上海シンフォニーホールのオープニング
かねてより建設工事が進んでいた上海シンフォニーホールが、この9月6日にオープンした。プロジェクトが始まったのは2008年、この時の様子は本ニュース09-10号(通巻262号)にてお伝えした。当初、上海交響楽団のリハーサル室を建て直す計画として始まったプロジェクトの規模が次第に拡大されて、600-800席の客席が設置されるようになり、その客席も最終的には1200席まで拡大されて、もはやリハーサルホールとはいえない程の立派なコンサートホールとなった。名称も上海シンフォニーホールとなって、上海交響楽団のリハーサルとコンサートのほとんどが行われる文字通り本拠地ホールとなってオープンを迎えることになったのである。
2008年8-9月に実施された建築設計者選定のコンペにより磯崎新+胡セイ(ニンベン+青)工作室 [Isozaki+HuQian Partners] が選定された。筆者はこの設計者選定コンペの審査員のひとりとして指名を受けて、そのプロセスに始めから関与することになった。実際のプロジェクト開始後においては、永田音響設計は音響設計から工事段階の音響監理、検査・測定を含むすべての音響コンサルティング業務を施主である上海交響楽団との直接契約により実施した。(Photo-1〜Photo-2ホール外観)
1.コンサートホール
設計当初段階において、ホールの形状、客席配置方法が検討され、ステージの回りを客席が取り囲む、いわゆるヴィニヤード方式が採用された。ステージの周りを客席が取り囲むようなレイアウトのためステージと客席との距離が近く、より親密感の高いホール空間となる。室容積は約20,000m3で1200席規模のホールとしては比較的大きい。平面、断面形状をFigure-1〜Figure-3に、ホール内観をPhoto-3〜Photo-4に示す。
天井とパネル状に迫り出した側壁には木材による編目状の模様がデザインされ、音響的に必要な拡散が得られるようになっている。ステージおよび客席上部の天井部分は大天井から4〜5m低い位置にパネルとして吊り下げるかたちで設置されており、天井パネル上部は音響的にはホール空間と繋がっている。この天井パネルの上部にグラスウールの吸音材を敷き込むことによって、さらにその吸音材の量を調整することによって、ホールの残響調整を行うことができるように計画した。吸音材敷込みのプロセスは工事の最終段階であったこと、敷込みの作業が比較的簡単にできることから、まずは天井上部の吸音材無しの状態にて音響測定と実際のオーケストラを入れたリハーサルを聞きながら音響調整を進めていくことにした。残響時間の測定結果は中音域において約2.7秒(空席時)であり、当然のことながら設計時における計算値、約2.3秒(空席時)に比べ長めとなった。音響設計において意図したことは「豊かな音響でしかもクリアに聞こえる」という二つの、しばしば相矛盾する目標を高度なレベルで両立させることにあり、これらの最終的な調整を実際のオーケストラの演奏も聞きながら進めていこうというものである。
実際のオーケストラを試聴した結果、長めの残響による豊かな音響を実感できると同時にクリアな音響も高度なレベルで実現されており、オーケストラの各楽器の動きはいずれも明瞭に聞き取ることができた。天井裏に吸音材を敷き込むことは、後からでも比較的容易に可能なことから、まずは吸音材無しの状態、残響の最も長い状態にてホールの供用を開始することにした。空席時における残響時間の測定値(約2.7秒(中音域)から推定計算した満席時の残響時間は約2.3秒(中音域)であり、大型のコンサートホールとしても長めの残響時間となっている。
2.室内楽ホール
1200席のホールは文字通り「コンサートホール」(Concert Hall)と名付けられたが、これとは別に400-600席規模の小ホールが「室内楽ホール」(Chamber Hall)として併設されている。この室内楽ホールは、オーケストラからの強い要望により、室内楽のコンサートを基本としながらも、より多目的に、よりフレキシブルに対応できるように計画された。平面、断面形状をFigure-4〜Figure-6に、ホール内観をPhoto-5〜Photo-6に示す。
