No.350

News 17-02(通巻350号)

News

2017年02月25日発行
外観

エルプフィルハーモニー特集

<オープニング>

 ドイツ第二の都市ハンブルクに新コンサートホール、”エルプフィルハーモニー” (Elbphilharmonie) が去る1月11日にオープンした。ハンブルクは元々、北海に向けて流れるエルベ川を中心に港湾商業都市として発展してきた。そのエルベ川に直接面した旧倉庫群の一角、まさに街の一番大切なところにクラシック音楽の殿堂として建設されたコンサートホールがこのエルプフィルハーモニーである。メンデルスゾーンやブラームスが生まれ、テレマン、マーラー等、数々の大作曲家が活躍し、そしてピアノのスタインウェイが工場を有するクラシック音楽の街、それがハンブルクである。

 プロジェクトが2002年に始まってから丸14年、我々がプロジェクトに加わった2004年からでも12年の月日が経った。他の同種、同規模プロジェクトの例として、1986年にオープンしたサントリーホールは約6年、2003年にオープンしたディズニー・コンサートホール(ロサンゼルス)の場合は計14年かかって完成した。エルプフィルとディズニー・コンサートホールの場合は、途中でプロジェクトがストップしたという特殊事情があるにしても、コンサートホールの建設というプロジェクトは、オフィスビルや住宅と違って2年や3年で簡単にできるものではない。すべてのプロセスが順調に進んだとして、通常では設計に2-3年、工事に3年前後、というのが最短コースであろうか。これにさらに準備・構想期間というのが少なくとも数ヶ月から1年、工事終了後のオープンまでの準備期間がやはり数ヶ月は必要なことを考えると、総計では最短でも約7年が必要なことになる。プロジェクトが始まる時に、これら必要な工期と予算が十分に見込まれているケースはほとんどないといってよい。多くのプロジェクトにおいて、その予算と工期は全く楽観的に考えられているケースがほとんどである。そうでないとそもそもプロジェクトとして成立しない、という事情も全くそのとおりなのであるが。

外観
外観
施設の内部構成 (Elbphilharmonie Websiteより引用
施設の内部構成 (Elbphilharmonie Websiteより引用

<建築設計と音響設計>

 エルプフィルハーモニーの建物全体は、26階建で総床面積約12万m2もある巨大なもので、2100席の大ホール、500席規模の小ホールの他に、ホテルと住宅(コンドミニアム)が含まれる。360度の素晴らしい市内の眺望が楽しめる8Fレベルは「プラザ」として一般に開放されており、その上階に位置する大ホール、小ホールへのエントランスともなっている。大ホールはクラシック音楽用のコンサートホールとして、また小ホールは室内楽を中心にしながらもポップスや演劇、講演会などの幅広い演目を想定した多目的ホールとして計画・設計された。建築設計はスイスの建築設計事務所、ヘルツォーグ・アンド・デ・ムーロン(Herzog and de Meuron)、建設工事はホッチティーフ(Hochtief)が担当、永田音響設計は設計から施工監理までの一連の音響設計を担当した。

 コンサートホールの室内音響設計における重要なポイントは、大きくまとめると”室形状”と”内装材料”の2つである。もちろん、室形状というのはホール天井の高さや室の幅、客席のレイアウトなどの大きな室形状から天井や壁の細かな凸凹形状まで、あらゆる形状を含んでいるし、また、内装材料という場合、室内の表面的な仕上げ材料だけではなく、その裏側の構造まで含んだ材料を意味する。しかしながらこの2つとも建築のデザインそのものであり、ゆえにコンサートホール内部の設計は、建築設計と音響設計が一体となって進めていかれなければならない。エルプフィルハーモニーのホール内部の設計にあたってのキーワードは “Intimacy”(親密感、近さ)であった。建築的(見た目)にも音響的にも「近い」こと、大型のホールであるがゆえに大きさ、距離感を感じさせないことが、設計段階における最も重要なテーマであった。我々音響設計部門がプロジェクトに参加した段階において、コンサートホールの基本的なレイアウトは、いわゆるシューボックス型ではなく、客席をできるだけステージ近くに配置できるヴィニヤード型にするという基本方針はすでに決まっていた。音響設計を進めていく上での大きな課題は、音響的な”Intimacy”を実現するのに有効かつ重要な初期反射音が効果的に得られるように、いかに客席周囲に音響的に有効な反射壁を設けるかということであった。客席を細かくグループ化することによって客席周りに壁を設けて、それらを音響的に有効な壁として利用したのである。

