永田音響設計News 88-10号(通巻10号)
発行:1988年10月25日





住まいと音響

 夏を旨とすべし・・・といわれてきたわが国の伝統的な住居のあり方が、生活様式や環境条件の変化の中で大きく変わってきていることは事実です。かつては、土壁や藁茸きの農家が点在していた田園にも、都会と同じ規格住宅が建ちならんでいるのが最近の風景です。
 もともと遮音性能などまったく期待できなかった伝統的なわが国の住宅で、音漏れが間題とならず、遮音性能のよいコンクリート住宅になって遮音上のトラブルがクローズアップしてきていること、これには生活環境の集密化、環境騒音の増大、楽器、オーディオ装置など大音量音源の持ち込みなど、いくつかの原因を挙げることができます。しかし、一方において、かって虫の鳴き声や風の音までをめでてきた音についての感性が薄れ、音についての心づかい、おもいやりまでを忘れてしまったわれわれの心の問題にもあるように思います。
 これは何も音だけの現象ではありません。蛍光燈の明るさに馴れてしまった現在では、昼間でも室内の電灯は当たりまえのこととなっています。淡い光、陰影の美しさは消えてしまいました。光も音も電気の力を借りて明るく大音量の方向に一途に進んでいます。
 現在の住居が抱えている音の間題、これを大別すると次の五つになります。

 (1)隣戸との遮音、とくにピアノに対して
 (2)階上からの床衝撃音、とくに子供の飛びはねに対して
 (3)空調機、換気扇、トイレの水流音などの住宅設備機器の騒音、振動
 (4)洗濯機、掃除機など家電機器の騒音
 (5)オーディオルーム、AVルームの室内音響

図-1 浮き遮音層施工の効果
 以上の課題について、音響技術の現状と将来の見通しなどについてまとめてみました。
 まず、室間の遮音の間題ですが、ご存じのように遮音等級をあらわす基準特性(D特性)によって評価する方法がJISで規定されています。また、各遮音等級が具体的にどの程度の効果があるのかについては、日本建築学会が示した適応基準があります。これらの規格や基準がわが国の住宅の遮音性能の向上に大きく貢献してきたことは事実です。この適応例によれば、深夜のピアノの練習にはD-65、すなわち、500Hzで65dBあればプロの練習にも十分対応できるということが示されています。
 しかし、D-65という性能は静かな住宅地の深夜では間題があるということを確認しています。最低D-70が必要です。また、ピアノ音の遮断については250、500Hzの遮音量できまることも明らかになりました。
 このような高い遮音性能を実現するには、コンクリートの躯体の内側にもう一層以上の遮音層を弾性体で浮かせて支持することが必要です。これを“浮き構造”といいます。この浮き構造は放送スタジオや録音スタジオでしか使用されなかった特殊な構造ですが、現在では公団、公社の住宅にまで採用されています。
 ところがこの浮き構造を採用しても、遮音性能はたかだかD-65どまりです。ピアノ音遮断には別の工夫が必要で、遮音層、およびその支持方法の改善によって、D-70相当の遮音構造までは可能です。図-1はコンクリートの躯体だけの遮音性能と特別な浮き構造を施工したときの遮音性能の比較です。また、同図にはピアノ音のスペクトルと住居内の暗騒音レペルをNC-25とした時に、ピアノ音がマスクされて聞こえないという条件から求めた必要な遮音量もあわせて示してあります。
 同図からピアノ音の遮断については250、500Hzで大きな遮音量をもつ構造が必要であることが分かります。したがって、ピアノの音の遮断に絞るかぎり、もっと効果的な構造を開発する必要があります。浮き構造の改善によって現在80、90dBという遮音構造も可能ですが、間題は遮音層の厚さです。既存の躯体構造に追加の形で施工する限り、D-65程度が実用上の限界だと思います。音楽マンションとして遮音構造を当初から予定した基本計画が必要であるというのが現在の結論です。
 床衝撃音についてわが国で間題となるのは子供のとびはねによる鈊い衝撃音です。この点が靴のままの生活の欧米と異なる点で、自動車のタイヤの落下を衝撃源とした測定などはわが国独特の評価法です。