基本的な室形状は矩形、いわゆる「シューボックス型」である。1階のメインフロアーは、ステージを含む主客席部全体をフラットな床とし、それを12に区割りして各々に昇降機構を設けることによって、ステージと客席のレイアウトが様々に設定できるようになっている。正面壁、および両側壁には2段のバルコニーが設けられ、いずれもフレキシブルに使えるよう計画されている。下段バルコニー(2F)に設置された客席椅子は移動可能で、全くフラットな自由に使えるスペースにできる。上段バルコニー(3F)は下段バルコニー同様に移動椅子とフラットなスペースの選択が可能となっており、テクニカルバルコニーとしての使用も可能である。また、バルコニー前面に取り外し可能な視覚格子が設置されており、バルコニーを使用しないで壁面として閉じる選択肢も可能になっている。上段バルコニーのさらに上部(4F)は、壁面、床面ともに視覚格子で構成され、音響的には全く自由にフレキシブルに使用できる空間となっている。基本的な装備である音響可変用のカーテンを開閉することにより残響を可変できる他、様々な音響材料、スピーカの設置等々、いずれも客席からは見えない場所での操作が可能であり、ホールの多目的使用に対してより幅広い設備、機能を提供できるようになっている。
以上、1200席のコンサートホールと400-600席規模の室内楽ホール、さらにロビーやオーケストラの事務室群を合わせた建物全体の総工費は約6億3千万元(約107億円)。敷地周辺は大使館や領事館が多い、上海中心部の一等地にあることから高さ制限や外観デザインには特別の配慮が求められ、地下4階、地上2階建て構造でその大部分は地下構造となっている。敷地周辺には複数の地下鉄路線が走っており最も近い地下鉄の構築から建物までの距離はおよそ15mという近さで、コンサートホールにおける地下鉄からの騒音・振動対策は、建物の基本計画段階からの大きな課題であった。最終的には、両ホールとも建物自体をスプリングで浮かせた防振構造を採用することによって必要な防振対策を施すことになった。これら地下鉄からの防音、防振対策については、来月号のニュースにて別記事として取り上げて報告する予定である。(豊田泰久記)
RED BULL MUSIC ACADEMY TOKYO 2014
エナジードリンクで日本でも広く知られている「レッドブル」は、その商品と「レッドブル、翼を授ける。(Red Bull Gives You Wings)」のキャッチコピーでスポーツ界や音楽界への支援を通じた積極的な宣伝活動により世界的に注目を集めている。その中で、才能溢れる若いアーティストを支援する「レッドブル・ミュージック・アカデミー」が年に一度、1ヶ月程のイベントとして毎年異なる都市で開催されている。これまで1998年の発足以降、ベルリン、サンパウロ、ケープタウン、メルボルン、ニューヨークなど、世界各地で展開されてきた。
今年は、このアカデミーが10月12日(日)から11月14日(金)までの間、東京で開かれることになった。著名な演奏家や録音エンジニアなど音楽業界のトッププロフェッショナルが「講師」として招かれ、6000人を超える応募者から選ばれた日本人アーティスト2名を含む34カ国からの約60名の「学生」が参加している。アカデミーのために用意された施設でのワークショップやレクチャー、スタジオセッションなどが行われる他、都内の随所でも一般向けのコンサートなど様々なイベントが企画されている。
このアカデミーのための新しい施設はレッドブル・ジャパンオフィスの全面改修という形で計画され、1Fに録音スタジオ、4Fに8つのベッドルームスタジオ、5Fにレクチャーホール、ラウンジやラジオ用スタジオ、6Fに本アカデミー専用オフィスが新設された。全体のインテリアデザインを隈研吾建築都市設計事務所が、音響計画をこれまでのアカデミーと同様にAcousthink社のImar Sanmarti氏が、工事を日東紡音響エンジニアリングが担当した。永田音響設計は、隈研吾建築都市設計事務所に協力する国内の音響コンサルタントという立場で参加した。
プロユースに対応した録音スタジオは、コントロールルームとセッションルーム、それにドラムブースとボーカルブースが併設され、いずれも防振遮音構造が採用された。電気的なノイズ対策をした音響機器専用の電源や、騒音対策を施した空調設備の新設も行っている。8つの隣接したベッドルームスタジオは、「縁側」に囲まれた配置で、既存のOAフロアの上に鉄骨で建てられた。楽曲制作などのためのコンピューターや電子楽器など、あらゆる機材が配備されており、アカデミーの参加者が自由に使える。5Fの3つのスペースはそれぞれの使用用途が異なり互いの音漏れが問題となりうるため、既存のOAフロアと天井を一部撤去し、上下のスラブ間に遮音のための乾式二重壁が設けられた。
これだけの工事が既存施設の撤去作業も含めたった3ヶ月の工期で実施されたが、工事部門の努力によって極めて段取りよく進められ、アカデミーは無事にオープンした。これらの施設は、アカデミー終了後もレッドブル・ジャパンが録音スタジオを運営し、ベッドルームスタジオやレクチャールームは会議室として使用するなど、継続して使われる予定となっている。
