプレに至るまでパリ音楽院を中心に脈々とつづいてきた。パリ音楽院のデュプレラスでオルガンと即興のプルミエ・プリを取得したメシアンも、出発点においてはこの流れのほとりに位置する。ロマンティック・オルガンを養分として、現代オルガン音楽、<前衛>(アヴァンギァルド)への道を開いたのが、メシアンである。メシアンのオルガン作品のひとつひとつは、新しい言葉を求めて刻々と変貌を遂げる作曲者自身の姿でもある。
「天上の饗宴」は1928年、メシアンがまだパリ音楽院在学中に書かれ、出版譜としてはいちばん初めのオルガン曲である。一般音楽愛好家でも後期のメシアンはわからないけれど初期、特にこの曲は好きという人が多い。私がはじめてメシアンという名を知ったのもこの曲からであり、聖餐をうたった神秘的な響きにすっかりとりつかれてしまった。ロマン派の香りの内に、のちのメシアンを予告するものがすでにある。気の遠くなるような遅いテンポ、息の長さ、気だるい官能的な世界、音の象徴、色彩、オルガンの新しい響き。サン・トリニテのオルガニストに就任したばかりのメシアンがミサでこの曲を演奏すると、たちまち教会の人々の攻撃の的になって、特に老婦人たちは、「オルガンのパイプの中に悪魔を聞く思い」と言ったそうだ。
「ディプティーク(地上の生命と至福の永遠性についてのエッセー)」(1930)、「永遠の教会の出現」(1932)、オーケストラのための原曲に手を加えた「昇天」(1934)は、この延長上にある。「私は作曲家、リズムの探求者、音と色彩の使徒、鳥類学者でもある」と彼は述べているが、オルガン書法の革新は「主の降誕」(1935)からはじまる。リズムの探求者は、独学で研究し、まず、グレゴリオ聖歌から2拍子と3拍子の混合を学び、つづいて素数(詩に用いられる7や11の数)を使用したギリシャの韻律法に取り組み、その後は古代インドの様々な地方のリズムを研究することによって、従来の規則的な拍子とは違うリズムの法則を発見した。「主の降誕」にはこのインドの「非可逆的なリズム」が用いられ、これがメシアンのすべてのリズム探求の出発点となった。音と色彩の使徒は、キリストの降誕を星の光、羊飼い、天使、神までも音にして一大音楽絵巻に仕立てた。音色の新世界は、伝統的な音作り、いつも基礎となる音の上に倊音を積み重ねていく方法ではなく、あえて基音なしに倊音のみ引き出すことによって、星の輝き、鳥のさえずり、水のしずくといったものを生き生きと描写した。色彩はメシアンにとっては、普通の人が音に感じる漠然とした調子ではなく、音にブルーや紫の具体的な色を見たのである。その色調を表現するため、メシアンは旋法と音階を研究し、独自の言葉を編み出し、「わが音楽語法」という分厚い本の中でくわしく説明している。正直なところ、私は一般音楽愛好家に準じて「降誕」までのオルガン音楽が好きで、それ以後はあまり共感を覚えない。「栄光の身体」(1939)、20年に亘る即興を要約したと自身語っている「ペンテコステのミサ」(1950)、さらに「オルガンの書」(1951)においてリズムの探求と持続をつきつめ、オルガンの可能性を追求し尽くして、オルガンの分野の創作活動では沈黙する。「すべてがだめになり、道を失い、何ひとつ言うべきものをもたない時、いかなる先人に習い、深淵からぬけ出るためのいかなるデーモンに呼びかけるべきか。相対立する多くの流派、旧式の様式、矛盾する音楽語法があるのに、絶望している者に信頼を取り戻す人間的な音楽がない。ここに大自然の声が来るべきなのである。」(1957、ブリュッセル万国博の講演より)。
鳥類学者でもあるメシアンは18歳の頃から鳥の採譜をはじめ、フランス国内のみならずアメリカ、オーストラリア、アフリカ、日本へと鳥を探して旅に出る。テープレコーダーを使わず直接採譜して楽器に移す作業である。メシアンにとって、鳥は作曲の素材というより、生きる根底にあるもの、自然への帰結、神の摂理をそこに見出すことなのである。小鳥に説教した聖フランシスの姿に彼は自身の信仰を重ねて、オペラ「アッシジの聖フランチェスコ」を書いたのであろうか。「リズム、色彩、鳥の歌声に関する私の全探求を総合したものであると同時に、信仰の証しでもある」とメシアン。1975年から1983年、完成までに8年以上をかけて、作詩、作曲、オーケストレーション、舞台装置と衣装の企画をすべて作曲者自身が行った。その上演には5時間近くかかる。このオペラは日本では1986年、聖マリアカテドラルにおいて小澤征爾の指揮により、演奏会形式で上演された。かつてバッハが「マタイ受難曲」で表現した世界を私はそこに見た。「主の降誕」の絵画性、ロマン派への回帰を見た。
「私はロマン的であることを恥じない。ロマン派の人たちは自然の美に対する意識や神なるものの偉大さの意識をもっていた。ロマン派の人たちはすばらしい職人<アルティザン>だった」メシアンの音楽が現代の古典である所以はそこにあるのかもしれない。オルガンのための「聖体の書」(1984)を最後の作品として、1992年4月28日、メシアンは永遠の眠りについた。
メシアンの死は、フランク以来のフランスオルガン楽派の終焉を意味する。
(1992年12月10日 深井李々子:オルガニスト)
全国音楽祭サミット・高崎´92