図-2 インバーターエアコンの騒音
 床衝撃音の防止についても、材料メーカからいろいろな材料、構造が提案され、資料は豊富です。しかし、床スラブの剛性が決定的であることは厳粛な事実です。下手な防振構造の採用より、床スラブを厚く、具体的には200mm程度にするほうが効果があります。
 最近、カーペットがダニ間題できらわれ、フローリングが復活しています。ここで床衝撃音が間題になっています。実用上の間題というよりも、むしろ、測定による床衝撃音レペルの上昇がひっかかっているようです。
 家庭用の空調機ですが、騒音の低減を性能の一つとして永年取り組んできただけあって、国産の空調機は国際的にみても、もっとも静かな空調機となりました。とくに、最近登場したインバータ方式の採用によって、静かな空調が実現しています。図-2は騒音の測定例です。
 マンションでは深夜のトイレからの水流音も大きな間題です。これについても低騒音タイプの採用、給水、排水管の防振支持などでひと昔前と比べると騒音は大幅に小さくなっています。また、最近では洗濯機までも低騒音を一つのセールスポイントとしています。以上は騒音の間題ですが、住居内のオーディオルームはいかにあるべきか?という課題はわが国のオーディオ機器の普及とともに問われてきました。そのきっかけは、「4.5畳、6畳などの狭い部屋に何10万というオーディオセットを持ち込んでよいのか?《「効果的な音響処理上の対策はあるのか?《などという素朴な疑間でした。しかし、最近はわが国の住宅事情も大幅に改善され、プレハブメーカから公団までもオプションとしてのオーディオルームの仕様を導入しているのが現状です。
 しかし、現在またオーディオルームについては新しい課題が投げかけられています。それはAV機器への対応、とくにサラウンドという新しいシステムヘの対応です。
 ご存じのようにサラウンド方式には二つあり、一つはドルビーシステムで代表されるビデオ再生時の音像の制御方式、もう一つが“世界のコンサートホールをわが家のオーディオルームに”というキャッチフレーズで売りだされている反射音、残響音の付加装置です。ビデオテープやレーザーディスクのドルビーサウンドは、効果音としての効果は分かります。しかし問題は後者です。すでに、録音音場の反射音や残響の情報を取り込んでいる音楽プログラムの再生において、さらに反射音や残響音を付加するということにおいて、何らかの魅力が生まれない限り、ただ変化するということだけではかつての4チャンネルステレオの運命をたどることになるでしょう。
 最近のディジタル機器の登場によって、リスニングルームの音響設計において考慮すベき点は次の三点にあると考えます。

(1)室内騒音の低減
(2)板振動の抑制を含む低音域の吸音の制御
(3)近接反射音の除去

 以上の点については、本号に紹介します。JASコンファレンス’88の予稿に説明しておきましたのでご参考ください。
 [永田穂“最近のオーディオ技術からリスニングルームを考える”(JASコンファレンス’88予稿、145ペ*ジ、日本オーディオ協会)]

NEWSアラカルト

◆二つの学会から
【日本音響学会秋季研究発表会より】
 10月3、4、5日の三日間、福岡市の東和大学において恒例の研究発表会が開催されました。発表件数の増加に対応するために、騒音・振動、超音波・水中音響、建築音響の三部門にポスターセッションが設けられました。
 いろいろなホールの音響設計の紹介があったことはホールの時代の到来を感じさせました。先期まで花ざかりだったコンピューターシミュレーションが一段落し、比較的静かな学会でしたが、久しぷりに牧田先生の荘重な論文発表もありました。
 また特別講演で九州芸工大の波平恵美子教授による“ケ”と“ハレ”一日本人における日常性と非日常性の演出一という特別講演が新鮮な印象を与えました。
【JASコンファレンス’88より】
 10月11、12、13日の三日間、日本オーディオ協会主催の研究発表会が東京半蔵門の東条会館で開催されました。午前中が論文発表、午後が持別セッションで、12日の午後は“自然音場と人工音場”というテーマで次のような内容でした。

 1.講演と試聴“世界のホールを一堂に”:山崎芳男(早大工)他
 2.パネルディスカッション“音場に着目したこれからの録音再生技術”:司会 佐伯多門
 3.公開座談会“音楽の響きを求めて”:司会 永田穂

 私は残念ながら時間がなく、他の発表やデモを聴くことができませんでしたが、音響学会とは一味違う大会であったことは事実で、AESのように今後面自い大会になりそうです。

◆津田ホールでの出来事
 10月8日の午後、津田ホール第1回の土曜講座として、遠山一行、慶子夫妻による講演とピアノの演奏がありました。
 遠山一行氏の講演が終わり、慶子夫人の演奏に入ったとき、ホール内で「ピー《という高い周波数の発信音に気がつきました。この音は舞台でも聞こえたらしく、慶子夫人は席をたたれ演奏は一時中断するという事態となりました。関係者は大変です。PA卓やアンプの電源を切ったり、最期には空調まで止めました。しかしこの音は消えません。演奏中ですので、客席内を歩きまわることもできなかったのですが、幸いにも私の席の後方でとくに大きいことを確認しました。結局どうすることもできず、この怪音の中で演奏は続けられました。
 演奏が終わった時、あるお年寄りとともにこの怪音がロビーに流れ出たことを係の方が確認しました。実態は上明でしたが、特定の方の鞄の中からの音であったことだけは事実でした。迷惑な話です。
 この種の音は余程静かな環境でないと耳につかないのが特色です。また、老人になると聞こえにくくなることも事実です。私の娘は休憩時間が終わり、ホールに入った途端、この音に気付いていたそうですが、私には静かになるまで聞こえませんでした。サントリーホールでもこの種の怪音に大騒ぎしたことがあります。これはカメラのフラッシュの充電音だったようです。
 ホールに現れる怪音については“ホールにでるお化け”という題で、千葉馨(元N響首席ホルン奏者)さんが音響学会誌に紹介されています。本物のお化けを思わせる音は排気口のガラリなどで発生する風の音です。すすり泣くような音は、オーケストラとの共演を思わせるくらい絶妙な音です。現在、コンサートホールの空調ははほんとうに静かになりました。したがって、日常において問題とならない音が障害となります。もし、演奏会でこの種の音にお気付きの方は是非ホールの係まで通知してくださるようお願いします。



永田音響設計News 88-10号(通巻10号)発行:1988年10月25日

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