アカデミーに興味をお持ちの方は、一般向けイベントが下記ウェブサイトに掲載されているのでご覧頂きたい。(鈴木航輔記)
- RED BULL MUSIC ACADEMY TOKYO 2014: http://www.redbullmusicacademy.jp/jp/events/
津田ホールの貸出停止
また、ひとつコンサート会場が姿を消そうとしている。「津田ホール及び会議室は2015年4月以降貸出停止となります」というお知らせを津田ホールのホームページで、また、新聞報道ですでにご存じかもしれませんが、ショッキングなニュースである。ホールのコンサートカレンダーは来年の3月で終わっている。
津田ホールは1988年10月にオープンした。JR千駄ヶ谷駅前に、津田英語会、津田スクール オヴ ビズネス等を運営していた財団法人 津田塾会が設立40周年を記念し、計画、建設された学校内の施設である。学校の講堂ではあるが、立地条件の良さ等から室内楽、リサイタル用のホールとして計画された。490席のホールを中心に、下階に会議室、同窓会、レストランを持つ。設計・監理は槇文彦+槇総合計画事務所である。
まだ小規模のコンサートホールの少ないころである。上野の東京文化会館小ホール、上野学園の石橋メモリアルホール等が、また、沿線にはパイプオルガンを配したカザルスホール(当時は未設置)、武蔵野市民文化会館の小ホールなどが室内楽、リサイタルの会場になっていた。とくに、カザルスホールは前年の1987年にオープンし、いろいろな意味で話題になっていた。そうした背景の中、津田ホールは財団の教育活動の場としてだけでなく、広く学術・文化活動の場に供することも重視され、講堂としての性格にコンサートホールとしての機能を備えたホールとして誕生した。現在は、津田塾大学同窓会が母体の津田塾会の2008年の解散に伴い、津田塾大学に移管されている。
講堂としての式典、講演会等での話しやすさ、聞き取りやすさのためのスピーチの明瞭さと、コンサートホールに求められる豊かな響きをどのように融合させるか、そしてどのような響きを目指すか等々、当時の音響的な課題が思い起こされる。このホールはスピーチの明瞭さを損ねない範囲で響きを豊かにすること、拡声設備を充実させることなどを設計の方針としてスタートした。建物の外観はホールを内包しているような屋根の描く曲線が印象的であるが、その中のホールも、音の明瞭さに重要な初期反射音を確りと得るための天井形状、小規模ホールにありがちな強い刺激的な反射音を和らげること、落ち着いた雰囲気を醸し出すことを意図した側壁形状、長時間座っても疲れない椅子など、こだわりとオリジナリティーに溢れている。とくに、放物線断面を持つ3次曲面の天井形状、トラスウォールのPC板に割り肌の大理石小片で仕上げられた側壁等、このホールの建築な特徴と心地よい響きは、建築と音響の調和のために時間をかけた結晶ともいえるのではないだろうか。槇先生の空間に相応しいやさしさのある響きを求めたホールである。音響事務所の言うことではないかもしれないが、美しい、落ち着いた雰囲気のホールが出来上がったのである。
もう一つ大事なことが、オープン前から組織された企画、音響等の専門スタッフによる運営があげられる。時代に流されず、地味ながらキラッと光った企画もこのホールの特徴と言える。当初は、学内施設であり、公演回数などの制限から月4回のコンサートだったが、このホールの性格を活かしたトーク&コンサートという講座を企画したり、講堂としての講演会、シンポジウム、スピーチコンテストなどが、コンサートホールとしてリサイタル、アンサンブル等、いろいろなシリーズの主催・協賛公演が、また、コンペティションなども。なかには日本初演の公演も、26年もの間の数々の公演をご紹介できないのが残念である。これもハードとソフトの両輪がバランスしてのこと、ハードを支えるスタッフがばらばらになっていくことも悲しい。
ホールのwebサイトにはコンサートにも学術・研究活動にも最適な機能と環境を備えたとあるが、その機能と環境が消えようとしている。大学のキャンパス再開発、更新・維持費の負担増等からとは聞いているが、四半世紀もの歴史を築いたホールを残すすべはないのだろうか。講堂にコンサートホールの機能を備え持つホールだけに、それらの機能を活かすという選択はないのだろうか。壊すのは簡単である。しかし、これまで築いてきた文化価値も失われる。文化を育み、支えるという強い意志でホールを考えてほしい。大切なものを長く活かす工夫が求められているだけに。(池田 覺記)