つくば、仙台に続いて第3回の全国音楽祭サミットが11月25~26日、高崎音楽祭’92のプログラムの一つとして行われた。会場は初日の三枝成彰氏の記念講演、二つのシンポジウム、およびレセプションが高崎市文化会館、記念演奏会「群響とウイーンの仲間」による演奏会が群馬音楽センター、2日目のペーター・シュミードル氏の特別レクチャー、および全体会議が群馬シンフォニーホールという市の文化施設を総動員して行われた。三枝成彰氏の講演の題目は「新しい音楽創造への誘い―現代音楽のニューウエーブ」、カルタゴを例に、文化を背景にもたない国は国際社会で孤立し、衰退をたどるという話から始まった。また、かつて、鉄のカーテンの厳しい制約の中でうまれたショスタコーヴィッチ、プロコフィエフの作品が今日、自由諸国で人気を得ていることの意味、民族音楽の中に感じる新鮮な感動が新しい音楽の原動力となっていることなど、これは難解な現代音楽に対して、音楽は楽しくなくてはならないという警鐘ではないか、といった話であった。
今回のシンポジウムは「音楽のある暮し~新しい音楽文化社会の到来」、「音楽のある街~音楽祭と都市文化の創造」というやや気負ったテーマで二つの会場に分れて討議が行われた。筆者は音楽祭実務者がパネラーとなった後者の集いに出席したが、司会者の一方的な音楽祭“なおらい”論の筋書きにふりまわされて、これまでせっかく積み上げてきた問題点の討議が行われなかったのが残念であった。音楽祭の性格は様々である。学園祭的な催しもあるであろう。しかし、当事者にとってはお祭りというよりも、むしろ歳末大売り出しに通じるような負担の大きなイベントもあるであろう。これから文化が試練を受ける時代、よい演奏、よい聴衆、よい環境が一層厳しく求められる時代である。音楽祭といってもその素材は一つ一つのコンサートである。今日直面している様々な問題を掘り起こし、出演者、聴衆、主催者がともども感動と幸せを感じあえる方向を探る会合であってほしいと思う。来年は9月26、27日、津山音楽祭の行事として行われる。
JTB本社ビル「フォレスタ」完成と試演会
多摩ニュータウンの永山駅近くに研修センター機能を中心としたJTB多摩本社ビル「フォレスタ」が完成した。ここに、当初研修所の講堂として計画された小ホールがあるが、これが、設計途中で施主側からの要望で小コンサートホールへと変身することとなった。ここで、お声がかかり、音響面から設計者の坂倉建築研究所に協力して音楽ホールへの転換を計ったのである。本ホールは210席、平土間の小ホールではあるが、一席あたり7.5m3という空間が確保でき、また、設計者の協力により、拡散、吸音面もデザインの中に吸収され、視覚的にも明るくて、楽しい音楽空間が実現した。
12月12日の夕方、海野義雄、千葉馨、本庄玲子という豪華メンバーによる試演会が行われた。ところで、これまで、オープン前のテスト演奏についてはいろいろ苦い経験をしてきた。初めて空間というのは演奏家にとっても戸惑いがあるようで、演奏によほどの余裕が無い限り、新しい空間で思いきって音楽に打ち込むということは難しいことであろう。おそるおそるの、鳴りきらない、時にはバランスを欠いた演奏がホールの音響として評価される。しかも、テスト演奏時の聴衆というのは特異の集団であることが多く、聴き方も普通のコンサートとは違った状況となる。当日の試演会はいままで経験したものとは全くちがった、むしろ、演奏の見事さに引きこまれて、響きのことなど忘れてしまいがちであった。あまりうますぎる演奏も試演会としては考え物ではないか、ということまで浮かんできた。まだ、空調騒音、ピアノの低音の音色など調整する箇所は残されているが、小ホールという空間の制約を感じさせないのびのびとした自然の響きは心地よかった。ホールの詳細は後日報告する。
NEWSアラカルト
講演会「コンサートオルガンを考える」のご案内
1990年10月以降(財)サウンド事業団の委員会活動の一つとして進めてきたコンサートオルガンについての調査研究(委員長:永田穂)が終了し、今回、報告書「コンサートオルガン─その導入の手引き─」としてとりまとめられた。その内容の紹介をかねて、コンサートオルガンについての講演会が来春1月19日、川口市のリリア・ホールにおいて行われる。この講演会は今後オルガンの導入を考えておられる方、および、建築関係者を対象としたもので、オルガンについては初めての外部に向けて開かれた講演会である。当日はオルガンの演奏予定されている。詳細は同封のパンフレットを参照されたい。また、報告書だけの購入も可能である。
水戸芸術館におけるオルガンコンサート
今後のオルガン導入にあたって、国内のオルガンビルダーの作品についての正しい理解をもつことが重要である。幸いにも、水戸芸術館に設置されているマナオルガンを用いたオルガンリサイタル“バロック・オルガン音楽の旅”が本月26日(土)18時30分から行われる。演奏は鈴木雅明氏である。私は今年の9月、鈴木さんのホームグラウンドの神戸の松蔭女学院のチャペルでこの演奏を聴いた。オルガン音楽の楽しさを感じるすばらしい演奏である。年末の多忙な時ではあるが、ぜひ、マナオルガンによる鈴木さんの演奏を聴いていただきたい。
チケットの問い合わせ:0292-31-8000まで