大ホール
大ホール
小ホール
小ホール

<音響テスト>

 コンサートホールの音響の良し悪しの評価・判断は、残響時間などの物理的な数値の測定結果からではなく、あくまでもステージの上で実際の音楽を演奏して、そしてそれを客席で聴いてみた上で行うことになる。オーケストラが初めて聴衆の前で演奏するオープニングの当日は、緊張してさぞかし大変と思われるかもしれないが、実はそうでもない。通常はその数ヶ月前に行われる初めてのリハーサルの方がもっと大変で、最も緊張する瞬間である。そして、それは新しいコンサートホールの音響をテストする場としては最悪の状況なのである。何故ならば、新しいホールの音響はどの演奏者にとっても未知な音響であり、自分達の音がどのように響くのか、あるいは他の奏者の音をどのように聞けばよいのか、全く手探りの状態から始まるのである。音響をテストする場として最悪である所以である。お互い聞きあって良いアンサンブルを作っていく、というのはこれから先のことなのである。1回目のリハーサルよりも2回目の方が、2回目のリハーサルよりも3回目の方が必ず良くなっていく。ホールのオープニングの前にどのくらいの期間をリハーサル等の準備期間として用意しておけばいいか、という質問に対しては、長ければ長い程よいというのが本当のところであるが、実際問題として何年もの期間を確保することは現実的ではない。最低でも2-3ヶ月、できれば6ヶ月位確保したいところである。ちなみにエルプフィルハーモニーの場合は、最初のリハーサルからオープニングまでの期間はおよそ4ヶ月であった。

<オープニング後のコンサート>

 エルプフィルハーモニーの計画段階から地元の公共放送局のオーケストラ、北ドイツ放送交響楽団(Norddeutscher Rundfunk Symphoniker, NDR)がレジデントオーケストラとして新ホールを使用することが決まっていた。ここでいうレジデントオーケストラとは、毎月の定期公演を行うだけでなく、日頃のリハーサルを原則として全てホールのステージ上で行うことを意味する。まさに、オーケストラとホールが一体となって発展していくこと、オーケストラは新コンサートホールの顔となることが期待されているのである。NDRオーケストラは新ホールのレジデントオーケストラとなるにあたってその名称もNDRエルプフィルハーモニーオーケストラと変更するほどの力の入れようである。さらに地元の他のオーケストラとして、ハンブルグ・フィルハーモニック(ハンブルグ国立歌劇場のオーケストラがオーケストラピットではなく通常のホールのステージでコンサートを行う時の名称)、さらにハンブルグ・シンフォニカというオーケストラも毎月の定期演奏会を新ホールに移すことが決まっている。ただし、これらの地元オーケストラがエルプフィルハーモニーを使用するのは演奏会当日だけで、普段のリハーサルは別のところで行うことになる。この辺りがレジデントオーケストラであるNDRエルプフィルハーモニーとは大きく異なる点である。

大ホール・オープニング・コンサート
大ホール・オープニング・コンサート

 以上の地元のオーケストラ、アンサンブルによるコンサートとは別に、数多くの演奏家、演奏団体が世界中から招聘されて、エルプフィルハーモニーでコンサートを繰り広げることになっている。これら外部からのゲストの招聘とエルプフィルハーモニーの施設の維持、管理、運営を行うのがハンブルク・ムジーク(Hamburg Musik)という組織で、ハンブルク市に属する。エルプフィルハーモニーのオープニングは、この施設建設プロジェクトの最終ゴールであると同時に、NDRエルプフィルハーモニー・オーケストラとエルプフィルハーモニー(ハンブルク・ムジーク)の大いなる門出なのである。(豊田泰久記)

以下では、エルプフィルハーモニーの音響に関連する特徴的な事項について技術面からの概説を行う。

<大ホールの内装仕上>

 ダイナミックな平滑面で構成されたホワイエから大ホールに導かれてまず目にするのは、壁面・天井面の凸凹である。この凸凹、意匠的には貝殻がモチーフで、音響的には音を散乱させる役割がある。壁面・天井面からのソフトな音響反射を期待するとともに、局所的に障害となるエコーを散逸・解消させる役割も併せ持っている。客席のブロック分け・天井高さ・壁面の位置など、反射音の到来状況を決定づけるホールの基本的な室形状は、設計初期の段階においてコンピュータを用いた音響シミュレーションをベースに、意匠設計サイドとの濃密な議論を経てまとめられた。次の段階では、1/10スケールの模型を製作し、音響実験を行ってより詳細な響きの検討を進めた。この音響模型実験ではまず、障害となりそうなエコーの有無の確認とエコーが検知された場合の対処法の検討を行った。本ホールのような客席がステージを取り囲むアリーナ型では、時間遅れが大きく強い反射音(ロングパスエコー)が戻りやすい。本ホールでもステージとその周辺の客席でロングパスエコーが検知された。このエコー障害への対処法には、反射面の角度変更・吸音仕上・散乱があるが、意匠サイドからソフトな音響反射のための散乱の延長線上で、“散乱によるエコー障害解消”を要望された。そこで、1/10スケールで貝殻モチーフの散乱面を作製してエコーの原因となる面に取り付けその効果を試聴確認し、各部に必要な散乱の深さを決定した。実際の散乱面の素材は、比重1.5の繊維強化石膏ボードである。同ボードを複数枚貼り合わせたパネルを作成し、その表面を削り取って貝殻モチーフの散乱面を作成している。ソフトな反射を期待する一般部位の散乱の深さは10?30mm、エコー障害解消を狙った散乱の深さは50?90mmである。また、これらの面は低音域まで音を有効に反射させるための重量が必要であることから、貝殻モチーフが設けられた状態で、平均125kg/m2の面密度を有している。壁・天井の全てがこの素材で構成されており、3Dモデル上でパネル割りののち工場で製作された。さらに、客席段床も同材の平パネルの上に木フローリング仕上げが施されている。

