株式会社 永田音響設計の創設者 永田 穂は1925年(大正14年)に福岡に生まれました。東京大学 第一工学部計測工学科に進学、1949年に卒業し、同年4月に日本放送協会(NHK)に入局しました。長野放送局に勤務した後、技術研究所 第一部(後の音響研究部)に配属、音響研究部長などを歴任しましたが、1971年6月にNHKを退職しました。その間、1962年に東北大学で「空気伝搬音の遮音に関する研究」によって博士号を取得、1963年から1964年まで西ドイツのゲッティンゲン大学に留学し、室内音場における初期反射音の構造と音響効果についての組織的な研究を体験、その成果が今後の室内音響設計の基幹となる検討課題であることを強く意識していました。留学中は、時間を作っては欧州各地のホールに出かけ、当時の日本の多目的ホールでは体験できなかったコンサートホールの響きの違いを肌で感じ、それらの「聴取体験」が、その後のホールの音響設計に活かされています。
NHK技術研究所では、故 牧田康雄先生の指導のもと、設計資料もなく、海外のホール事情などまったく伝わってこない中、旧NHKホールの音響設計を手探りの状態で開始しました。そして、武蔵野音楽大学 ベートーヴェンホールと東京文化会館という我が国を代表するコンサートホールの音響設計業務を通じて、今日の建築音響設計の体系作りに貢献してきました。東京文化会館の完成が1961年、ニューヨークのフィルハーモニックホールが1962年、ベルリンのフィルハーモニーホールが1963年と、新しいコンサートホールがほぼ同時期に完成していること、それらのホールの評価を考えると、当時の我が国の音響技術のレベルの高さがうかがえます。
1965~1970年には技術協力として万国博でのアストロラマ超立体音響システムや国立劇場、皇后陛下御還暦記念桃華楽堂、新NHKホールなどをはじめ、多くの市民会館の音響設計に参画しています。これらの技術協力を通じて、音響材料、音響測定方法の整備とともに、多目的ホールの音響設計法の確立に貢献していきますが、それは独立して音響コンサルティングの事務所を設立しても続くことになります。
NHKを退職した後、1971年7月に永田 穂建築音響設計事務所を創立、1974年には法人化し、代表取締役社長に就きました。1993年7月には社名を現在の株式会社 永田音響設計に改め、1994年9月に代表取締役社長を退き、取締役 特別顧問として生涯現役を貫いておりましたが、2018年8月に逝去しました。
これまで、室内音響に関しての残響時間とその制御、初期反射音の効果と音場パラメータ等に絡む響きの構造から、騒音制御に関しての鉄道・地下鉄による固体伝搬音の低減対策、高性能遮音構造、空調設備騒音の低減化、電気音響設備の機能と性能の設定等、そしてコンサートオルガンに関することまで、設計の実務で直面した様々な音響的課題に対して取り組み、その指針を示してきました。ある著書で、音環境が快適かどうかは、すべて設計者、使用者の音に対しての「感性」にかかっていると記していましたが、それは自身が大切にしていたことで、すべての原点になっていました。
そして、音響設計が建築空間で取り組むべきテーマとして「静けさ、よい音、よい響き」を掲げています。
略歴
1925年4月 | 福岡県に生まれる |
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1949年3月 | 東京大学第一工学部計測工学科卒業 |
1949年3月 | NHKに採用され長野放送局勤務 |
1949年10月~1971年6月 | NHK技術研究所音響研究部にて建築音響関係の業務担当 その間音響研究部主管・部長を歴任 |
1963年4月~1964年5月 | 西ドイツ留学 |
1971年6月 | NHK退職 |
1974年7月 | 株式会社永田穂建築音響設計事務所 設立 同社代表取締役社長 |
1993年7月 | 株式会社永田音響設計に改称 |
1994年9月 | 同社取締役特別顧問 |
2018年7月 | 同社特別顧問 |
2018年8月 | 逝去 |
受賞
- 日本音響学会佐藤論文賞:2回
- アメリカ音響学会論文賞
- 日本建築学会賞(業績部門)
- 日本音響学会功績賞
- 日本オーディオ協会賞
- 新日鉄音楽賞特別賞
- 渡邉曉雄音楽基金特別賞
教育
- 上野学園大学 音楽文化研究センター名誉センター長