1/10模型による音響実験
1/10模型による音響実験
天井面の散乱
天井面の散乱
オルガン前面の音響透過壁
オルガン前面の音響透過壁

<大ホールの客席椅子>

 客席椅子は着席時聴衆に隠れる面以外は音響的に反射性を原則とした。すなわち、座面と背表はクッション+布張り、背裏は木パネル貼である。座が上がっている時に列がスムーズなラインとなるようなユニークなデザインで、座裏は硬質パネルに布を直接貼り付けている。特に座が厚いので、残響室における試験結果は一席あたりの等価吸音面積が0.3強(中音域・空席時)と大きめであった。一方、着席時は逆に一席あたりの等価吸音面積が0.4弱で、空席/着席の差が小さい。

客席椅子
客席椅子

<小ホールの内装仕上>

 小ホールはリサイタルをメインとしながらも、より多目的な用途に対応している。客席段床は空気圧機構により後壁に収納可能で、平土間形式でのイベントやレセプションの開催が可能である。壁面には音響可変のためのロール式カーテンも仕込まれている。壁面は大ホールと同様に音の散乱を意図した凸凹が設けられている。こちらは木集成材パネルの削り出しで製作されている。天井面は、限られた階高を有効に利用するために、後述のインナーボックスのコンクリート面現し(黒塗装)である。

小ホール壁面の散乱
小ホール壁面の散乱

<船舶汽笛の遮音対策>

 ホールは、エルベ川に面した旧レンガ倉庫のファサードを残し、その上層部に建てられている。エルベ川は大型船舶も行き交い、建物の東側にはクイン・メリー2(排水量約76,000トン)をはじめとする大型客船が停泊するターミナルがある。これらの船舶が出港する際に汽笛が鳴らされ、その汽笛は川から離れた街中のホテル室内でも聴こえる。汽笛の周波数は大型船ほど低い周波数と決まっていて、クイン・メリー2 クラスの汽笛を遮断するためにはR’w90、125Hz帯域で75dB の遮音性能が必要であった。この遮音性能を実現するために、防振ゴムより固有振動数を低く設定できる(すなわち低音域でより大きな遮音性能が期待できる)金属スプリングによる”建物防振”が採用された。具体的には、厚さ約200mmのコンクリート箱(ハーフPC)の内側にスプリングで支えられたもう一つのコンクリート箱(こちらも厚さ約200mm、デッキ型枠ショットクリート)を設置し、その内部にホール内装を施すというものである。設計固有周波数は3.5Hzである。国内で多く見られる免震構造の免震装置をスプリングで置き換えた構造ということができる。免震と建物防振の違いは、免震が横方向の揺れを対象にしているので鉛直方向のバネは比較的硬いのに対して、建物防振のスプリングは鉛直方向にも柔らかいことである。竣工直前の昨年7月には、実際の大型船の汽笛を用いた遮音テストが行われ、アウターボックスとインナーボックスに挟まれたスペースでは汽笛が聞こえたがホール内では確認できず、スプリングによる防振遮音が機能していることに胸をなでおろした。

天井骨組みとスプリング
天井骨組みとスプリング
小ホール インナーボックス内観(ショックリート)
小ホール インナーボックス内観(ショックリート)
大ホール横を通過する大型船(大ホール内より窓越し)
大ホール横を通過する大型船(大ホール内より窓越し)

<音響パラメータ>

最後に、ISO3382*)に沿って実測した音響パラメータを記す。(小口恵司記)

*) ISO 3382-1:2009 Acoustics — Measurement of room acoustic parameters — Part 1: Performance spaces

エルプフィルハーモニー: https://www.elbphilharmonie.de/en/